1-11 美月の決断

「美月。親父をさがして森を歩いたときに、お前は俺に言ったよな。自分が村のみんなから可愛かわいがられるのは、次期〝憑坐よりましさま〟の巫女候補だからだ、って。自分は海棠かいどう家の養女として見られているだけで、美月自身を見てもらったわけじゃない、って。――それが、答えだろ。お前は、本当は気づいてるんだよ。この場に集まった連中が、美月を必要とする理由は、美月が『儀式に臨む者』にてきしているからなんかじゃない。自分たちの身代みがわりが欲しいからだ、ってな」

「身代わり……」

 美月が茫然ぼうぜんと呟くと、凛汰の隣でまたしてもククッとわらい声が上がった。一度目に嗤ったときから、成り行きを見守っていたのだろう。凛汰が視線で促すと、三隅みすみは面白がるように笑みを深めて、凛汰に加勢かせいしてくれた。

「美月ちゃんさぁ、『供犠くぎ』の意味を知らないでしょ。普通は知らないよねぇ、十五歳の女の子の日常に、こんなにも血生臭ちなまぐさい単語が出てくるわけがないんだから。――『供犠』はね、『犠牲ぎせい』を『おそなえする』って書くんだよ。神様に生贄いけにえをお供えする儀式、またはその生贄を指す言葉でね、『人身御供ひとみごくう』っていう古風こふうな言葉もあるよ。楚羅そらさんたちも人が悪いよねぇ。『儀式に臨む者』って言い回し、誰が最初に提案したの? こらえきれなくて笑っちゃったよ」

 美月の顔が、真っ青になっていく。槍玉やりだまげられた楚羅は、俯いた。緋袴ひばかまを履いた太腿の上で、握りこぶしが震えている。三隅は、なめらかな口調で暴露ばくろを続けた。

大柴おおしば先生も、自分におはちが回ってきたときに、生贄を回避しようと必死だったねぇ。そういうみにくい押しつけ合いの所為で、美月ちゃんを供犠くぎにしようと団結だんけつする流れができたよね。教え子をおとしいれた件について、今の気持ちを聞かせてくれる?」

 手帳とペンを構えた三隅の隣で、大柴誠護おおしばせいごも「僕は……そんなつもりじゃ……」と消え入りそうな声でうめき、正面の美月の視線から逃れるように、俯いた。背を丸めた教師の醜態しゅうたいを、三隅は堂々と嘲笑あざわらうと、身を固くしている美月に向き合った。

「この村の人たちはね、美月ちゃんに供犠を引き受けてほしくて、姑息こそくにも『生贄』の事実をせたり、冷静に考える時間を奪って急かしたり、それはもう見苦しい努力をしていたわけさ。もはや詐欺さぎだよねぇ。どう? 自分の置かれた状況が分かった?」

「よそ者はだまれ!」

 激昂げっこうした村人たちが、立ち上がった。〝姫依祭ひよりさい〟で見た般若はんにゃの面のような顔で開き直り、本性をさらけ出している。「なんてことをしてくれるんだ!」「美月ちゃん、だまされちゃいけないよ、あんたは村のお役に立てることをほこりに思え!」「ここで役に立たなければ、今までの努力が水の泡だ!」と立て続けに発せられた罵声ばせいを受けて、美月の表情が痛々しい歪み方をした。凛汰も、座布団から立ち上がった。

「うるせえよ」

 つとめて冷静に一喝いっかつすると、静寂が束の間もどってきた。再び文句が湧く前に、前へ進み出た凛汰は、美月を生贄に推そうとしていた全員の顔を見回した。

「美月から聞いたぜ。櫛湊村くしみなとむらでは『若い娘に不幸が相次あいついだ時期』があって、『楚羅さんが〝憑坐さま〟の巫女を務めてきた十八年の間に、新しい巫女を何人も立ててきたけど、誰も長続きしなかった』ってな。そこの婆さんも言ってたよな。『どの娘も〝憑坐さま〟のお気にさなかった』って。なあ、この村で若い娘たちが死んでいったのは、〝姫依祭〟で〝憑坐さま〟の巫女をがされた所為じゃないのか?」

 村人たちは、凛汰からことごとく目を逸らした。凛汰は、俯く楚羅に視線を定めた。

「十八年もの間、ただの一人も巫女を続けられないなんて、そんなことが起こり得ると思うか? 絶対に、裏があるに決まってる。この怪しさの理由を、ひとまずお前らの思想にのっとって『〝憑坐さま〟の巫女に選ばれた者には、心身に負荷が掛かるのが通常で、楚羅さんには例外的な適性てきせいがある』と仮定かていしてやる。馬鹿馬鹿しい推理だけど、美月も〝姫依祭〟で気絶してたしな」

