1-6 まれびと

嘉嶋かしま先生、どこに行っちゃったんだろ。〝姫依祭ひよりさい〟には参加するはずだから、夜には会えると思うけど……」

 教員寮きょういんりょうを出ると、美月みづきが不安そうにつぶやいた。凛汰りんたも、元来た道をたどりながら、背後のアパートを振り返る。

「この建物、周りの民家よりは、造りが新しかったな」

「うん。元々は〝まれびと〟をもてなすための宿泊施設だったけど、昔ほど〝まれびと〟が来なくなって、みたいになっちゃったから、大柴おおしば先生みたいに外から来てくださった人も暮らせる場所として、リフォームしたって聞いてるよ」

「やっぱりか。あいつ、よそから来たんだな」

「もしかして、気づいてた?」

「元から櫛湊村くしみなとむらに住んでる人間なら、教員寮に入る必要はないからな」

 取り留めのない話をしながら、雑草が禿げた砂道を抜けたときだった。凛汰は、山に沿ってこちらに歩いてくる人物に気がついた。黒い学ラン姿の相手も、よそ者の存在に気づいたようだ。軽やかな足取りで、凛汰と美月の元まで走ってくる。

「わー、美月ねえが〝まれびと〟を連れて歩いてるってうわさ、本当だったんだ。エイプリルフールの嘘だと思ってたのに」

梗介きょうすけくん。こんにちは」

 美月が、気さくに手を振った。梗介と呼ばれた人物も「美月ねえ、やっほー」とアルトの声で返してから、つり目を丸く見開いて、凛汰をまじまじと見つめてきた。凛汰も、自分より少し低い位置の顔を凝視ぎょうしする。

「お前が、帆乃花ほのかの弟か。やっぱり双子ふたごだったんだな」

 油彩画『楽園の系譜けいふ』では、顔の上半分を両手で隠していた蛇ノ目梗介じゃのめきょうすけは――櫛湊くしみなと第三中学校で出会った蛇ノ目帆乃花と、瓜二うりふたつだった。ネコ科の動物を彷彿ほうふつとさせる双眸そうぼうも、冷めた雰囲気の眼差まなざしも、驚くほど似通っている。すっきりとうなじが見える短髪と、男女の差異さいを表す制服だけが、二人を見分ける目印だろう。

「私、凛汰に話したっけ? 帆乃花ほのかちゃんと梗介きょうすけくんが、双子だってこと」

「いや。だけど、美月は『中学校が統廃合とうはいごうでなくなる』って話したときに、『もうすぐ中学三年生になる人間が二人いる』って言っただろ。うち一人が帆乃花で、帆乃花には弟がいるって情報と組み合わせたら、双子だと考えて当然だ」

「へー、秀才? ご明察めいさつだよ。僕らは、異性一卵性双生児いせいいちらんせいそうせいじってやつ。帆乃花が姉で、僕は弟の梗介。別に、仲良くしてくれなくてもいいけど……あれっ?」

 梗介は、不思議そうに眉根まゆねを寄せた。それから、先ほどの三隅真比人みすみまひとのように、凛汰に顔を近づけてくる。

「君の顔って、僕と似てる?」

「そうか?」

「似てるよ。童顔どうがんだからかな。まあ、どうでもいいや。君の名前は、凛汰だよね?」

 童顔と言われた凛汰は、またか、と心の中で思う。とはいえ、嘉嶋志津子かしましづこ譲りの容姿ようしについて言及げんきゅうされても、特に悪い気はしない。「俺の名前まで、村じゅうに広まってるのか」と相槌を打つと、梗介は「まあね」と答えてニッと笑った。他者との距離感が近すぎるが、双子の姉の帆乃花よりは、社交性しゃこうせいそなえているようだ。

