1-5 オカルト雑誌記者

 櫛湊くしみなと第三中学校を出て、教員寮きょういんりょうに向かう道すがら、田畑のそばに立った案山子かかしとすれ違った。人の形をしたわらぬのが、木材もくざい十字架じゅうじかしばりつけられて、だらん、と人工の腕を垂らす様が、漠然ばくぜんとした不安をあおってくる。居心地の悪い時間が五分ほど過ぎたところで、山に寄り添った灰色のアパートが見えてきた。

 こじんまりとした二階建ては、窓の数を確認する限り、各階に二部屋ずつしかないようだ。外階段は見当たらず、エントランスには扉もない。生い茂った雑草は、凛汰りんたたちが立つ畦道あぜみちから、建物がある山際までが禿げていて、地肌じはだがくっきりと露出ろしゅつしている。人の行き来がさかんなあかしだろう。

嘉嶋かしま先生は、教員寮の二〇二号室だよ」

 そう説明した美月みづきは、教員寮の敷居しきいまたいだ。ローファーを履いた足音が、砂地を歩くにごった音から、カツンとタイルを踏む音に変化する。短い廊下の窓から入る太陽光は、ほのかなだいだいを帯びていた。村に着いてから時間が流れたことを感じながら、正面の階段に向かって進む途中で、右側に並んだ部屋を盗み見る。一〇一号室のプレートには『大柴誠護おおしばせいご』の名前があり、隣の一〇二号室のプレートは空っぽだ。

 そして、凛汰と美月が階段を上がり切った直後、二階の二部屋のうち一つ――奥の二〇一号室の扉が、ねらましたようなタイミングで開け放たれた。外開そとびらきの扉の影から、ぬっと出てきた中年の男は、芝居しばいがかった所作で小首をかしげてくる。

「……ははっ、三人目の〝まれびと〟が、お出ましになったというわけか。ああ、名乗らなくてもいいよ。君が、嘉嶋礼司かしまれいじ大先生の家族・凛汰くんだということは、もう村じゅうのうわさになっているからねぇ」

 廊下の窓を背にした男の顔は、逆光ぎゃっこうで表情が読み取れない。だが、緩いウェーブが掛かった長髪を、後頭部で無造作むぞうさにくくったシルエットが、記憶していた男の名前と結びつく。例の油彩画ゆさいがを凛汰が見たことは、まだ明かさないほうが無難ぶなんだろう。凛汰は、丸眼鏡まるめがねの男の元まで近づくと、しれっとぞんざいに言い放った。

「たとえ俺の名前を知っていても、初対面の人間には挨拶をするのが、礼儀じゃないんですか? オッサン、あんた名前は?」

「凛汰! 言い方! 三隅みすみさん、こんにちは……」

「やあ、美月ちゃん。今日も君は、黄泉平坂よもつひらさかに咲く一輪いちりんの花のように可憐かれんだねぇ。そんなうるわしの巫女殿みこどのに、道案内をさせる君。オッサンとは、ご挨拶だねぇ。でも、まあ、僕がオッサンであることを、四十三歳で否定するのも見苦しいか。初めまして。僕は、こういう者だよ」

 サスペンダー付きのズボンと白シャツ姿の男は、ショルダーバッグから名刺めいしを取り出した。差し出された名刺を受け取った凛汰は、男の名前と肩書かたがきを読み上げる。

三隅真比人みすみまひと……オカルト雑誌『ナタデナタ』の記者きしゃ

「今にもつぶれそうな弱小じゃくしょう出版社の雑誌だけどねぇ、ちゃんと本屋さんで売ってるんだよ? 知ってるかな?」

「知りません。『ナタデナタ』って言葉に、何か意味はあるんですか」

「いい質問だねぇ」

 オカルト雑誌記者・三隅真比人みすみまひとは、ニタリと笑った。美月が、おろおろと「三隅さん、その話は……」と止めに入ったが、三隅は「知りたがったのは、凛汰くんだよ」と言って取り合わず、嬉々ききとして語り始めた。

「ナタデナタは、世間に流布るふしている都市伝説としでんせつの一つで、この言葉を知ってしまった者の前に姿を現す、という怪異かいいなんだ。ナタデナタの怪談を知った者は、あるとき夜中に目を覚ます。その後の展開は、バリエーションが実に豊富ほうふでねぇ。一つ目のパターンは、向かった先のトイレで、大量の血液と、ナタデナタの肉片にくへんを目撃するんだけど、この肉片をひと欠片かけらでもトイレに流してしまうと、君はナタデナタに殺されて、死後は地獄に連れていかれる。二つ目のパターンは、目を覚ました瞬間に、ナタデナタの顔と対面する。そして、口からダラダラと垂れた血が降ってくるのさ。想像するだけで怖いねぇ。助かるためには、血の雨を口で受け止めて、飲みくださないといけないよ。一滴でもこぼしたら、殺されて地獄行きだからねぇ」

