ドッグ・タグ

チェクメイト

生きて死ぬか、死んで死ぬか

 元々ラブホテルだったその施設は、壁は剥がれ落ち、看板は斜めに歪み、まるでコンクリートのミイラのようだった。

 広大な廃墟のど真ん中にあるそれは、今は連中の根城として利用されている。

 荒涼としたゴーストタウンの乾いた空気は、得体の知れない静けさにピンと張り詰めている。

 誰かの記憶にあるいつかの風景は、錆びた看板よりもずっとくすんでしまっているだろう。

 相棒はどこに行った?

 俺は辺りを見回したが、彼女が右にいるのか左にいるのか分からなかった。二メートル先にいるのか真後ろにいるのか、それとも近くにいないのかもしれない。

 壁子かべこと俺はステルス系のスクロールを使用している。全身のタンパク質をナノレベルで均一の間隔に制御し、光の散乱率を変えるて全身を透明化する代物だ。お互いの姿を視認できないが、合流地点までテロリストに見つからない事がなにより重要だ。

 真空層の防音膜を全身の数ミリ外側に纏い、聴覚でも彼女の存在は確認出来ない。耳を済ませば聴覚認知・呼吸用の穴から極小の衣擦れと呼吸音、砂利を踏む音が漏れているが、環境音がそれをかき消してしまう――こんな廃墟でも、風の音は酷くうるさい。

 敵の姿はまだ無い。クライアントからの情報は本物だろうか。またガセネタか、あるいはスパイに情報を先んじて漏らされたか。静けさと孤独は悪戯に疑念を搔き立てられる。

 だが、俺たち猟犬は雇い主の命じるままに廃墟を突き進むのみだ。

 突き進んだ先に何があるか? 正義なんて一かけらも存在しない、悪意の坩堝であることは分かる。

 ……ちゃんと進んでるよな? と、壁子に問いかけたかったが、やはり彼女がどこにいるのか、俺には分からなかった。


 合流地点にたどり着き、ステルスを解除すると、エーテルビジョンを開く。

 脳の視覚野に直接流れる電気信号は、俺の現在地、そして使用したスクロールによるエーテル消費量を映し出した。


(8万2000……か。スクロールの性能が高いだけに、値段もバカみたいに高いな。魔法協会のバックアップがなけりゃ、とてもじゃないが俺みたいな貧乏人には使えない。

 逆に言えば、あのケチな連中がこれだけの高額スクロールの使用を許すんだから、情報にも信憑性があるって事なんだろうが)


 壁子の姿は無い。走力の高い彼女はとっくに合流地点に着いていると思ったが、今のところ気配も無い。

 時間は迫っている。あと五分もすれば、哀れな被害者の魂はこの世から失われる。あと二分かもしれない。


(……またトラブルか?)


 壁子は前回の作戦でもヘマをした。魔法少女でいるための消耗は俺には計り知れないが、これは命のかかったビジネスだ。

 被害者の命、彼女自身の命。もちろん、俺の命も。

 この仕事をしている以上、死ぬのは当たり前の事だろう。でも、好き好んで犬死にをする奴はいない。死ぬつもりで仕事を受けたりはしない。

 彼女もそろそろ魔法少女を引退する頃かも知れない。

 ……そう思った矢先、ビル内から高濃度のエーテル粒子が感知され、けばけばしいアラートがビジョンに表示された。

 もう時間切れだ。間に合わなくなってしまう。

 魔法少女抜きでこの状況をなんとかするには、湯水の如くエーテルを使うか、玉砕覚悟の突撃か。

 前者は借金生活による緩やかな自殺だし、後者はただの自殺だ。

 生きて死ぬか、死んで死ぬか。

 自分を犠牲にして誰かを救うつもりはない。でも、尻尾を巻いて逃げる負け犬が生き延びられる世界でもない。

 契約違反で失った信用は、二度と取り戻す事は出来ない。

 俺はため息をつき、ホルダーからM1911を取り出すと、素早くスライドを引いた。

 全てに決着がついた後、肉体から引き剥がされた犠牲者の魂が、冷ややかな目で俺を見るだろう。

 犬死にした俺の魂は、苦笑いを浮かべて一言。

 

「俺に一体、何を期待してたんだ?」

 

 ……って。

 

