裏第1話 失敗作

「何のスキルもないだと!?」


 訳の分からないまま俺は声の主を見上げる。

 豪華絢爛な衣装に身を包んだ、恐らく30代くらいの男は、俺に対してゴミを見るかのような視線を向けていた。その隣には何やら報告したであろう男が、冷や汗を流しつつ、困惑の表情を浮かべている。

 怒りと失望が入り混じった声、そしてその視線は、どうやったところで前向きにとらえることはできない。


 一方の俺は、その瞳をどのように受け止めていいのか困惑していた。意味が全く分からないし、ここがどこなのかも全く見当がつかない。

 俺は先ほどまで、間違いなく会社からの帰り道を歩いていたはずだ。毎日、変わることのないその帰り道。

 残業終わりの俺はトボトボと歩いている最中、まばゆい光に襲われて……ここまでは覚えている。


 そして、次に目を開けた時、今の状態になっていたというわけだ。

 こんなの、理解しろというほうが難しいというものである。気付けば知らない場所にいて、知らない人間が俺を見るや否や怒号を飛ばし――。


「本当かっ!? 本当にきちんと鑑定したのか!?」


 信じられないほどの剣幕に、思考が一気に元に戻された。唾を飛ばさんばかりの勢いで、男は近くにいたフードをかぶった同僚らしき別の男を問い詰めている。

 問い詰められた男の顔は青ざめ、その恐怖から逃れるように何度も首を縦に振る。


「はいっ! も、もちろん、きちんと鑑定しています! で、ですが、何度鑑定してもあの男は……何のも持ち合わせておりません!」

「くそっ!!」


 吐き捨てるように地面をけり上げると、再びその視線は俺の元に戻ってくる。


「多少、体力や攻撃力の向上は見られますが、それもあくまで各団長レベルであり――」

「もういいっ!!」


 続けて報告を繰り返す部下に怒鳴った後、俺の元へずかずかと歩みを進めた男は、


「このっ!」

「っ!?」


 いきなりその拳を俺の右頬へ振り下ろしてきた。いきなり、しかもグーで殴られた。突然殴られた俺は、あまりの勢いに後ろへひっくり返るようにして倒れる。


(な、なんなんだ一体!?)


 わけが分からない。殴られた右頬から、ジワリと鉄の味が滲む。遅れてズキズキとした痛みが顔全体に襲ってきた俺は、思わずその苦痛に顔を歪ませる。

 殴られた頬に軽く右手を置くと、それだけで腫れていると判断できる程、強く殴られていた。

 訳の分からない場所に行きついたと思ったら、いきなり本気で殴られる。

 頬の痛みと状況を理解できない憤りから、視界が若干涙で曇る。しかし、涙を流したところで許してくれる状況ではないことに、俺は本能的に気付いていた。


 そして、改めてここは俺が元居た世界、日本ではないということを徐々に受け入れ始めていた。


 俺は首だけを何とか、男たちの方向へと向ける。

 相も変わらず俺の事を憎悪の目で見下ろすあの男や、それを取り巻く男たちも皆、日本ではまず見ないであろう格好をしていた。


 言うなれば、異世界ファンタジー世界で貴族が着ていそうな格好、と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

 俺の世界観が正しければ、こいつらは全員、かなり位が高いと推測することができる。


 ここにいる人数は、大体20人ほど。その誰もが皆、俺の事を憐れむ様な視線で見つめていた。

 中には下卑た笑みを唇の端に浮かべるものまで。あれは明らかに俺の事を下に見てバカにしている。


(……ん?)


 しかし、その中で一つの視線に気づく。その視線の主は、日本ではまず見ないような、それこそアニメや漫画の中でしか見たことのない美しい銀色の髪を身に纏っていた。

 視線に気づいたのはたまたまだったが、目立つ銀髪とその場で唯一の女性だったからということで視界に入ったのだろう。

 その視線は他の男共とは違い、何かを思案しているようなそんな視線であり――。


「何を勝手に倒れている!!」

「ぐふっ!?」 


 腹部に衝撃が走る。先ほどの男が仰向けに倒れていた俺の腹を容赦なく踏みつけてきたのだ。

 倒れた腹を思い切り踏みつけられた俺は、くぐもった声をもらす。右頬の痛みに続いて、腹部に鋭く重い痛みが走る。

 

「お前が、望んだ通りの力を持っていさえすればっ、こんなことにはっ、なっておらんのだっ!!」


 更に男は激昂しながら、何度も、何度も執拗に俺の腹部を踏みつける。

 踏まれるたびに情けのない呻き声が口から漏れ、胃液が喉の途中まで混みあがってくる感覚に襲われる。


「かはっ……っ、はっ……」


 耐え切れず胃液が喉を逆流し、そのまま吐瀉物として吐き出された。

 息ができない……踏まれるたびに腹部の痛みが増し、まともに呼吸ができなくなっていた。

 

