第XIX話

 王都の片隅にある何の変哲もない酒場。そこで二人の男が酒を酌み交わしていた。千年王国エタニアル国王アイゼル・ゴアハートとイストネル侯爵家当主シグナス・イストネル。本来ならこのような粗雑な市井の酒場にいるはずもない人物たちである。たまの息抜きに利用するこの酒場は、アイゼルにとってお気に入りの場でもあった。この酒場の客は誰もが自分を気にしない。国民に紛れて、ただのアイゼルとして誰かの話に耳を傾けながら酒を飲むのが密かな楽しみであった。


 シグナスやカルロスが上洛した際は、この酒場に共に飲みに行き、ひと時の間立場を忘れ、学生の頃に戻り友として酒を酌み交わす。これもまたアナイゼルにとって楽しみの一つである。とはいえ何時からだろうか。アイゼルとシグナスとカルロス、三人で集まり酒を飲む事が無くなったのは―――それは今は関係ない。頭を振って余計な思考を追い出す。今日この場にカルロスではなくシグナスと共に来たのは、当然昼間に行われた自身の子どもたちの祝福の儀の際に起きた前代未聞の騒動の件についてである。


 城ではなくわざわざこの場を選んだのは、それぞれの立場を前提とした話し合いをしたいのではなく、両者共に本音で話し合いたいが故であり、それはシグナスも了承しているだろう。事この場においては立場など関係なく無礼講、共に二人の子どもを持つ親として忌憚のない議論を交わすべきである。カルロスではなくシグナスを優先したのは、今回の騒動の中心人物がシグナスの子どもであった為である。


「シグナス、お前分かっていたのか?カティスが、お前の息子が、俺の子ども達の祝福の儀で何かしでかすという事を」


 脳裏に思い浮かぶのは、王命として家族全員で上洛する様伝えた時の返信である。何かあった場合、その責任は国王が取る事。当然アイゼルとしては、勇者の再来とも呼ばれるアレスや、無能無才と憐れまれるカティスに対して何らかの危害や中傷が行われた場合に対する保険であると認識していた為、承諾したわけだが。あんなことになるなど想像できるわけがない。


「いや、ただ君に対して言質を取るよう促したのはカティスだ。あの子は年齢以上に聡明だ。自身が周囲にどういった目で見られているかを理解している節があった。それを利用してアレスにとっての試金石となるつもりだと、あの時は思ったのだが…どうやら違ったようだ」


「そうか…全く、とんでもない事をしでかしてくれたものだ。5歳の子どもがまさかあれだけの大人たちの前で罵詈雑言を撒き散らすとは誰も想像できまい。俺含めて全員があっけに取られてろくに反応できなかったぞ」


「私もだよ。まさかカティスがあのような事を言いだすとは思いだにしなかった。一瞬とはいえ本当に我が子か疑ってしまった自身が恥ずかしい」


「それは仕方あるまい。元々魔力暴走から生還した奇跡の子として噂にはなっていたが、その影響なのだろうな。祝福の儀で無能無才と宣告された悲劇の子として同情と憐憫の対象となり、アレスの極光王輝の祝福が更にそれを際立たせた。正に対極、光と闇だ。そして自身の状況を理解していたのなら…あれほどの鬱憤を内に秘めていたとしても仕方ない事だろうよ」


「魔力暴走の件以降、カティスに対してシアが過剰なまでに過保護になってしまったのも良くなかったのだろう。屋敷の者達も皆、カティスに対して一歩引いた接し方をしてしまっていた。今日のあの子を見て分かったよ。カティスは魔力暴走や祝福の儀の結果など気にもしていなかったのだと。自身が気にもしていない事を周りが勝手に好き勝手想像するのは、確かにたまったものじゃないだろうね」


「今回は運が良かった。他国の者があの場にいたら流石に有耶無耶にするわけにはいかなかっただろう」


「私個人としてはその判断は助かるが、貴族としては納得しかねるぞ。公の場、それも国王の子どもの祝福の儀の場で、5歳児と言えどあれだけの事をしでかしたのだ。それを御咎めなしどころか、君含めてあの場にいた貴族の当主全員が頭を下げるなどあってはならない事だろう」