 三隅は、くつくつと笑い声を立てた。油彩画『楽園の系譜けいふ』にえがかれた表情よりは、にじみ出る悪辣あくらつさは薄くとも、見立て通りの曲者くせものであることには変わりがない。警戒を強める凛汰に対して、三隅は余裕の表情で話し続けた。

「最後のパターンは、シンプルだ。トイレでも寝室でもない場所に、ナタデナタが突然に現れる。この場合の対処方法はゼロで、出くわしたら絶対に助からない。理不尽りふじん無慈悲むじひ終焉しゅうえんを、当人は受け入れられないだろうけどねぇ……他者に害を加えることしか能がないものには、ちっぽけな人間のになんて、どうでもいいことなのさ」

 そう語ったときだけ、百物語ひゃくものがたりともした蝋燭ろうそくの火を吹き消すように、三隅の笑みにやみきざした気がした。しかし「まあ、ともあれ」と上機嫌じょうきげんの声が続いたときには、窓から入る淡い日差しが、人の悪そうな笑みを照らしていた。

旧約聖書きゅうやくせいしょの『創世記そうせいき』で、無知で無垢むくだったはずのイヴが、あるときへびそそのかされて、林檎りんごという知恵の実をかじり、善悪ぜんあくの知識を得たことがきっかけで、楽園を追放ついほうされたように――知ってしまったが最後、知る前のおのれには戻れない。そんなおそるべき怪談たちを収集して、世に広めるという理念をかかげたオカルト雑誌に、相応ふさわしい名前だと思わない?」

「……。その怪異の姿すがたかたちを、想像できませんでしたけど、たった今その都市伝説を聞かされた俺も、ナタデナタを知ったことになりますよね」

「ああ、本当だねぇ。知ってしまったねぇ。……ごめんねぇ? まあ、君って可愛い見た目に反して図太ずぶとそうだし、どうにかして生きびるでしょ」

「今の都市伝説、初対面の人間に話すのは、やめたほうがいいですよ」

「ご忠告ちゅうこくどうも。でも、もう遅いよ。村の皆さんにも話しちゃった」

「あんた、そのうち夜道で刺されますよ」

「ふうん? よそ者の僕を夜道で刺しかねないくらいに、物騒ぶっそうな村人がいると思ってるんだ? 凛汰くんって、面白い人だねぇ?」

 失言しつげんだった。だが、凛汰が動揺どうようを見せなければ、先ほどの台詞せりふは失言にならない。凛汰は、下手へたな言い訳は一切せずに、不可解そうな顔を作って見せた。目の前の大人が、何やらみょうなことを言っている――そんなポーズを取るや否や、三隅が可笑しそうに噴き出した。かと思いきや、笑みを消し去って軽くかがみ、凛汰に顔を近づけてくる。

「君、かしこいね。さすが、嘉嶋先生の家族だ」

煙草たばこ臭いです。離れてください」

「おっと、ごめんねぇ。凛汰くん、歳はいくつ? 中学生? 高校生?」

「美月と一緒です」

「じゃあ、十五歳か。……ふうん。あ、記録してもいい?」

「は?」

 凛汰が思わず発した声を、三隅は承諾しょうだくの返事と見做みなしたらしい。ショルダーバッグから手帳とペンを取り出すと、さらさらと手帳に何事かを書きつけた。凛汰は、美月に視線で問う。美月は、苦笑いを返してきた。

「三隅さん、取材が大好きだから……見聞きしたことを記録することも、趣味みたいなものなんだって」

「職業病だな。俺の個人情報を集めたって、面白くないだろ。……三隅さんって、いつも手書きで記録してるんですか。スマホを使うほうが楽だと思いますけど」

「ああ、僕のやり方がアナログだと思った? でも、僕がスマホをいじる姿は、村の皆さんを不安にさせるみたいでねぇ。実はね、取材を許可してくださった海棠かいどう家との約束で、写真撮影はNG、記事にできないことも多いんだよ。もちろん、僕は約束を守るよ? 本当だよ? だけど、ほら、今の時代って、スマホで何でも世界中に発信できちゃうでしょ? ここは電波が届かないから、ウェブには何もアップロードできないけど、理屈では心の納得を得られないなら、ごうれば郷に従うしかないよねぇ」