 美月の件に関しては、嘉嶋礼司かしまれいじの死体を見たショックなのか、楚羅が先ほど口にした〝かみがかり〟とやらが原因なのか、今はまだ判断できない。それでも、糾弾きゅうだんの材料にできるものは何でも使って、謎をあばくことに専念した。

「楚羅さん。もし美月が死んだら、〝憑坐さま〟の巫女は、あんたに戻るのか?」

「……ええ。〝姫依祭〟に参加した者は、〝憑坐さま〟の巫女になる資格を得ます。美月が果たせないお役目は、同じく資格を有する私に、自然と推移することでしょう」

「なるほどな。お前らが美月を供犠に選んだ理由が、読めてきたぜ。〝憑坐さま〟の巫女を継いだ美月も、歴代の巫女たちのように、長続きせずに死ぬかもしれない。それなら、短命の可能性がある美月は、ここで生贄として使い捨てて、確実に巫女を務められる楚羅さんに、引き続き〝憑坐さま〟の巫女をやらせようって魂胆こんたんだな」

 楚羅は、まだ顔を上げない。引き結んだ唇のべにに、涙が流れた。父が死んでから楚羅が泣き続けているのは、美月を供犠にささげる未来を予見して、覚悟を決めていたからだろうか。同情する気にはなれないので、凛汰は追及の手を緩めなかった。

「お前らにとって美月は所詮しょせん、東京から来たよそ者だしな。口では〝まれびと〟をうやまっていても、いざというときには平気で切り捨てられるんだな」

「黙れと言ってるだろう!」

 老翁の一人が、凛汰に掴みかかった。しわだらけの手が首元を圧迫あっぱくしたが、凛汰は相手をめつけて啖呵たんかを切った。

「そのまま殺してみろよ。俺は〝まれびと〟なんだろ? 俺を殺せば、お前らだってただじゃ済まないはずだ。三隅さんから聞いたぜ。『十九年前の〝姫依祭〟が終わってからしばらくは、多数の死者・行方不明者が出て、〝憑坐さま〟のたたりだなんてうわさされた』ってな。この村の連中も、さっき『十九年前の再来』って抜かしてたしな。――お前ら、人殺しは初めてじゃないんだろ? 十九年前の〝姫依祭〟でも、村に滞在していた〝まれびと〟を死なせて、村から供犠を差し出したんだな……?」

 凛汰の首元から、手が離れた。歯噛はがみした村人に、凛汰は言い募った。

「それだけじゃない。お前らは、歴代の巫女たちが〝姫依祭ひよりさい〟で〝憑坐さま〟の巫女を継いだ所為で、楚羅さんを除いて死んだ歴史を、美月に黙ってやがったな……?」

 村人たちは、ばつが悪そうに余所見をした。だが、中には先ほどの老翁のように逆上ぎゃくじょうする者もいて「供犠を選ばなければ、〝憑坐さま〟がじきじきに、我々の中から選ぶんだぞ! そうなれば、何人連れていかれることになるか!」と言い訳したので、凛汰は即座に「ふざけるな」と切り捨てた。

「〝憑坐さま〟が、本当に生贄を求めているなら、前途ぜんとある若者よりも、美月の何倍も生きてきた上に、人殺しまでしてきたお前らが、運に任せて死ねばいいだろ。十五歳の女子に、大人たちが雁首がんくび揃えて死ね死ね死ね死ねせまってるのが、反吐へどが出るほどダッセェなって言ってるんだよ、クソ共が!」

 天井の広い大広間に、凛汰の罵倒ばとうが反響する。村人たちの眉が怒りで吊り上がり、一触即発いっしょくそくはつの空気が流れたが、浅葱あさぎが「〝まれびと〟への無礼ぶれいは、つつしむように」と告げたから、凛汰は発言を許されたと解釈して、文句をさらに繋いでいった。

「美月が、村に馴染なじむために勉強してきたことを、お前らは知ってるはずだ。でも、お前らは美月に嘘を吹き込んで、正しい知識を与えなかった。……この村の一員として、ここで生きていくために、物狂ものぐるいで努力して、人を好きになろうとしてきた人間に、死ねと平気で言える奴なんか、人間を名乗る資格はねえよ。お前らは全員、人間の皮をかぶった化け物だ」