「あの場で頭を下げたのは、子にみっともない姿を見せる事を良しとしなかった親だ。そこに身分など関係ない。それに子供に対して身分など気にするなと言ったのは俺だしな。そもそも5歳児などまだ分別が付かない年頃だろ?そんな子供に正論を言われたので処罰するなどと、それこそ世間の笑い者だろう。それにな…今日、朝起きたら枕元に手紙が置いてあったんだよ。エリン様からのな」


「エリン様から?戻って来られたのか?」


「いいや、5年前に世界の叫びが聞こえると言って出て行ったきり、今まで何の音沙汰もなしだ。とはいえあの方にとっては5年も5日も似たようなものだろうしな。便りがないのもむしろ何事もない証明だろうから放置していたんだが」


「手紙はどんな内容だったんだ?君の子供達の祝福の儀のお祝いか?」


「それがな、どうやら今日俺が死ぬのを夢で見たらしい。教えずに死なれたらさすがに寝覚めが悪いから教える事にした、だそうだ」


「…冗談、というわけではないだろうな」


「ああ、この5年間一度も連絡を寄越さなかった方がわざわざ手紙で知らせてきたんだ。それにあの方は嘘など言われないからな。つまり俺は今日、本来なら死んでいたという訳だ」


「原因は書いてあったのか?」


「いいや、ただ星に穿たれて死ぬとだけ。意味が分からんだろう?とはいえ俺とてまだ死にたくはないのでな。会場には魔法遮断の結界を張らせていたし、オスカーには王都内を監視させていた。原因が分からん以上、今日一日はなるべく問題を起こさないよう動くつもりではあった。お前の息子が全部台無しにしたがな。いや、もしかしたらあの場でお前の息子を処断しようとしたら死んでいたのか?」


「カティスがどうやって君を殺すと言うんだ?そもそも星で貫くなど一体どうやるのか皆目見当がつかないが」


「覚えているか?カティスが最後に言った言葉を」


「テンセイシャ、だったか。何のことかさっぱり分からなかったが」


「俺もだ。だが似たような言葉は見た事がある。勇者レイの素性、生い立ちは一切不明。分かっているのは最初に現れたのが我が国エタニアルであるという事だけだ」


「急にどうしたんだ?」


「まあ聞け。今でこそ勇者レイは創世神アルマンテ様が遣わした神の使徒という扱いだが、当時勇者レイが現れた際、何処から来たのか聞いたらしくてな。その時、勇者レイは自身をテンイシャと名乗ったらしい」


「テンイシャ?聞いた事がないな。いや、そもそもそんな話見た事も聞いた事もないぞ?」


「当然だ。王のみ閲覧出来る歴代の王の日記に書いてある内容だからな。ともかくその時テンイシャというのが分からなくてどういう意味か聞いたらしくてな。テンイシャというのは天から来た者という意味らしい」


「…だが、カティスは天から遣わされてなどいないぞ?間違いなく5年前、シアが産んだ私達の子どもだ」


「別にそこは疑ってなどいないぞ。ただテンセイシャとテンイシャ、響きが似ているだろう?全くの無関係というのも考え辛いと思ってな。カティスが何かしら関係があるとしたら、星に穿たれて死ぬというのもあながち間違いではないだろう?そもそもカティスは本当に無能無才なのか?俺はまずそれが信じられん。聞いた話ではカティスが触れた時に神霊石が砕けたというが、あれが砕けた話など俺は今まで聞いた事はないぞ。その事実を以て教会の連中は無能無才、神に見放された子どもと言ったらしいが、見方によっては神霊石でカティスの器を測りきれなかったとも捉えられる」


