埋まりつつある空白

 メガネの光輪の輝きが直視出来ないほどの強烈さになり、いよいよ死の気配が臨界点に到達した瞬間。

 黒い影のようなものが、ほんの一瞬で視界に飛び込む。

 黒い影は恐ろしい速度でメガネの背後を抜き去り、メガネの首は胴体からあっという間に切り離された。

 メガネの眼鏡は弾け飛び、生首がごろごろと地面を転がり、胴体は力なく膝をつく。

 が、胴体から噴き出した血が触手のように伸びると、転がった頭を探してあちこち動き回るのだった。

 オーバーヘイローレベルの再生能力は、首を落としただけでは絶命に至らないらしい。


「キモすぎ!」


 突然現れて俺の九死を救った黒い影は、メガネのグロテスクな再生触手を見ると、思わずそう叫んだ。

 聞き覚えのある声。見覚えのある顔。右手にはメガネの首を落とした刀。


「お前は……あの時の?」

 

 彼女は先日俺がテロリストから救ったパンク少女だった。

 どういう訳か、あの時のドールが俺を救ったのだ。

 彼女は俺の首根っこを掴むと、途轍もない跳躍力で高架上の線路に飛び乗り、電車の線路を突っ走るのだった。

 人間の脚力を遥かに凌駕する速度で走りながら、俺と自身の肉体に光学迷彩を施し、あっという間に一駅、二駅を駆け抜ける。

 間もなくメガネが復活する事を知っているのだろう。追撃から全力疾走で逃げているのだ。

 数十キロメートルは走っただろうか、徐々に彼女の疾走が緩やかな速度に落ちていくと、高架を飛び降りてごろごろと転がり、迷彩を解除する。

 少女はぜえぜえと肩で息をしていたが、やがてゆっくり体を起こし、道端に吐瀉物をまき散らした。

 様々なスクロールを使用した体への負荷が、彼女の体にダメージを与えているのは明白だった。

 だが、そのおかげで俺は命拾いをした。

 山のような疑問を抱えつつも、俺は彼女の呼吸が落ち着きを取り戻すのを待った。

 十分ほど経っただろうか、彼女はゆっくりと体を起こすと、口元と目元を拭って一度大きなため息をついた。


「……私よ。クー・シーよ。記憶無くなってんでしょ」


 俺は頷いた。あの時のドールが、例のクー・シーだった。

 

「助かった。でも、馬鹿な事をしたな。生徒会を敵に回すなんて」


「それが命の恩人に対する言葉? でもまあ、これで信じてくれた? ……それに、これは私個人の問題よ。生徒会の連中に対してのね」


 クー・シーは遥か遠く、メガネが居たであろう方角に向かって中指を立てた。


「記憶を無くしたあんたに面倒くさいけど説明すると……あんたに救われて、私は魔法学園へ入学する事になった。けど、ちょっとしたイザコザで初日には生徒会の連中に目をつけられたの。

 みんなの前で赤っ恥をかかされたから。内容は言わないけど、とにかくムカついた。

 アフターケアをしてくれてた壁子に愚痴ったら、あんたが仕事で生徒会に近づける人間……つまり、学園内部の人間を探してる事が分かった。

 私たちは利害が一致したってわけ。あんたは仕事に私を利用し、私も復讐にあんたを利用する。何せ、あの“データ”を盗んでやったんだから」


「あの“データ”ね。どの“データ”だ?」


 クー・シーは、何も知らない俺に対して、やれやれ、というジェスチャー。

 でも、知らないものは知らない。


「……しかし驚いたな。いつの間にあんなにスクロールを使いこなしてたんだ?」


「元々の作戦でしょ……って、そうだ。知らないんだ。あーっ、めんどい!

 ……今回の敵は生徒会。生徒会とマトモにやりあっても勝ち目は無い。首を落としてダッシュで逃げる、その為に必要なスクロールだけをこの数日で叩き込んだの。大したもんでしょ」


 それは大したものだ。上出来過ぎるぐらいだ。

 練習しなければ制御できずに事故死するのが関の山だ。


「やっと腑に落ちてきた。それで俺は……記憶を失うまでの俺は、君とエーテルビジョンの通信を行わなかったのか。

 生徒会の連中なら魔法協会のターミナルを傍受するぐらいやりかねない。通信を行うと、その位置情報で居場所を特定されるからな」


 そうよ、とクー・シーは言った。


「私の手引きであんたがデータを盗んだけど、運悪くメガネのグループに見つかったの。そこから作戦が狂い始めた。あんたとは全然連絡つかないし、完全にぶっ殺されたと思ったわ……。

 あんたが生きてるなら、壁子も生きてるかもしれないわね」


 当然、壁子も追われているなら、位置情報がばれないようにクー・シーとは連絡を取らないだろう。

 他の連絡手段もまずい。スマートフォンの通信なんて、“技術”の前では筒抜けも同然だ。


「……俺は一体、何のデータを盗んだんだ? それも誰かに盗まれちまっているみたいだが……俺の五日間の記憶と一緒にな。

 たった五日記憶が無いだけで、俺が俺じゃないみたいだ。記憶を失うぐらい飲んだ事はあるか?」


「私、いくつに見える?」


 クー・シーは気の抜けた声で言った。

 もちろん冗談だ。


「とにかく、壁子とも合流して、お互いの情報を纏めよう。じゃないと、何が何やら……そうだ。何か武器は無いか?」


 訝しげな顔をして、クー・シーは俺を見た。

 

「武器?」


「メガネみたいなオーバーヘイロー級が相手だと、俺はエーテルが使用できないんだ。

 周りのエーテルの流れが全てあいつの引力に引き込まれるせいでな。

 まあ、使用できたところで何が出来る訳でもないが……丸腰はさすがに心許ない」


 クー・シーは一瞬何かを思案し、確かにね、と呟いた。


「あんたが私に預けた拳銃だったら、ここにあるけど」


 彼女は懐から取り出したM1911を、俺に差し出す。


「ああ……そっか。俺が君に渡したのか」


「そうよ。必要ないって言ったのに」


「ありがとう。悪いな。

 ……ところでクー・シー。今日はidiotじゃないんだな」


 拳銃を受け取りながら、俺は彼女に尋ねた。

 クー・シーは学園指定のジャージを着ていた。

 俺が言ったのはもちろん、初めて彼女と出会った時のTシャツの事だ。

 壁子を傷つけてしまったと勘違いした彼女が、自分をidiotバカだと指差したあのTシャツ。

 

「なに。idiotって。バカってこと?」


「idiotだよ」


「だから、なんのことよ」


 俺は即座に拳銃のスライドを引き、クー・シーの顎に銃口を突き付けた。

 そして、微塵も躊躇わずに引き金を引く。

 え? という表情のまま、彼女は盛大に脳漿をまき散らした。

 完全に虚を突かれたのか、クー・シーはスクロールで防御をする暇もなく、頭部を貫いた銃弾によって絶命したのだった。

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