「全く、踏まれただけでこの有様とは……やはり失敗作で間違いなかったようだな!」

「がはっ!?」


 最後にもう一度腹部を踏まれ痛みに悶絶する暇なく、今度は顔面に容赦なく蹴りが入る。

 男の無駄に高級そうな、蹴りを入れるのに適した堅い靴が俺の鼻に直撃した。


「ぐふっ!?」


 潰れるかもという衝撃が走り、思わず鼻を押さえる。その場を転げまわりたいような痛みに襲われるが、何とかその衝動は抑える。

 この状態でそんな姿を見せたら、先ほど以上の殴打を受けるかもしれない。半分、根性で耐えていた。

 

 しかし、抑えた鼻元からドロッとした感触。見ると、両穴から鼻血が垂れてきていた。片方だけでないところから、先ほどの蹴りの威力がよく分かる。

 鼻血を止めようにも、止血ができるようなものは何もない。仕方がなく、服の袖で血を拭うも、焼け石に水だった。次から次へと流れ出る液体を、服の袖だけで対応できるわけがない。


「おいおい、あいつ鼻血まで流してるぜ。無様だな~」

「ほんとだ。神聖な城の床を鼻血で汚すなよって話だよな」


 必死に鼻血を拭う俺の耳に、小馬鹿にするようなトーンの会話が聞こえてきた。

 ぎゃははと笑うあたりに性格の悪さが滲み出ている。


(……あのやろう!!)


 プツッと、ここまで耐えてきていた俺の何かが切れる音がした。

 わけが分からないまま殴られ続け、俺の我慢も限界だったのである。


「ぁあっ!!」


 気付くと俺はガリっと奥歯を噛みしめ、声にならない呻き声をあげ、怒りに任せて声の主に殴りかかっていた。


 しかし、相手に入るはずだった一発は横からの衝撃にあっけなく打ち砕かれる。


「うぐっ!?」


 脇腹を棒状のモノで強く叩かれた俺はあっけなく、再び床へ叩きつけられた。

 2,3回ほど、大理石で作られたである堅い床の上を転がる。


「ぐぁっ……、んくっ……ぐぅ……」


 脇腹を抑え、痛みのあまり声にならない声をもらす。

 痛い痛い痛い……先ほどとは比べ物にならない痛みが脇腹を襲っていた。叩かれた部分が猛烈な熱を持ち、呼吸をするだけで鋭い痛みが走る。

 確実に骨が折れている……それ程の痛みだった。


「あいつ、スキルもなしで俺たちに殴りかかろうとしてきたぜ!」

「目がマジだったけど、あんなへなちょこなパンチじゃどうしようもないよな! 現に今、情けない顔して床に転がってるくせに!!」

「今回はアルト様が鉄槌を下してくれたけど、あんなパンチだったら俺でもボコボコにできたぜ!」


 俺が殴りかかろうとした二人の会話が遠くで聞こえてくる。そして、それに伴って周りも同調するような笑い声をあげていた。


 死ぬほど悔しい。キレて殴りかかろうとしたあげく、返り討ちにされ、ボロ雑巾のように俺は床の上に転がっている。


 これほどまでの屈辱が今までにあっただろうか? 訳が分からないまま好き放題されて、俺が何かしたって言うのか? 何もしてないじゃねぇか!!

 

 この場にいる全員を殺したい衝動に襲われるも、僅かに動くのは視線のみ。身体は痛みから全くと言っていいほど動かなかった。

 

「……なるほど。スキルは持ち合わせていないが、一定程度の耐久はあるようだな」

「……だ、……誰、だ?」


 新たな声の主に、俺は唯一動かせる視線を何とかして声の方向に向ける。

 そこには腰に剣を携えた、一人の男の姿があった。恐らく、先ほどの衝撃は鞘ごと殴られたものによるものだろう。

 鞘から抜かれていたら俺は今頃、真っ二つだったかもしれない。


「しかし、あまりに哀れだな。まともなスキルを何一つ持ち合わせず、あげくの果てに関係ない人間に手を出そうとして死にかけている。こんな召喚者は前代未聞だぞ」

「な、……なにを……、か……っ」


 何を勝手なことを……声を出そうにも、もうまともに声すら出せなくなっていた。

 最後にはひゅー、ひゅーという呼吸音が響くばかり。

 