 ラブホテルの非常階段を駆け上がり、目的のフロアにたどり着く。

 そっと非常口のドアを開けたつもりが、錆びた蝶番は唸り声のような軋みをあげた。

 金属の悲鳴は無情に廊下を響き渡り、刹那、二人の少女が血走った目をこちらに向けた。

 十代半ばか、もっと若いかもしれない。何日も洗っていない汚れたジャージを身に纏っており、廊下には彼女たちの体臭が充満している。

 そして、彼女たちは手に随分なおもちゃを持っていた。

 一人は鉄パイプ、もう一人は日本刀。

 少女達は番犬だ。

 俺の姿はステルスで隠しているが、朧気な空間の歪みぐらいは視認出来る。完璧なステルスなんて存在しないし、それを有効活用するためには、相手の意識下に存在しないことが何より重要だ。あんなやかましい音を立てて居場所を知らせてしまっては、もはや熱感知サーマルすら必要ない。

 二人の少女はまるで腹を空かせた猛獣の如く、一心不乱な形相でこちらに襲いかかる。会話の余地は無い。

 俺は銃口を少女たちに向け、引き金を引いた。二回。

 弾丸の一発は鉄パイプの少女の右脇腹に、もう一発は日本刀少女の左肩に命中した。

 苦痛でますます血走る二人の目つきだが、体組織はみるみるうちに自己修復する。ほんの少し零れた血液以外は、ピンクの銃痕が残るのみだった。


(自己修復か……)


 自己修復のスクロールは色々な種類がある。治癒速度を重視したもの、傷跡が残らないよう精度を重視したもの等。どれも恐ろしく高額なエーテル料金を払う羽目になるが、彼女達テロリストの経済状況を考えると、そんな物の使用が許されるとは思えない。

 俺だってもちろん使えない。だからこんな原始的な武器ピストルで戦っているんだ。

 バックに誰かがいるのか?

 疑問は脳裏をかすめて、すぐに思考の優先順位からこぼれ落ちた。

 銃弾が無意味なら、ただでさえ少ない勝算は限りなくゼロに等しくなる。――魔力とは経済力。俺の勝算は、彼女達が“貧乏”である事。その一点のみだった。

 作戦の立て直しを行うには、敵はあまりにも近すぎた。

 少女の鉄パイプが降りかかる。

 俺は緊急用に用意していたスクロールを、ほとんど無意識に展開した。

 皮下脂肪を銅元素に変え、少女達の攻撃を受け流す。

 廊下に一瞬ちらつく火花。

 肉体の銅元素化が不完全だったため、右腕に激痛が走る。魔法少女じゃない俺は、魔法の精度もこんなものだ。

 だが、少女は思わぬ衝撃に弾かれ、後方に仰け反った。日本刀の少女を巻き込んで、二人は体勢を崩す。

 作戦の立て直しに、ほんの1秒にも満たない時間が許された。

 俺は視界の端で捉えた廊下のコンセント口に慌てて両手を翳し、コンセントそのものを銅元素に変える。

 激しい漏電と共にフロアのブレーカーが落ちる。

 視界は暗闇に閉ざされ、俺を含めた全員の居場所が分からなくなった。

 自己修復は厄介だが、修復を命令する器官が機能しなければ倒せるはず。

 つまり、脳天にさえ一発ぶち込めば死ぬはずだ。

 視覚野に直接情報を流すエーテルビジョンを利用し、視界を熱感知による暗視モードに切り替えた。

 暗闇のきっかけを作ったこちらにイニシアチブはある。

 二人の少女の赤いシルエットは、しかし、闇雲にこちらに獲物を振りかざしていた。

 恐怖を知らないのか、はたまた人格が壊れているのか。

 火薬の発火は容易に俺の正確な位置を相手に知らせるだろう。

 ……絶対外せない。それも、二人分に命中させなければならない。

 可能な限り慎重かつ速やかに相手の頭に銃口を向け、引き金を引くのだ。

 撃って殺すか、撃って死ぬか。


(これのどこが作戦なんだ……?)


 天運に身を委ね、引き金を引こうとしたその瞬間……。

 廊下の奥に現れる、新たな熱感知のシルエット。

 ひょろ長い手足の、のっぽのスケーターの姿が。

 

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