「〝まれびと〟をもてなすことは、村のおきてみたいなものだからさ。あんまり深く考えずに、凛汰はもてなされたらいいと思うよ」

「梗介も、俺のことを〝まれびと〟って言うんだな」

「うん。あれぇ、美月ねえ、まだ〝まれびと〟について説明してなかったんだ?」

「あ、そういえば……ごめんね。旅のお方を〝まれびと〟って呼ぶことに慣れちゃって、うっかりしてた」

「無理もないんじゃない? 慣れたって言っても、説明には慣れてないでしょ。美月ねえは、まだ村に来て一年もたってないし、一人目と二人目の〝まれびと〟も、美月ねえが東京から来たってことを、楚羅そらさんと浅葱あさぎさんに聞いてるから、村のことは他の人に訊いてたみたいだしさ。それに、凛汰も訊かなかったみたいだし」

「クソ親父おやじ捜しで忙しかったから、質問を後回しにしたんだよ。それなら〝まれびと〟の詳しい説明は、梗介に頼んでもいいか?」

「いいよー」

 さらりと快諾かいだくした梗介は、軽い口調とは裏腹に、立て板に水のごとく話し始めた。

「櫛湊村では、よそから来た人を〝まれびと〟って呼んでいて、コミュニティの外から現れた来訪者らいほうしゃに、食事や宿泊場所を提供して、おもてなしをする風習があるんだ。外の世界は、常世とこよと呼ばれる死者の国だという見方があって、常世に住まうご先祖せんぞ様が、現世うつしよで農作業に従事している人たちの元に現れて、暮らしを悪霊あくりょうから守ったり、人々に祝福しゅくふくを与えたりする……そんな思想が、日本には古くから存在するんだよ。でも、ご先祖様が現世うつしよ来臨らいりんされるのは、ものすごくまれなことだから、『まれびと』と呼ばれるようになったんだって。まれびとは『異人いじん』と形容されることもあって、日本には『異界からの来訪者を神様だと考える』思想もあるから、ご先祖様だけじゃなくて、村の外部から来た旅人も、来訪神らいほうしんとしてあつかわれるようになったんだ。……まあ、旅人が村にお金を落としてくれないと、経済的に立ちかないっていう村の事情もあるし、櫛湊村もこのケースに当たるけど、旅人をうやまう気持ちは確かだからね。そんな歴史は『まれびと信仰しんこう』として現代に伝わっていて、僕らがよそ者を歓待かんたいする理由にもなっているよ」

「……驚いたな。梗介、詳しいんだな。それに、説明にも慣れてる」

 凛汰は、素直に称賛しょうさんした。梗介は「これくらい、すらすら言えて当然だよ」と涼しく言ったが、目元を得意げに緩めている。

「蛇ノ目家は、海棠かいどう家の神事を代々補佐してきた家系だからね。帆乃花は興味ないみたいだから、僕みたいにしゃべれないけど。まあ、家督かとくを継いだのは僕だから、喋れなくたって構わないけどね」

 ――家督を継いだ。よわい十四歳にして当主になったということは、何か事情があるのだろう。今は追及ついきゅうひかえた凛汰は、「そうか」と答えて頷いた。

「俺を見た村人が、手を合わせておがんできたのは、まれびと信仰が理由なんだな」

 美術準備室の密談みつだんで、美月が『〝憑坐よりましさま〟は血筋ではなく家にく』と語ったことを思い出す。まれびと信仰が村に根付いているからこそ、東京から来た美月という『よそ者』でも、〝憑坐さま〟の巫女を引き継げるという理屈なのだろうか。村人があがたてまつる〝憑坐さま〟と、来方神〝まれびと〟について考察を進めていると、梗介が「ところでさぁ」と言って、凛汰にニコニコと笑いかけた。

「どうして凛汰は、その質問を今しようと思ったの?」

「どういう意味だ?」

「言葉通りの意味だよ。〝まれびと〟についての質問を、どうして今しようと思ったの? 凛汰って、僕に会うまでの間に、たくさんの村人たちと会ったよね? 君の道案内をしてる美月ねえに、海棠神社の楚羅そらさんと浅葱あさぎさん。さっき帆乃花のことを呼び捨てにしたってことは、帆乃花にも会ったよね。櫛湊第三中学校に行ったなら、クソ教師の大柴おおしばにも会ったはずだし、教員寮から出てきたってことは、記者さんにも会ったわけで……大勢おおぜいの人間が、君を〝まれびと〟って呼んだはずだよ? 質問の機会は何度もあって、後回しにする必要なんてなかったのに、どうして凛汰は〝まれびと〟について、今まで誰にも訊かなかったの?」