「少しだけ期待してみれば……これはとんだ失敗作だ。いや、失敗作にしてももう少しいい出来になるだろう」


 俺が喋れないことをいいことに好き勝手言い放つ。

 ぼやける視界でも男の顔面偏差値の高さは見て取れるが、その瞳の冷たさは底が見えない。

 最初に俺の事をぶん殴ったやつは激情家だったが、こいつはどこまでも冷静沈着だ。しかし、言うことについては先ほどの奴よりも容赦がない。


 こういう奴ほど、実は恐ろしいほどろくでもないと、相場は決まっている。


「何だその瞳は? 失敗作が俺に意見するつもりか?」


 再びその冷めた瞳が俺を見下ろす。どこまでも冷たく、そしてバカにしたような瞳は俺の中で再び怒りの炎を呼び覚ます。


 何が哀れだ、何が期待していただ、何がだ。


 勝手なことばかり言うんじゃねぇよ。お前らが勝手に期待してただけじゃねぇか。俺はむしろ被害者だぞ。

 俺の方がむしろ勝手にこのよく分からない場所に召喚されて、ボコボコにされて……。


(くそっ……くそっ!!)


 唇から血がにじむほどに噛みしめるも、身体は全くと言っていいほど動いてくれなかった。

 身体中のあらゆる箇所が痛む。咳き込むたびに叩き込まれた脇腹が悲鳴を上げ、血反吐が胃液と混じって口から飛び出す。


「……哀れだな」


 そんな俺を憐憫の視線で見つめたのち、男は踵を返し部屋を出ていく。

 もう要はないと言わんばかりのその態度。悔しいが、何もできない以上どうしようもない。


「おいっ! あの男を牢獄にぶち込んでおけ! 召喚に失敗したと知れ渡ったら他国との関係が悪くなる!!」

「はっ! 牢屋はどこにしましょうか?」

「一番深いところ、それも一番汚い場所へぶち込んでおけ。食事は死なない程度の最低限を与えておけば、いいからなっ!」

「ぐふっ……」


 先ほどまで激昂していた男がそれだけ部下らしき男に伝えると、最後に俺の腹を一蹴りして、冷たい瞳をしていた男と同様に部屋から出ていった。

 先ほどの痛みが蓄積していた俺は、その一蹴りで意識が飛びかける。いや、意識が飛ぶのも時間の問題だった。


(もう……っ、駄目だ……)


 意識を手放す直前に、いつの間にか近くにいた大柄の男が俺の事を雑に持ち上げる。


「……というわけだから、牢屋にぶち込ませてもらうな。まっ、恨むならスキルを持って召喚されなかった自分を恨むんだな」


 それが気を失う前に俺が覚えている最後の会話だった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 それからの牢獄生活は二度と思い出したくないほど、酷いものだった。あんな場所は日本の刑務所でも考えられないだろう。


 文字通りぶち込まれた牢獄は害虫が沸くほど不衛生な場所であり、そこに俺は逃げられないような鎖を施されていた。

 ベッドなんてものはもちろんなく、トイレは信じられないくらいの汚さ。服と呼ぶにはお粗末すぎる、半分ボロ雑巾のような布地を見に纏う。あまりに屈辱的な扱いだった。


 与えられる食事も粗末な物であり、本当に最低限生きていける程度のもの。

 内容はぱさぱさのパンや、明らかに残り物をぶち込んだだけのスープなど。もちろん、温かいものなんて出てきた事はなかった。


 もちろん、意識が戻った瞬間、すぐに死のうと思った。

 散々、コケにされ人間以下の扱いを受けている。こんな現状、俺以外だって死のうとするだろう。

 しかし、何故かそれは許されず、基本的には牢番が交代制で俺の事をきっちり見張っている環境。

 加えて両手は拘束されているため、自らを傷つけることは不可能。


 更に舌を噛もうとしたところ、嚙んだ瞬間に何らかの魔法らしきものをかけられて、噛んだはずの舌の傷が元に戻っていた。あの瞬間ほど、絶望したことはない。

 つまり、この世界には魔法と呼ばれるものが存在しているということの証明になったのだが、今の俺にとってはどうでもいい情報だった。


 分かったからといって何の意味もなく、そもそも俺は魔法の使い方が分からない。

 都合のいいアニメなどならきっと今頃、脱出できる魔法の一つでも開発しているのだろう。

 しかし、俺には何の才能もない。魔法の魔の字も、見当がつかなかった。言葉が分かっているのは幸いだったのかもしれないが、役に立たないのならばこれもまた意味がない。


 と、こんな感じで俺の環境はまさに生き地獄というほかなかった。

 何故、彼らがこの状態の俺を生かしているのかは分からないが、その理由すらどうでもよくなるほど劣悪な環境。

 死にたくても死ねない、かといって生きる希望が持てると言った環境でもない。


 そんな環境が2か月程度続いた頃、この生活が唐突に終わりを告げられるとは思いもしなかった。

 

 この日もいつもと変わらず無気力に虚空を見つめていた俺の元に、あの時の鮮やかな銀髪をなびかせた彼女が現れたのだ。


「私と共に来てほしい」

 

 それが国王軍第9部隊、エシュミト・レイとの出会いだった。

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