 言い返す者は、誰もいなかった。代わりに、パチパチと拍手はくしゅが聞こえた。音源を振り向くと、蛇ノ目梗介じゃのめきょうすけがニコニコしていて、無邪気な視線を寄越よこしてくる。

「へー、やっぱり秀才しゅうさい? 一日の滞在で、そこまで分かっちゃうんだ?」

「梗介。俺と会ったときに、まれびとのことを『来方神らいほうしん』だと言ったよな?」

 梗介は、素直に頷いた。挑戦的な笑みで「それがどうしたのさ」と訊ねる少年は、凛汰が選んだ会話運びを、どうやら察しているらしい。首肯しゅこうだけを返した凛汰は、話し相手を三隅みすみに変えた。

「三隅さん。〝姫依祭〟のときに、憑坐よりましとは『神霊のしろとなる人間』を指す『現人神あらひとがみ』だって言いましたよね」

 三隅も、すんなりと頷いた。「言ったねぇ」と認めた顔は、先ほどの梗介と同様に、きっと凛汰の意図を見抜いている。確認を済ませた凛汰は、次に美月を見た。

「美月。櫛湊第三中学校の美術準備室で、親父の絵を見たときに『憑坐さま〟が関わることは、〝憑坐さま〟のお声を俗世ぞくせに伝える巫女のほうが、宮司ぐうじよりも立場が上に扱われる』って言ったよな? 現に、浅葱あさぎさんはこの場を仕切らずに、話し合いの進行を楚羅さんに任せてるから、確認するまでもないけどな」

 凛汰が、油彩画『楽園の系譜』を美月の手引きで見たことを、もう隠す必要はないだろう。美月は、まだショックから立ち直れていない様子だが、話し掛けられて正気に返ったのか、おっかなびっくり頷いた。凛汰は、問いを畳みかけた。

二柱にはしらの神に、序列じょれつはあるのか?」

「そんなこと……考えたこともなかった。でも、〝憑坐さま〟は〝まれびと〟を歓待かんたいする立場だもん。だから、きっと……でも、どちらも大切な存在だよ」

 美月は、楚羅の顔色をうかがった。赤い目を伏せている楚羅は、何も言わない。沈黙を肯定と受け取って、凛汰は結論を宣言した。

「つまり、この場には『現人神あらひとがみ』が二人いるわけだ。〝憑坐さま〟の巫女である美月と、来方神〝まれびと〟である俺は、村人のお前らよりも、宮司の浅葱さんよりも、もう〝憑坐さま〟の巫女じゃない楚羅さんよりも、立場が上だ。神様を部外者扱いはできないから、俺をこの場に同席させたってところか?」

「凛汰くん、僕を忘れてるよぉ。『現人神』は三人に訂正しておいて」

 三隅が、くだらない要求をしてきた。凛汰は「そうでしたね」とざつに応じてから、村人の反応を確かめる。腹立はらだたしげに凛汰をにらむ住人たちは、何も反論してこない。好都合なので、凛汰は溜め込んでいた言葉を吐き出した。

「だいたい、嘉嶋礼司かしまれいじ殺しの犯人について、誰一人として言及げんきゅうしないのが気に入らねえな。電話線を切断して、村を外界から遮断しゃだんしたのも、親父の胸にくいを打って、木船きぶね帆柱ほばしらくくりつけたのも、〝憑坐さま〟の仕業しわざなんかじゃない。人間の所業だ。警察の介入かいにゅうを嫌ったのは、仕切り直しの〝姫依祭〟を、誰にも邪魔させないためか?」

 美月が、愕然がくぜんの顔で「電話線が……?」とささやいた。のんきに笑った梗介が「そうだねー。僕らは、邪魔されたくないよ」と、全く悪びれずに返事をした。

「さっき村の人が言ったように、誰かを供犠に選ばないと、僕らよりも先に〝憑坐さま〟が選ぶんだ。警察が〝姫依祭〟を妨害したら、かえって犠牲が増すかもね」

「どうしても、誰かを供犠に選ぶって言うんだな?」

「うん。〝憑坐さま〟をうやまっていても、運で死にたい人はいないからね。凛汰と記者さんには悪いけど、〝姫依祭〟が終わるまでは、櫛湊村から出さないよ。外部の人間を呼ばれたら困るからさ」

