魂の一意性

 翌日、俺はとある居酒屋でチョンウと言う男と会った。

 彼は俺とは昔馴染みの業者で、自分の事を宠物商店ペットショップと呼んでいた。

 彼の仕事は先日の少女ドールを見つけて我々猟犬に情報を提供すること。少女はチョンウを通じて魔法協会に保護され、チョンウの手元には幾らかの報奨金が提供される。

 その一部が俺たちにも渡される訳だが、詰まるところ魔法の秘匿を口実に行われる人身売買で、決して褒められた生業ではなかった。

 それでも、テロリストに人格を剥ぎ取られ、肉体を乗っ取られるよりはいくらかマシなはずだと、俺たちは自分を正当化している。

 そのテロリストが居なければ、俺たちはロクに食い扶持もないのだけれど。


「チョンウ、俺と壁子は次で終わりだ。もう壁子は限界だ」


 俺が言うと、チョンウは不思議そうな顔をした。


「終わりって? 魔法少女の感応力が無くなった?

 それとも体が駄目になった? 目玉とか」

 

 チョンウは魚の煮付けの目玉をほじる。


「そうなる前に手を引きたい」


 俺の言葉に、チョンウは乾いた笑みを浮かべた。


「いやいや。まだまだこれからじゃないの。僕のパートナーだった魔法少女は、五感全部失ってもまだ戦ってたよ。エーテルが五感の代わりになるんだから、何の問題も無いって」


「それじゃまるで中毒者だ。魔法が無いと生きられなくなっているだけだ」


「進化だよ。人に五感は必要無くなっただけさ。飛ばないことを選択したペンギンのように」


「その人はまだ生きているのか?」


「生きてるよ。ここに」


 チョンウがポケットから取り出したのは、金属で出来たUSBメモリだった。


「このUSBメモリの中身は分子を記憶素子にしたメモリでね。彼女の脳に保持されていた情報……即ち、魂をこの中に保存しているんだ。

 テロリストの連中みたいに罪の無い女の子の肉体を乗っ取る訳にはいかないが、いつか近い将来、魔法少女の“スペアボディ”が作られるようになるはずさ。少なくとも、僕はそう信じてる。肉体の不平等さを解決しなければ、“技術”が世界を不均衡に陥れる原因をいつまでも解決できない」


「夢のある話のように語るが、俺にはディストピアにしか聞こえないけどな」


「ユートピアもディストピアも、順応するのはその人自身さ。未来を否定するほど、君は今の生活に順応しているのか?」


「順応しない自分を肯定して生きてるんだよ。

 ……そもそもが、未来がそう理想通りになるとは思わないほうがいい。“技術”を過信しない方がいいぞ。昨日の敵もそうだったが、人格移植の精度はまだまだ低く、テロリストの連中の殆どは理性を失っているようだ。魔法を持ってしてそんな簡単な事じゃないんだよ、意識の上書きなんて。気の毒だが、その分子メモリには……一体、“どれぐらいの解像度”の君のパートナーが居るのか、分かったもんじゃないぞ」


 分子メモリをポケットに仕舞いながら、チョンウは首を横に振った。


「でも、好奇心はあるだろう? 人間が人間たらしめる基礎的な習性、性質、性格、本能……言うなれば、“人間ランタイム”のようなものが開発されれば、君だって分かるはずさ。個人が個人たらしめる情報なんて、そのランタイムの上を覆うほんの薄皮程度の情報だって」


 どうだろう、と俺は考えた。

 木が芽吹いた時は、どれも似たようなものだろう。しかし、どの木も成長するに連れて、年輪の形も、木の幹の生え方も、何もかもが違う。何かの記念に植えた木かもしれない。子供が背比べにつけた傷があるかもしれない。

 ……とは言え、それは見ている人間の中にしかない違いだ。

 生え方が違うから、どうだって言うんだ。二酸化炭素を吸って、日光を浴びて、光合成をする事に何の違いが?

 チョンウの言葉を全く否定することは出来ない。が、彼もUSBメモリの中身が誰でも良いわけじゃないだろう。

 彼が求める“薄皮一枚”とは? “魂”はデータになってなお意味を持つのだろうか?

