第2話 侵食する仮想と妄想
「あらら。忘れちゃったんですか?」
夕食時、話しかけてきたのは俺と同じくテストプレイのためにこの施設に来た大崎さんだ。
年齢は俺より少し上。三十代後半でこういう大型アミューズメント施設のテストプレイにはよく参加するんだそうだ。
女性でありながらもコンピュータの知識が深く多彩で、体力を使う今回のテストはむしろ参加者の誰よりも試験データを採っている。
「なんか、テスト中に家帰って寝ちゃって、その夢の中で同じシチュになったんです」
「ん、なにそれ面白い。家に帰れたんだ」
「あとでプレイ動画もらえるらしいんですけど、見ます?」
「ううん。自分のデータ整理するのに忙しくて。あとで
そう言って彼女はトレイを持って食堂の奥へ消えた。
俺は受け取ったばかりのトレイを手に奥へと進んでいく。凹みが5つほどあるトレイを持って厨房のあるカウンターに並ぶと、そこで作られた食事を乗せてもらえる。のだが、料理というほどの凝ったものではない。
「ほい、はい次」
大きなオタマが掬っているのは茶色い塊。ペースト状のナニカをだいたい同じだけ掬って凹みに入れてくるだけ。
それを5回。
いわゆる『ディストピア飯』をもらうと俺もテーブルについて食べ始める。
口に入る分だけスプーンで掬ってぱくり。
また掬ってぱくり。
歯ごたえも舌触りも同じで、味付けが違うだけの謎飯。それを茶色とも緑色とも取れる謎水で流し込んで終わり。
食べ終わったトレイを持って立ち上がると、俺は周りを見渡した。
白を基調とした部屋にはカレンダーも時計もない。地下なのか地上なのか窓もないため分からず、ただ周りが食事をしているから食べる、そんな人間が十人ほどまだ食事を食べていた。
テーブルは約三十人ほどが一度に座れるだけのスペースがあるが、未だにそれらが埋まった状態を見たことはない。
席に付いてる人たちも半分以上は私服やスーツだが、ちらほらと白衣を纏った人も見受けられた。
仮想空間に入りすぎて体に異変が起こったり、試験内容によって精神的に不安定になった人を診察するためかもしれない。
「まだ、俺には無縁の人だな。まだ」
いずれ、という言葉を飲み込んで俺は自室へ戻った。
テーププリントされただけの表札は廊下と同じ白色のテープで、一切の無駄がない扉を開くとこれまた真っ白なベッドときれいに整えられたバス・トイレ。
「……囚人とほぼ変わらねーな」
夢に出てきた自分の部屋はゴミだらけでお世辞にも人が住む部屋ではなかったが、ここはここで文明人が住む部屋には見えなかった。
「……ガっ! ぁ……っくはぁ」
折れた首の骨が気管支に食い込む。
圧迫された血管が送るはずだった血液が首の根っこで激しく踊る。しかしその上へ行くことは困難だ。
窒息は、死因の中でも特に苦しい死に方だと言われている。そして体重が軽いほどその苦痛は長くなる。
俺の場合はその重さ故にさっと死ねると思ったが、首にかかる体重が案外弱く、結果かなり苦しんだ。
眼球にかかる血圧がピークを迎える頃にはもう首から下の感覚はなく、垂れるよだれを拭けないいらだちを覚えながら死んだ。
「……はーい、いかがですか?」
「ちょっと、キテます」
数秒とも半日とも感じるインターバルを超えて、ようやく視界に光が戻る。
臨死体験ならぬ死亡体験も、ここまでこなせば脳が焼かれるような辛さが現れ始める。
「でしょうね。他の体験者の方でもまだレベル3がせいぜいなのに、もう5まで進んでますからね」
頭がぼんやりする。
楽しくてやってる仕事じゃないが、それでもこんなにリアルな死亡体験は流石に辛い。
「すいません、今日はもう上がります。頭がちょっと持ちそうにないので」
「わかりました。脳波データと合わせてまた送っておくので確認しておいてください」
「わかりました」
脳波データなんぞ送られた所で素人の俺にはわかるわけはないじゃないか。
という文句なんぞ彼らには関係ない。それが仕事なのだから。
休憩を兼ねて食堂に行くと、既に昼食を貰いに来てた大崎さんに遭遇した。
「もうレベル5!? すごいじゃない!」
「いえ、むしろギブアップしたんで。あくまで片足突っ込んだみたいな」
「私はもうちょっと4をこなしてからかな? 君みたいな現象に遭遇してみたい」
そんな事を喜々として語る大崎さんに、俺は少し違和感を抱いた。
本来なら、抱くはずのない違和感。
俺があの体験をしたからこそ抱く、この世ならざる違和感を。
「どうしたの、宇川くん」
ぐにゃり、と大崎さんの顔がゆがむ。
ラテアート上から水滴をこぼすことでできるような不自然な視界のねじれに脳が追いつかない。
「宇川くん? 宇川くん!?」
俺はそのまま重力に屈し、ビルから飛び降りるような速度で地面までダイブした。
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