「あの時あの場で祝福の儀の結果を否定しなかった事が、私の人生最大の過ちだよ」


「俺もお前の立場なら似たような行動を取っただろうよ。誰が悪いという訳でもない。ともかくだ。俺のプランはカティスによって全て狂わされっぱなしだ。最初はアレスをジュリアスの従者にと思ったのだがな。次期国王の従者が双子の弟ならば、カティスがイストネルを継いだ場合、後ろ盾として十分な影響力を持てるだろうと思ったのだが、アレスの従者が決まってしまった事でジュリアスの従者にするわけにはいかなくなった」


「カティスが自分よりもアレスにこそ強い従者が必要だろうと引かなくてな」


「次善策として、今日アレスとアリステラの婚約発表をするつもりが、カティスがやらかしてくれたお陰でぶち壊しだ」


「…聞いてないぞ?アイゼル」


「そりゃ言ってないからな。だがアレスが次期イストネル侯爵になると先手を打たれた。アレスを王家に迎える分には問題なかったんだが」


「うちの子供達は身分など関係なく自由恋愛だ。自分から言ってきたならともかく、こちらから押し付けるつもりはない」


「侯爵家がそれでは困るのだが、まあいい。だが多少の協力くらいはしてもらうぞ?本人同士が好き合えば問題ないのなら、そうなるように仕向けるまでだ」


「…無理強いはしないぞ」


「それで良い。アレスはともかくカティスは押し付けたらほっぽり出して逃げ出しそうだからな」


「カティスもなのか?」


「むしろそちらが本命だ。神霊石で測れぬ大才、捨て置くわけにはいかん。俺の見る目がなくて口だけの早熟だったとしてもそれはそれで構わん。あいつを鎖なしで放置する方が余程恐ろしい。シグナス、お前達を甘く見ているわけではないが、おそらくお前達ではカティスの鎖になる事は不可能だろう」


「そうだろうな…昨日、カティスの従者が決まったよ。どんな子だと思う? 緋毛緋眼の狼人族の女の子だ。他にも大勢優秀な人族の子供達がいたが、それらには目もくれず、まるで居るのが分かっているかのように隠れていた場所から引きずり出させていたよ」


「獣人でしかも緋毛緋眼の狼人族の女だと!?」


「ああ…あの子は言っていた。この子こそが自分の従者に相応しい、この子しか考えられないと。それを聞いた時に確信した。カティスは虐げられし者の、持たざる者の為に戦う男だと。そして今カティスの周りにいるのは世話係の銀狐の女性と、従者に選んだ緋毛緋眼の狼人族の女の子だ。たまたま獣人が二人いるだけかもしれない。だがそうではないかもしれない。カティスが従者を選んだ時、なぜか私の脳裏に浮かんだよ。将来成長したカティスの姿と、そしてその周りにいるな人達の姿が。だがその中に人族は一人としていなかった」


「……」


「私は最初で最後の選択肢を間違えたのだろう。カティスが祝福の儀で無能無才と宣言された時、ただ唖然とするのではなく、それを告げた司教を、教会をぶん殴るべきだった。そうしていたらあの子はまだ人に希望を見出していたかもしれない。今日のような事はしなかったかもしれない。私は恐ろしい。将来カティスが人族と敵対する第二の魔王となるかもしれず、もしそうなった時、それに立ち向かうのはきっと勇者となったアレスだ。親馬鹿の誇大妄想だと笑ってくれて構わない。だが、王城でカティスの振る舞いを見た時に、その光景を思い浮かべてしまった」


「流石にそれは考えすぎだ。エリン様の夢見によると、本来俺は今日死ぬ筈だったんだろう。だが、おそらくカティスが引いた事で結果が変わった。会話が出来るという事は話し合いで解決出来るという事だ。そう悲観することはあるまい」


「なんであれ、あの子が私たちの子どもである事に変わりない。親として何ができるかは分からないが、進む道が正道である限り私は全力であの子達を守ろう」


「いずれにせよ今は見守るしかあるまい。エリン様があの場に居られたらまた違っただろうが、たらればを論じても仕方ないしな。カティスの件はとりあえず一旦終わりだ。憶測ばかりで考えたら良からぬ方向に舵取りしかねんからな。それよりもカルロスの件だ。これも――――」

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