 俺の中に、答えは無かった。

 でも、壁子のやつをこんなちっぽけなメモリに放り込みたく無いという気持ちは、紛れもない本心だ。

 利用するだけ利用して、彼女を記憶データなんていう遺品にしてしまうのはゴメンだ。


「お前がそれで満足なら、俺は口出ししない。だから俺と壁子の意向についても口出ししないで欲しい」


「しないよ」

 

 チョンウは、今度は別のポケットから一枚の写真を取り出し、俺の前に置いた。

 子犬の写真だった。

 

「これが次のターゲットだ。いや、最後のターゲット、か」


「犬探しはやってない」

 

「まさか。詳しい情報はこの写真自体がコードになっているから、エーテルビジョンのリーダーでスキャンしてくれ」


 子犬の写真がQRコードのようになっている、という事だろう。

 

「いつも情報機密に関してザルなお前が、妙に慎重な扱いだな。ターゲットがよほど特殊か、バレたら相当ヤバい事情があるのか……」

 

 俺の推測に、チョンウは含み笑いを浮かべた。

 

「見たら分かるよ。でも、見たら後戻りは出来ないよ。いいかい?」


 もちろん、と俺は言った。

 そこで俺とチョンウの仕事の話は終わった。


 人の心がデータとなって別の肉体に書き込まれる。

 それは果たして本人なのか、それともコピーされた赤の他人なのか。

 分子メモリの中にいるチョンウのパートナーとやらは、ただのデータなのか、人の魂なのか。

 眠って起きた人間が、昨日の自分と同じ人間である根拠は?

 魔法協会のトレンドでもある“魂の一意性ユニーク”についてチョンウと議論を交わした俺は、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 疲労と酩酊からくる睡魔に抗い損ねてしまっていた。

 時計を見ると、午後20時。店に入ったのが19時だったはずだ。

 妙に時間の進みが遅い気もしたが、長時間酔い潰れてしまわなかった安堵感。

 チョンウの姿は既にそこに無かった。

 

(トイレか……それとも、俺を置いて帰りやがったのか? 薄情な奴だな。)


 こみ上げてくる吐き気に、思わず口元を覆う。

 どれだけ飲んだんだと、自虐的な気持ちに苛まれながら、俺は自分のコートを椅子の背もたれから取ろうとした。

 しかし、コートは無かった。確かにここに掛けたはずなのに。

 

(どこだ? コートは……)

 

 じわじわと違和感に気づき始める。

 吐き気こそあれど、意識が鮮明になるにつれ、俺は自分が酔っていない事に気づいた。

 それどころか、恐ろしい空腹。

 さっきまで食べていた料理も、酒も、胃の中からそっくりそのまま吐いてしまったのだろうか。酔ってもいないのに。


「ご注文は?」

 

 居酒屋の店員が、注文用の端末を構えて俺に尋ねた。


「いや、さっきまで食事をしていて……すまない。お会計を。あと、俺のコートを知らないか?」


 俺が言うと、店員は思い切り訝しい顔をしてこちらを見る。

 その表情には若干の恐怖も混じっていた。

 言葉を失う店員を横目に、俺はもう一度時計を見る。

 時刻は20時。間違いない。

 念のためスマートフォンで時刻を確認しようとすると、画面が真っ暗だ。充電していたはずなのに、もうバッテリーが切れたのか?

 その時、店内テレビのウェザーニュースが視界に入る。

 アナウンサーの愛想の良い本日の天気についての説明は、何の変哲もない内容だった。

 しかし、俺はその日付に衝撃を受けた。

 のだ。

 チョンウから子犬の写真を受け取り、“魂の一意性”の会話をし、いつの間にか酔いつぶれて……その間に、五日の時が流れている事になる。

 辻褄の合わない出来事に、俺は徐々に混乱し始めていた。


「あの、お客様」


 店員が恐る恐る俺に口を開く。

 

「お客様、いま入店されたばかりですよね……?」


 がたん、と勢いよく俺は立ち上がった。

 店員の言葉がハンマーのような衝撃で俺の理性を打ち砕く。

 俺はたった今、この店に入店した。

 チョンウと一緒に入店した五日後の今日に。

 俺は酔いつぶれたわけじゃなく、まだ飲んですらいなかった。

 コートも着ていなかった。鞄も見当たらない。

 ぐるりと店内を見渡すと、俺の様子に周りの客も他の店員も訝しんでいる。

 ……俺はどうしてここに居るんだ?

 五日間の記憶は?

 俺は何をやっていたんだ?

 

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