「……。それなら、俺は。この村に閉じ込められている間に、嘉嶋礼司殺しの犯人を見つけ出して、お前らの前に突き出してやる」

 梗介は、凛汰の意図を読んだらしい。にんまりと嫌らしい笑い方をした。

「それってさぁ……『この状況を作った〝まれびと〟殺しの犯人を、新しい供犠の候補として提案するから、今は供犠を選ぶのをやめろ』ってことだよね?」

「へえ、そう解釈かいしゃくしたのか? どう受け取ろうが自由だけどな、俺の役目は『親父殺しの犯人を突き止める』までだ。イカレた儀式の片棒かたぼうなんか、絶対にかつがない。犯人がわかったあとは、治安ちあんがクソッタレな寒村かんそんから脱出して、警察に通報してやるからな。いま俺が言ったことを、全部果たしたときには……美月。お前がどうするかは、お前が決めることだ。それを承知の上で、言いたいことがある」

 凛汰は、美月の正面に立った。美月は、光を失くした目で凛汰を見上げた。大勢の人間に死を願われたのだから、深く傷ついて当然だ。美月が供犠に選ばれかけた瞬間から、言おうと決めていた台詞せりふを、凛汰は迷わず口にした。

「櫛湊村を捨てて、俺と来い」

 美月が、瞠目どうもくした。暗い瞳に、光が戻る。凛汰は、淡々たんたんと言葉を重ねた。

「美月は、俺に道案内をしたときに『ハナカイドウの実は、見たことも食べたこともない』って言ったよな。このままだとお前は、村のハナカイドウが実をつける前に、こいつらに殺されるぜ。ここで無知なまま死ぬことに、お前は納得してるのか? ……してねぇだろ。これっぽっちも。生きる気があるなら、俺と来い。こいつらが隠した知識は、俺がお前に与えてやる。こんなクソ因習村いんしゅうむらを、お前の居場所にする必要なんか、皆無だ」

 美月の瞳が、葛藤かっとうで揺らぐ。美月が櫛湊村に来た経緯けいいを思えば、再び天涯孤独てんがいこどくの身となることに、躊躇ちゅうちょを覚えるのは当たり前だ。凛汰は、美月に右手を差し伸べた。

「お前をそそのかして、居場所を捨てさせる責任くらいは、取ってやる。お前が、誰にも進路を強制きょうせいされずに、自分の居場所を、自分で選べるようになるまでは……俺が、お前の居場所になってやるよ。親父の遺産いさんで二人くらい、なんとか生きていけるだろ。俺が美月の視点を学ぶことは、親父の遺言ゆいごんでもあるしな」

 美月の目から、涙が零れた。電灯を反射する瞳に、淡紅色たんこうしょくの揺らぎがまぎれている気がしたが、ともあれ――濡れた睫毛まつげを伏せた美月は、まなじりを決して顔を上げると、凛汰の手を取り、立ち上がった。

「私は……凛汰に、ついていく」

 絶望のどよめきが、大広間をめぐった。「美月ちゃんっ」「美月さま、どうして」「罰当たりな! 拾われた恩を忘れたか!」と、非難のやいばが向けられたが、美月は歯を食いしばってえている。そして、旧約聖書きゅうやくせいしょの『創世記そうせいき』で、無知で無垢むくだったはずのイヴが、あるときへびそそのかされて、林檎りんごという知恵の実をかじり、善悪の知識を得たことがきっかけで、楽園らくえんを追放されたように――耐える生き方をやめて、新たな一歩を踏み出すように、涙の名残なごりを散らして言い切った。

「私は、死にたくない! 生きたい! 私の言葉が、〝憑坐さま〟の言葉なら……皆さんは、私の命令に従う義務があります。どうか、供犠を選ばないで。私も……嘉嶋礼司先生を殺した犯人を、凛汰と一緒に見つけるから」

 命懸いのちがけの言挙ことあげを聞いた三隅が、口笛を吹く。隣の大柴は、ろうのように白い顔をしていた。梗介は、かげのある笑みを見せていて、楚羅は、静かに泣き崩れた。寡黙かもくつらぬいていた浅葱は、ほのかな安堵の表情をのぞかせたようだが、はらの内は読めなかった。

 父を殺した犯人は、この中にいるのかもしれない。一人ずつ観察した凛汰は、最後に隣の美月を見る。美月は、よほどの勇気を振りしぼったのか、表情には緊張と恐怖がにじみ出ていたが、瞳から迷いは消えていた。

 気障きざな父とは違って、両手の親指と人差し指で、フレームを作ることはしないが――凛汰は、美月と海棠神社で出会ったときのように、口のり上げて笑ってから、故人こじん台詞せりふをなぞってやった。

「いい顔だ」



― 第1章 知恵の実 <了> ―

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