魔法少女

 スケーターは音もなく廊下を走った。鮮やかに、演目のように。

 敵の目の前にやってくると、そのままシューズの刃で日本刀の少女の頭を刎ねる。

 少女の頭は廊下の奥にごろごろと転がり、肉体は力なくその場に崩れ去った。

 壁子だ。

 この独特の戦闘スタイルは、彼女に他ならなかった。

 彼女はアイススケートシューズの接地点だけを氷化し、あらゆる場所をスケートリンクのように滑走する。

 筋繊維をカーボンナノチューブに変質させ、筋力は常人の数十倍。廊下の端から端まで数十メートルはあったが、彼女にとっては瞬きをする間に走り終える距離だった。

 暗闇の中で“変な音がした”違和感に戸惑うもう一人の少女は、とにかく危険を遠ざけようと鉄パイプを振りかぶる。防衛本能で行う攻撃は当然成功する事もなく、彼女の脳天に壁子の膝蹴りがめり込んだ。

 スイカのようにぶち撒けられた脳の破片に、俺は思わず顔を背けた。

 グロテスクなものは見慣れている。

 少女の皮を被った悪魔の死に心を痛めた訳でも無い。

 単純に、口や目に人間の残骸が入ってしまう事が嫌だっただけだ。

 壁子が指を鳴らすと、鳴らした指が明るく光を放つ。

 ステルスを解除し、俺たちは久々にお互いの姿を視認出来た。

 合流地点とは逆方向の廊下から現れた彼女だが、ミスは誰にだってある。何か事情があったのかも知れない。

 不平不満を言いたいが、それはこの状況と俺の表情で十分に彼女に伝わっているだろう。

 そのことは、壁子の困った眉の形で俺にも伝わっている。

 ただ、彼女は近年その数が増えた。

 魔法少女を長くやり過ぎた弊害は、彼女を蝕み続けていた。

 もう引退は近い。これが彼女の最後の仕事かも知れない。

 毎度そう思うが、彼女はまだスケートシューズを履き続けているのだった。

 

「そこのドアだ」

 

 全ての言葉を飲み込んで、俺は近くのドアを指差した。

 

「ドールはそこだ。中に何人居る?」


 壁子はじっとドアを見つめた。日常に溢れる電磁波をソナーの様に使い、解析結果を視覚野に投影する透視のスクロール。


「ドールのみ。他に誰も居ない」


「間違い無いか?」


 俺が確認すると、壁子は一瞬悲しそうな顔をした。

 自分の信用が無いことへの悲しみ……というより、他人の信用が勝ち取れなくなってきている悲しみ。


「居ないよ」

 

 俺はバツの悪い気持ちで小さく頷くと、そっとドアを開けて中を見た。

 先ほど“散らかした”少女たちと同年代の少女が、椅子に縛り付けられている。

 両手にもしっかりと縄を巻かれ、口には猿ぐつわを噛まされていた。

 黒いシャツにはidiotバカの文字。パンクな恰好をしているが、不良少女だからこんな目に遭っているわけではない。

 彼女の黒く掠れたアイシャドーやリップ、汚れた衣服は、彼女自身が監禁されている時間を物語っていた。

 

「汚染は? 中身はまだオッサンじゃないよな?」


 俺の質問に壁子は首を横に振った。

 

「ローティーンの脳波」


 俺は少女に近づくと、目線を彼女の高さに合わせて、可能な限り落ち着いた声で用件を伝える。


「助けに来た。今から解放するが、安全な場所に着くまで約束してくれ。叫ばない、走らない、質問しない。OK?」


 こくり、と少女が頷くと、壁子は180センチ以上ある体をのっそりと屈めて、少女の猿ぐつわと縄を解いた。

 ドール解放の仕事は、この子が初めてじゃない。

 長時間拘束され、心身共に疲弊しきった少女の何人かは、パニックを起こしたり、泣き叫んだり、犯人の一味と勘違いをして噛み付いて来たりする。

 その場合は申し訳ないが、何らかの方法で大人しくなって貰うしかなく……出来ればその手段は使いたくなかった。

 彼女達が新たな生活を迎えるに当たって、非常に悪い第一印象と不信感を与えてしまうからだ。

 人に懐かない保護犬のように、打ち解けるまでに長い時間がかかってしまう。

 この子はどうだろう。

 彼女は椅子からふらつきながら立ち上がると、慌てて支えようとした壁子を押し退けて、俺の方をきっと睨んだ。

 

