第3話 覗かせた夢
「自殺を止める方法として、一度自殺を体感させればいいのよ」
大崎さんは食事を口に運ぶ。
レタスをボリボリと気持ち良い音をさせつつ食べる様は見ていて気持ちがいい。
「でも、現実問題自殺したら多くの場合は戻ってこれないでしょう?」
「そりゃそうですね」
「で、仮に生き残ったとしてもそれまでより強い絶望感に苛まれて、また自殺するの」
トマトソースの匂いがするハンバーグを、半分にだけ切って頬張る。口いっぱいに肉汁が溢れてとても美味い。
「だから、仮想体験とはいえこういう技術は必要だと思ったわけ」
「必要悪? ってやつですかね」
「どっちかって言うと、『死を想像できない人のため』? 死に解決を求めるとか、色々行き詰まった人に死ぬことが決して逃げにつながることはないって感じてもらうためだと思う」
俺はその言葉をぼんやりと聞いていた。
食堂で提供される食事は美味いのだが、ただ高額なバイトと言うだけで受けたことをレベル1の体験をした段階で俺は後悔を感じていた。
生きることが苦である。
他人に迷惑をかけたくない。
死ぬことが最も周りに迷惑をかける。
ありふれた言葉が頭に浮かんでは消える。
それら使い古された言葉たちでは、自分の中にできた大きな暗闇を照らすには出力が足りない。
ないはずの、左手の手首につけた傷を見つめる。
レベル1はリストカット。
失血死を狙って手首を切る。大きな水たまりが赤く染まるのを見ながら、薄れゆく頭の中で誰かが囁く。
もっとなにかできたんじゃないか?
本当に君が悪いのか?
誰かを救うために、なぜ君が傷つかなきゃならない?
朦朧とする意識と、明確になってくる欲求。
つまらない人生を生きてきた自分が、実はもっと輝けたんじゃないかという、ありもしない可能性。
混濁する、現実と仮想。
感じなくなる体の重さ。
――死ぬことは、こんなに……
「宇川さん、大丈夫ですか?」
突然視界が開ける。
「えっ、あれ、俺」
「時間になっても起きてこられなかったので。今日は調子悪そうですね。テストはお休みにしましょう」
「あ、いや」
大丈夫です、と言おうとして、言えなかった。
「もしどこかマズイ所あるようでしたら、医務室行ってくださいね。皆さんの健康ありきのテストなので」
坂道さんはそういいながら部屋を出る。
俺は改めて自分のいる部屋を見渡した。
白い壁、俺の寝相で乱れたベッド、すぐ近くにバス・トイレ。
いつもの部屋だ。
……睡眠中の違和感は無い。
だが、いいしれない不安が頭をよぎった。
「どうぞ、座って」
医務室に来た俺は丸い椅子に座らされ、手首に巻かれたバーコードを読み取られた。
「ふんむ、宇川栄治さんね。三十三歳。おお、もうレベル5の試験に入ってる」
恐らくテストサーバに保存されてる俺のパーソナルデータを読んでいるのだろう。丸い手でマウスを上手に操作しながら、白衣の男性は鼻息を荒げながらモニタと俺を交互に見やる。
「このテストの前に、自殺を考えたことは?」
「……よくある思春期の突発的な希死念慮程度には」
「テストレベルが上がるにつれて、それが増大したことは?」
「……いえ、特に」
男性の眉がピクピク動く。コミカルなようでどこか面白い。だがその顔にはむしろ深刻そうなシワが彫り込まれる。
「んぅ、そうだねぇ。今日と明日、ちょっと仕事は置いといて休んだほうがいいかもね」
「え、そんな深刻なんですか?」
俺はなんとなく驚くふりをする。
さして自分に変化がないのはなんとなく自覚してるからだ。こういうのは医者が俺の不調をごまかすためにあることないこと言うものだからな。
すると男性は俺達の間にある大きなモニタにグラフを表示させた。サインカーブが3つある、何かのバイオリズムのようだ。
「この赤いのが君の普段の脳波。この時間になると、かなり収まる。寝ている時間だね。つまり起きてるときは活発になってる。で……」
カチ、カチとマウスを操作すると左上の数字が切り替わる。
「この間、夢を見たという時間まで遡ると、やっぱり覚醒状態にある」
「……え? 寝てる状態でも脳波を計測してるんですか?」
「君、契約書読まないタイプ?」
男性は軽くため息を付いた。
「まあいいか。それで今の君の脳波なんだけど」
さらに時間のグラフを伸ばしていくと、現在進行系で俺の脳波が書き込まれている。だが、その動きは……
「んむぅ、今目の前にいる君は眠っているようだね。夢を見てすらいないようだ」
「……どういう、ことですか?」
嫌な予感がする。
「君の脳は、眠っている。覚醒と睡眠が入れ替わっているのかもしれん」
俺は立ち上がり、医務室を後にした。
そしてそのまま、自室に戻ってベッドに入り、布団をかぶって震える体を抱きしめた。
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