「……。訊くまでもないからだ。〝まれびと〟って言葉が、よそ者を意味していることくらい、文脈ぶんみゃくから明らかだったからな」

「ふうん。へえぇ。そうなんだぁ。……あはははは、はははははっ」

 梗介は、正気のたがが外れたような哄笑こうしょうを上げた。美月が、びくりと身体を震わせて「梗介くん?」とおびえた声でささやくと、梗介はぴたりと黙り込んだ。そして、仄暗ほのぐらい笑みを顔に貼りつけたまま、じいっと凛汰を見つめてくる。

「凛汰ってさ、僕が説明した内容くらい、とっくに知ってたんじゃない?」

「どうして、そう思うんだ?」

「さあ? でも、なんとなく……〝まれびと〟のことも〝憑坐よりましさま〟のことも〝姫依祭ひよりさい〟のことも、あらかじめ村のことを、徹底的てっていてきに調べ上げて、本当はぜぇーんぶ知ってたくせに、わざと僕に質問してるような気がしたからさ……」

 口角こうかくを吊り上げた笑い方は、油彩画『楽園の系譜』にえがかれた口元と同じだった。梗介は、ゆっくりと凛汰に肉薄にくはくした。だが、凛汰が一歩も引かずに、梗介を傲然ごうぜんと見下ろすと、小さな笑い声を立てて、あっさりと離れていった。

「エイプリルフールの嘘だよ。四月一日って、楽しいよね」

 そのとき、悪趣味な台詞せりふにかぶせるように、突然「梗介ぇ!」とアルトの声が割り込んだ。呼び声の方角は、教員寮の隣だろうか。当たりをつけると、すぐそばの山の中に、紺色のセーラー服と桃色のスカーフが垣間見えた。距離が開いている所為で、顔は全く見えないが、ショートボブの髪だけは、木々に隠されながらも視認しにんできた。

「〝姫依祭〟の準備に行くんでしょ! サボってないで、早く戻ってきて!」

 荒々しい罵声ばせいは、ひどく聞き取りにくかったが、櫛湊第三中学校で聞いた少女の声と同じだった。「分かったよ、帆乃花!」と叫び返す梗介に、凛汰は胡乱うろんな目を向けた。

「あいつ、なんであんな所にいるんだ?」

「僕らの家が、この小山の裏側にあるからだよ。僕も帆乃花も、家までの近道に使うときがあるんだ」

「そういう意味で訊いたんじゃない。あいつ、学校で補習を受けてただろ」

「ああ、大柴おおしばの補習なんか、すぐに終わるに決まってるよ。蛇ノ目家の人間が、今日の〝姫依祭〟の準備をサボるわけにはいかないんだから。それに、あのクソ教師、どうせ大したことは教えてないだろうしさ。……じゃあ、僕は行くね。祭りの準備に行く前に、足が悪い母親を、二人で迎えに行く約束をしてたんだ」

 ぶわりと風が吹きすさび、校舎の方角から淡紅色たんこうしょくの花びらを連れてくる。ハナカイドウの吹雪ふぶきまとった梗介は、くるりと凛汰を振り返ると、ニッと再び笑ってから、葉陰はかげに隠れたセーラー服に向き直り、気まぐれな猫のように走り去った。喪服もふくのように黒い学ランの背中を見送りながら、凛汰は顔をしかめて呟いた。

「あいつは年下だけど、さっきの記者と一緒で、一筋縄ひとすじなわではいかない奴だろうな」

「梗介くんは、たまに天邪鬼あまのじゃくなところがあるけど……基本的には、素直な子だよ。誰とでも仲良くできるし、私が村に来たばかりのときも、話し相手になってくれたもん。大柴先生に対しては、ちょっと当たりがきついけど、大好きなお姉ちゃんを取られたみたいで、寂しいんだと思う。……ねえ、凛汰。嘉嶋先生を東京に連れ戻すまでの間、村のどこを散策しても自由だけど、あの山の裏手にだけは、行かないで」