「……私に指一本でも触れたら……叫ぶから」


 疲弊した、それでも芯の強さを感じさせる言葉尻で、彼女はそう言った。

 ホルダーに伸ばしかけた手をそっと収めて、俺は立ち上がった。

 ひとまず、M1911を使わずに済んで良かった。ピストルの柄で殴っても、なかなか都合よく人は失神しない。

 もっと良い気絶のさせ方があればいいのだが、スクロールはお金がかかる。

 経費の削減も、我々の命題の一つだ。

 

 ともかく、人形ドールになりかけた少女は、俺たちに無事保護された。

 少し離れた堤防に腰掛け、自販機で買った水を渡すと、彼女は慌ててそれを喉に流し込んだ。

 乾ききった肉体に冷たい水がスポンジのように吸収されただろう。二呼吸ほど深く息を吸って吐き、吸って吐き。

 俺と壁子は海を眺めながら、少女が落ち着くのを待った。

 地平線に揺れる漆黒の海の向こうで、遠い街の明かりが星屑のように輝いていた。


「あいつらは何なの。あんたらも」


 少女は震える声でそう言った。

 俺は壁子の方を見る。色んなドールに何度もしたこの面倒くさい説明を、俺たちは交代制で行っていた。

 今日は壁子の番だった。


「あの連中は、悪人よ」


 壁子は真顔でそう言った。

 真っすぐに突っ立った彼女は、周りの電柱に負けないぐらい長細いシルエットだった。


「分かってるわよ! 誘拐されたんだから」


 鋭い目つきで少女は言った。

 壁子はまるで聞こえなかったかのように無表情な電柱のままだ。


「壁子の言い方だと、まるで俺たちが善人みたいだ」


 じゃあ、悪人なの? とでも言わんばかりの訝しげな表情で、少女はこちらを見る。

 壁子はやはり動かない。


「……善人じゃなくても、敵じゃない。危害は加えないから安心して」


 俺の余計な茶化しに、壁子は苛ついた様子もなく、淡々としたフォローを入れた。

 

「あいつらはテロリスト。連中は適格者となる人形ドールを探し出し、誘拐して自分たちの人格を移植する事が目的なの」


「人格移植ぅ……?」

 

 壁子の端的な説明に、少女は呆れた声を出した。


「そう。ある“技術”を用いてそれが可能になる。“技術”についてはそのうち嫌でも知ることになるから、詳しい説明は省くわ。

 それに私、説明はあまり得意じゃないから……とにかく事実だけ伝える。

 “技術”を効果的に使えるのは、若い女の子だけなの。あなたは特に感応力が高かったから、適格者として選ばれて、テロリストに攫われた。

 “技術”はこの世にはまだ早い。私とこの人は……」

 

 壁子は横目で俺のほうをちらりと見て、すぐに少女に向き直った。


「二つの目的であなたを助けた。一つは敵対勢力の反人道的行為の阻止。もう一つはこの“技術”の秘匿のため」

 

「……お姉さん。頭大丈夫?」


 少女は苦笑いを浮かべながら、震える手でペットボトルの水を飲もうとした。

 が、違和感が彼女の動きを止める。

 ただの液体だったはずのミネラルウォーターが、一週間も冷凍庫に保管されていたようにカチコチに凍っているのだ。

 少女は目を白黒させながら、ペットボトルをぐるぐると眺める。


「なにこれ……?」

 

「私はいま“技術”を使って、その水の分子運動を一時的に抑止させた。つまり、凍らせた」


 壁子の言葉の意味を理解しようと、少女は何度もペットボトルを回して確かめる。

 あるいは、どんな手品のタネがあるのか、探していたのかもしれない。

 しかし、あまりにも馬鹿げた現実を目の前にし、少女は言葉を発せずにいた。

 凍ったペットボトルに指が張り付き、慌てて手を離すと、少女の指の皮が剥がれ、血が滲んだ。

 

