1-4 託宣の油彩画
美術室に入ると、
「
振り返って問う美月の目には、
「一流の画家として、
「人の心は……あると思う。だって、嘉嶋先生は、東京に息子がいることを、私たちに話してたんだから」
「それだけか?」
「え?」
「嘉嶋礼司には、東京に息子がいる。それ以上の情報を、親父は誰かに
「……ううん。凛汰の名前も、年齢も、私たちは知らなかった。小さな村だから、もし嘉嶋先生が誰かに喋ってたら、みんなに伝わってたと思う」
「そうか」
凛汰が
美術準備室は、想像よりも
室内の
その油彩画には、夜を塗り込めたような
絵に
美月から少し距離を開けた隣には、セーラー服を着た
少年少女の真後ろには、先ほど会話した
――気味が悪い絵だった。
「クソ親父の奴、一体どういうつもりなんだ……?」
そして、そんな礼司の隣には、見覚えのある少年が
「タイトルは、キャンバスの裏に書いてるよ」
美月が、神妙な声で言った。凛汰は、無言でキャンバスを持ち上げて、油彩画の裏側を覗き込む。鉛筆で書き込まれたタイトルを、
「……『楽園の
「誰にも分からないの。でも、〝
「巫女の美月には悪いけど、俺には共感できない思想だな」
「気にしないで。私も……ここが楽園だとは、思えないから」
美月は、凛汰を見つめた。美術準備室の
「この絵を見たことがある人は、凛汰と会ったときに、
「別に、これは予言なんかじゃない」
小声で吐き捨てると、美月は不思議そうな顔をしたが、気を取り直した凛汰が「絵は、いつからここにあるんだ?」と訊ねると、「先月」とすぐに答えてくれた。
「嘉嶋先生が、この絵を描いてた時期に、二人目の〝まれびと〟が村に来たの。嘉嶋先生が一人目の〝まれびと〟で、凛汰は三人目の〝まれびと〟だよ」
「二人目の〝まれびと〟は……こいつか」
凛汰は、絵に描かれた丸眼鏡の男を
「うん。その人は、
「絵の持ち主? いや、そもそも東京の記者が、なんでこんな
「村の伝統行事に興味があって、取材のために通ってるの。三隅さんは、嘉嶋先生が暮らしてる
「……クソ親父が村人たちに嫌われた理由は、
「えっと……
「
「いないよ。本心は、燃やしたいくらいに嫌だと思ってるはずだけど……この絵が〝まれびと〟の三隅さんの所有物で、三隅さんが『村に
「……へえ。早まって焼き捨てなくてよかったな。この絵、相当な値がつくぞ。弁償金は、この村を潰すくらいの
「そ、そんなに……?」
「村人の忌避感と反発なんか、俺にとってはどうでもいい。この絵には、鑑賞者の魂を〝向こう〟へ連れ去ろうとする引力がある。それに、何らかのメッセージが込められていると見て間違いないな。人物を横並びで
「あ、悪人面って……」
「美月のことを言ってるわけじゃない。お前は、普通の人間として描かれてるだろ。あと、俺もな。その理屈が正しいなら、親父が『ユダ』として
「裏切り者……仮にそんな人がいたとして、その人が私たちをどう裏切るのか、私には想像もつかないけど……凛汰って、絵のことになると楽しそう。『一流の画家を目指す』って言葉、本気なんだね」
美月は、なぜか嬉しそうに微笑んだ。不意打ちを食らった凛汰は、「当然だ」と応じてから、改めて美月に問いかける。
「なんでこんな絵を描いたのか、親父には
「うん。この絵の場所、海棠神社の
「神の啓示なんて、嘘っぱちだ。村人が
「楚羅さんも、そう言ってた」
「楚羅さんも?
「あ、うん……現在〝憑坐さま〟の巫女を
「一人で、十八年も?」
「うん。十八年の間に、新しい巫女を〝姫依祭〟で何人も立ててきたけど、誰も長続きしなかったんだって。十九年前には、大きな事故もあったらしくて……」
言葉を
「ここから先の話は、絶対に秘密ね。凛汰って、気になったことは村の皆さんに
「なんで、村人に訊いて回ったら駄目なんだよ」
「……昔の櫛湊村には、私みたいに海棠家の養女になった、
――行方不明。凛汰は「経緯は?」と質問したが、美月は首を横に振った。
「その日は雨が降っていて、睡依さんは荒れ狂う海に身を投げた……ってことは聞いてる。でも、当時を知る村人は、あの事件を思い出したくないから、過去のことは訊かないで……って、私が海棠家に来てすぐの頃に、浅葱さんと楚羅さんに言われたの。他に、私が睡依さんについて知ってることは……十九年前の〝姫依祭〟で、睡依さんのお姉さんが、〝憑坐さま〟の巫女に選ばれたことくらいかな」
「つまり……楚羅さんにとって、
「そうだよ。〝憑坐さま〟の巫女を務めた期間は、とても
「〝姫依祭〟と、姫依……」
村の伝統行事にあやかって、神事の名前を娘に与えたのだと推測できるが、どうにも不吉な印象を
「海棠家って、私みたいな養女が多い家なんだって。神事を続けていく使命を持つ家だから、子孫と巫女を
「だからって、外部の血を取り入れていいものなのか?」
「大丈夫だよ。〝憑坐さま〟は、
美月は、語り疲れた顔で笑った。美術準備室を出ようとする背中で、長く伸ばした黒髪が揺れる。きっと美月は、凛汰が知らず知らずのうちに村人たちの怒りを買わないように、己の知識を分け与えてくれたに違いない。
十五歳の少女に、これほどまでに気を使わせる村は、少なくとも凛汰にとって、やはり楽園には程遠い。美術準備室を出る前に、村の真実を
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