 美月の表情が、真剣なものに変わった。凛汰は、声を潜めて問いかける。

「帆乃花と梗介の家には、近づくなってことか?」

「うん。蛇ノ目家は、さっき梗介くんが説明した通り、海棠家の神事を陰日向かげひなたから支える家で、大昔は村の葬儀屋そうぎやでもあったんだって。村で生まれる全てのけがれを、率先して引き受ける家だから……蛇ノ目家の者以外は、しきたりで敷地には入れないの」

禁足地きんそくちってやつか。分かった」

 承諾しょうだくの返事をしたところで、凛汰は視線を感じて振り向いた。田畑の影にひそんだ老婆ろうばが、こちらの様子をうかがっている。既視感きしかんを覚えるながめだが、三人目の〝まれびと〟は嘉嶋礼司かしまれいじの家族だと周知しゅうちされたからか、一度目の老翁ろうおうのときのようにおがまれることはなさそうだ。逡巡しゅんじゅんした凛汰は、老婆の元へ歩き出した。

「こんにちは。嘉嶋凛汰と申します。父がいつもお世話になっております。この村の皆さんは、よそ者の俺たちを気に掛けてくれて、とても親切ですね」

 人好きのする笑みと、爽やかな口調を心掛けた。猫をかぶった凛汰の隣に、慌てて駆け寄ってきた美月が並ぶ。演技がこうそうしたのか、次期〝憑坐よりましさま〟の巫女候補こうほが同行している効果なのか、老婆は表情の硬さを軟化なんかさせた。

「さっきも、蛇ノ目梗介くんと話していたんです。俺と同年代なのに、彼はしっかり者ですね」

「……蛇ノ目家の息子のほうは、先代の当主の遺志いしを受け継いで、海棠家を助けようって気概きがいがあるからねぇ。ねっ返りの娘のほうとは、えらい違いだわ。有事の際には、きっとあの娘が〝憑坐さま〟に捧げる供犠くぎに……」

「くぎ?」

 凛汰が笑顔で訊き返すと、老婆は露骨ろこつに慌てて「美月ちゃん、今夜の〝姫依祭ひよりさい〟の準備は大丈夫かい?」と言って、かなり強引に話題を変えた。

「美月ちゃんが巫女を継いだら、楚羅さまもようやく肩の荷が下りるだろうねえ」

「楚羅さんは、さっき俺も会いました。この櫛湊村で、巫女を長年務められておられる方ですよね。十八年、でしたっけ」

 美月が返事をする前に、凛汰が言葉をすべり込ませた。老婆は泡を食っていたが、若者わかものが神事に興味を示したことは嬉しいのか、先ほどよりも心を許した態度で「ええ、そうよぉ」と答えてくれた。

「楚羅さまご自身は『巫女の務めを満足に果たせていない』と謙遜けんそんなさっているし、残念ながら子宝こだからにも恵まれなかったけれど、そんな楚羅さまを責める人間は、櫛湊村には一人もいないよ。何しろ、若い娘に巫女をたくそうとしても、どの娘も〝憑坐さま〟のお気にさなかったみたいでねぇ。神様にお仕えしている楚羅さまの跡を継ぐために、こうして美月ちゃんが来てくれて、みんな本当に喜んでいるからねぇ」

「あ……ありがとう、ございます……」

 美月が、ぎこちなく笑った。傾聴けいちょうしていた凛汰は、かぶっていた猫を脱ぎ捨てると、ボストンバッグを肩に提げていないほうの手を伸ばして、美月の腕をぐいと引いた。

「行くぞ」

「え? ちょっと、凛汰……」

 美月が、戸惑いの声を上げた。呆気あっけに取られる老婆を田畑に残して、凛汰は美月を連れて畦道あぜみちを進む。引きずられるようにして歩く美月が、おずおずと訊ねてきた。

「気になることは、もう質問しなくていいの?」

「ああ。クソすぎてイラついたから」

「何それ、子どもみたい」

 背後で、小さな笑い声がはじけた。ばつが悪くなった凛汰は、美月をにらむために振り返る。その拍子ひょうしに、西日を浴びる教員寮と、禁則地きんそくちを隠す山が目に入った。

 蛇ノ目きょうだいの姿は、森の中から消えていて、木の葉だけが風に揺れている。

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