「痛っ!」


 少女は思わず自分の手を庇う。

 ペットボトルは地面をごろごろと転がった。

 

「……どうやってやったの……?」


 慌てふためく少女をよそに、壁子は自分の足元に転がってきたペットボトルを、淡々と拾い上げた。

 

「“技術”はまだ分からない事が多くて。研究者によって呼び方が異なるけど……私たちは便宜的に“魔法”って呼んでるわ。それが一番分かりやすいから」


 壁子の拾い上げたペットボトルから、どばどばと水が流れ落ちた。

 魔法は解け、凍っていたミネラルウォーターも溶けたのだった。

 個人的には、その呼び方はやめた方がいいと思っている。

 今どきの女の子は、魔法なんて信じやしないから。


 壁子は自分の説明はここまでと言わんばかりに、くるりとこちらに背を向けた。

 彼女のどこかぼーっとした視線は、遠くの海を儚げに見ていた。

 彼女の心は分かりづらい。ただぼーっとしているだけかも知れないし、自分と同じ運命を辿るこの少女ドールを憐れんでいるのかもしれない。

 あるいは、自分にも別の運命があったのかもしれない、なんて改めて考えているのかもしれない。

 彼女は魔法少女にならなければ、フィギュアスケートの選手になりたいという夢があったらしい。

 二人で仕事前に牛丼屋で腹ごしらえをしていたら、唐突に、何の脈絡もなく、壁子がそんな話をした事がある。

 なんの気まぐれだったのか、長い付き合いでたったその1度だけしか聞いたことが無い。改めて深掘りして聞くほど仲良くも無い。

 でも、それで良い。俺はそう思った。

 心の内をすぐ晒す奴は、この仕事に向いていない。

 パートナーシップは仕事の中だけでいい。


「信じられなくても良いし、理解できなくても良い。気が付けば、それが日常になってるはずだ」


 俺は少女にそう言った。

 彼女は目の前で起こった事が未だに信じられない様子だが、もう理解するつもりも無く、疲れた様子で頬杖をついた。


「日常? 帰って、お風呂に入って、15時間ぐらい眠ったら、魔法なんて漫画の世界に戻ってる。それが日常でしょ」


 少女は吐き捨てるように呟いた。


「悪いけど、今までの日常は終わりだ。今日からウチの組織が運営している学校の寮に入ってもらう」


「はぁ!?」


 頬杖から顎をずり落ちさせながら、少女は言った。


「言ったろ。俺たちの守っているのは“秘匿”だって。連中に関わった君を放置する事は出来ない」


 少女は呆気に取られつつも、それ以上反抗はしなかった。

 何事かを思案すると、急に冷めた目つきになるのだった。

 

「……ふん。なんでもいいわ。あんたらの勝手な言い分はムカつくけど、帰ったって別に良い事なんて……」


 少女は言いかけて、やめた。

 

「そりゃ良かった。記憶を消すスクロールもあるけど、脳障害が起きやすくなるうえに凄く金がかかる」


「スクロール?」


「魔法だよ」


「え、魔法に金かかんの?」


「俺みたいな非適格者は、エーテルの循環効率が低く、ちょっとした魔法で莫大な金がかかる。君や壁子のような魔法少女は……」

 

「魔法少女?」

 

 少女は海を眺める壁子の背中を見た。


「少女なの? この人が?」


 女性にしてはひときわ高い身長と、大人びた佇まいに、思わず彼女はそう訊いた。

 あまりにも明け透けな言葉だが、壁子は気にも止めていない様子だった。

 少なくとも、傍目にはきっとそう見えた。

 でも、俺と壁子の間には、少女のちょっとしたからかい混じりの軽口以上に深刻な問題があった。


「……大きい女の子もいるよね」


 なんとなくバツが悪そうに、少女はそう言った。

 自分の軽口をほんの少し後悔したのか、少女は頬杖をついて口を尖らせると、俺の方を見て自分の胴を指さした。

 Tシャツにはidiotおバカの文字。

 少女の捻くれた反省に、俺はほんの少しだけ笑った。

 

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