「不便な思いをしてまで、どうして櫛湊村で取材をするんですか」

「僕の仕事って、そういう苦労だらけだよ? でも、今夜は待ちに待った〝姫依祭ひよりさい〟だからね。興味深い風習を取材できるなら、多少の不便なんて気にならないね」

「三隅さんも、〝姫依祭〟に参加するんですか」

「もちろん。君も、他人事じゃあいけないよ? 〝まれびと〟を歓待かんたいしてくれる〝憑坐よりましさま〟に、きちんと挨拶をしに行かないと。それが、礼儀ってやつなんでしょ?」

 三隅の意趣返いしゅがえしには気づいたが、凛汰は顔色一つ変えなかった。だが、三隅が「じゃあ、僕は〝姫依祭〟が始まるまで、宝探しに行ってくるから」と言って、凛汰と美月の間を通り過ぎたときは、さすがに理解に苦しみ、まゆをひそめた。

「宝探し?」

「たとえ記事には書けなくとも、個人的な知的好奇心ちてきこうきしんを満たしたいのさ。この櫛湊村には、掘り出し物の〝真実〟が、たくさん眠っているかもしれないからね……?」

 階段を下りかけた三隅は、おもむろに足を止めると「ああ、そういえば」と言って振り返る。タイルを残響ざんきょうが、うわんと耳鳴りのように尾を引いた。

「最近、取材道具のボイスレコーダーを紛失したんだ。録音と再生機能がついた、手のひらサイズの機器なんだけど、それらしい落とし物を見かけなかった?」

「私は、見かけませんでした。凛汰も、見てないよね?」

「ああ。俺も見てない」

「そっかぁ。まあ、村の取材では使えない持ち物だけど、大事な仕事道具だから、手元にないと困るんだよねぇ。……約束を守らない〝まれびと〟に、〝姫依祭ひよりさい〟の音声を録音させないために……この村の神様が、僕から取り上げたのかなぁ……?」

 不気味な独白どくはくを残した三隅は、階段を下りようとして、再び足を止めた。そして、凛汰をゆらりと振り向くと、底意地そこいじの悪い笑い方をした。

「君のお父さんに、改めてお礼を伝えてくれるかなぁ? ――『素晴らしい絵画をプレゼントしてくれて、ありがとう』ってさ」

「……。三隅さん。本当は、この村に何をしに来たんですか」

「やだなぁ、取材だよ。じゃあねぇ」

 へらへらと笑った三隅は、油彩画『楽園の系譜』で描画びょうがされた執念深しゅうねんぶかさの片鱗へんりんを引っ込めると、今度こそ階段を下りていく。カツン、とタイルを蹴る音が、ざっ、と砂地を踏む音に変わるまで、凛汰は沈黙を守り続けた。会話相手の脳内から、あらゆる言葉を手繰たぐり寄せて、隠し事を盗み取ろうとする手腕しゅわんには、舌を巻かざるを得なかった。

「……道化どうけよそおったものだな」

「三隅さんのことも、私は嫌いじゃないよ。私には、親切に接してくれるし……」

「そりゃよかったな。でも、あいつ。絶対に、ただの記者じゃないぜ」

「え?」

 きょとんとする美月に、凛汰は三隅から受け取った名刺を見せた。

「クソ親父が行方をくらましたときに、俺は手掛かりを探すために、東京の家を調べたんだ。そのときに、この名刺に書かれてるオカルト雑誌が、親父の部屋から何冊も出てきた。かなり古いバックナンバーまで、わざわざ取り寄せてたみたいだぜ」

「それって……嘉嶋先生は、三隅さんが記者として執筆しっぴつしてる雑誌のファンだった……なんて話じゃないよね」

「当たり前だ。何か理由があるに決まってる。二人の接点せってんは、何だろうな。オカルトつながりか……? 親父の絵は、悪趣味なものが多いから、胡散臭うさんくさい魔術に手を染めたとか、芥川龍之介あくたがわりゅうのすけの小説『地獄変じごくへん』よろしく、絵のために我が子を犠牲ぎせいにしたとか、黒い噂には事欠ことかかなかったけど……おい、真に受けるなよ。事実無根じじつむこんだからな」

「そ、そうだよね。嘉嶋先生は、優しい人なのに。疑ってごめんね」

 その評価には賛同しかねるが、ともあれ嘆息たんそくした凛汰は、三隅が出てきた二〇一号室の隣に向かい、インターホンを押した。

 鳥肌とりはだが立つほどびついた音が、フロア全体に響き渡る。三隅真比人みすみまひとと廊下で話し込む間、二〇二号室からは誰も出てこなかったので、予想通りの結果だ。凛汰は、まぎれもなく父の直筆じきひつで書かれた『嘉嶋礼司かしまれいじ』のプレートをにらみつけた。

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