第18話 カミングアウト

 本来であれば王子と王女の誕生を祝い、貴族間の交流を深める和やかで賑やかなものになる予定だった誕生会は、誰も言葉を発さない、異様な緊迫感溢れる場と化していた。国王は何も発さず、王子王女も無言のまま。護衛の騎士たちは殺気を漲らせ、集まった貴族と子どもたちは息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待つのみ。


 この状況を作るに至った当事者達、ウェスタング侯爵は目を血走らせ射殺さんばかりに元凶を睨みつけ、その両親は一体こいつは誰なんだと言わんばかりに畏怖の籠った目で元凶を見る。そしてその元凶、カティス・イストネルはそんな場にあって尚、表情を崩すことなく、むしろ全てを見下すような嗤いを顔に浮かべていた。


「ほら、どうした。笑えよ。おい、そこのお前、さっきまで俺を見て笑ってたよな?なんで笑わないんだ?おら、笑えよ!無能無才のガキが立場もわきまえずとんでもない不敬を働いてるぞって、指を差して腹を抱えて笑えよ、ほら!!」


 誰も口を開かない事が不満なのか、カティスが周囲にいる貴族に対して絡み始めた。絡まれた貴族からすれば堪ったものではない。このような雰囲気で一体何を言えば良いのか。この狂人の言う通り、指を差して笑えば良いのか、不敬を弾劾すれば良いのか。何をするにも全ての耳目は自分に集まる。国王のいるこの場で、そのような形で注目を集めるなど望んではいなかった。


 あろうことか反応しない貴族に対してケリまで入れ始める。その姿は貴族というよりも礼儀を知らない冒険者や野党、盗賊といった方が相応しい。とはいえ反応すればこの狂人の矛先が自分へ向き、対応を丸投げされかねない。少なくともこのような衆目の中で自分が火中の栗を拾うわけにはいかない。


 普段であれば激昂し、その場で手打ちにしていてもおかしくはないだろう。しかし王子王女の誕生会という慶事の場であり、国王がいるにも関わらず沈黙を貫き、そして何より常軌を逸した礼儀知らずな行動に、思考が現実に追いついてこない。これはなにかの夢なのではと現実逃避する者すら存在した。


 そしてここまでして反応しない貴族たちに見切りを付けたのか、カティスは深い、深いため息を吐いた。


「はぁ……お前らは一体何がしたいんだ?無能無才と宣告された俺を王命でこの誕生会に呼び寄せて、なあ、何がしたかったんだ?おい、国王、お前に聞いてんだよ。耳ついてんのか?俺をこの場に呼び寄せて何をしたかったのかって聞いてんだよ!!」


 ついには国王に対してため口で喧嘩を売り始めた。ありえない暴挙。極まる不敬に護衛の騎士たちもこの不敬極まりない愚かな餓鬼を即座に捕縛せんと身構える。王の命令があれば、子どもだろうと即座に死なない程度に痛めつけ、獄へと放り込むだろう。彼らが動かないのは唯一つ、主である王が動かないからに他ならない。しかしこれほどの暴挙を眼前で繰り広げられていてなお、王からの命令はない。


「気が済んだか?」


 そして王が発した言葉は、不敬を咎める言葉でもなく、捕えよとの命令でもなく、殺せと言う指示でもなく、駄々を捏ねる子どもをなだめすかすような発言に、想定していた言葉と違ったのだろう、一瞬きょとんとするカティス。


「…済むわけねえだろ。こっちは豚共相手に晒し者にされたんだからな。この落とし前はどうつけるんだ?」


「ふむ。確かにお前をこの場に呼んだのは俺の独断であり我儘だが。別にお前を晒し者にする為に呼び出したわけではない。お前の父親は俺にとって全幅の信頼を置ける親友だ。であるならば、その子どもが俺の子どもにとってもそうあって欲しいと思うのはおかしな話ではあるまい」


「それならアレス一人で十分だろう。将来イストネルを継ぐのは弟であるアレスだ。俺じゃない」


「そうなのか?」


 シグナスに問いかける国王。対してシグナスは答えを持たない。当然である。二人ともまだ5歳、シグナスも現役である。とはいえカティスがそう考える理由も分かる。無能無才と極光王輝、100人中100人が、どちらが次期当主に相応しいか選べと言われたら後者を選ぶだろう。


「いえ、しかしカティスがそう考えているのなら、アレスが了承すればそうなるかと」


「つまりカティスよ。お前は将来イストネルを出るという事か?貴族である事を捨てると?」


「当然そうする。けどな、それも当然だろ?この有様を見ろ。ここにいる貴族と名乗る豚共の惨状を。出来る事と言えば陰口叩いて嗤うだけ。こんな子どもにここまで虚仮にされて反論一つしようともしない。犬でも三日飼えば恩を忘れないのにな。こいつらは三歩歩けば忘れる鶏か?いや、それは鶏に失礼か。鶏は卵を産むし鶏肉になるからな。似ても焼いても食えないこいつらよりもはるかに上等だ。となれば、豚扱いしたのも豚に失礼だったな。貴様らはあれだな。ゴブリンだ。いや、外面だけは人と同じ分、ゴブリンよりも性質が悪い。俺はゴブリンと仲良くする趣味はない。特にほら、そこの人妻に懸想している、ゴブリンの股座から生まれた、女性と見れば見境のない醜悪なハーフゴブリンとはな」


 極めつけのゴブリン扱い。貴族にとって、いや、人に対する最大の侮辱である。静観を決め込んでいた貴族たちも、このまま放置し続ければ、この狂人が不敬と侮辱を拡大再生産し続ける事にようやく気付く。速やかにこの狂人をこの場から排除する必要があると。


 とは言えどんなに狂っていようが相手は5歳の子どもである。そしてこの場にいる貴族たちには全員同年齢の子どもがおり、そしてこの場にその子ども達もいるのだ。多くの子どもの前で子どもに手を掛ける。その行為が子ども達にもたらす影響を考えると二の足を踏まざるを得ない。しかしそれはこの狂人を放置しても同じ事。仮に、そう仮に、この狂人の真似をする子どもが出た場合、そしてそれが自分の子どもであったなら…最悪の未来が頭を過ぎる。


 国王が激昂していればそもそも話は早かった、しかし国王が冷静な為、余計にここで即座に動くべきかの判断を迷わせる。何故このような狂人を放置するのか。確かに国王とイストネル侯爵シグナスが無二の親友である事はこの場にいる誰もが知っている。しかしここまで侮辱されて尚、親友の子どもだからと言って放置すれば沽券に関わる。状況は最早、子どもの失言で済ませる段階を通り過ぎている。


 何よりこんな暴挙を許したとすれば、国王の威厳は地に堕ち、国としての体裁すら保てなくなるだろう。処罰は必須。だが誰がそれをなすのか。この件に首を突っ込むのは一貴族にはリスクが高すぎる。そんな状況で動いたのはある意味当然の人物。

ゴブリンどころかハーフゴブリン扱いをされたカルロス・ウェスタング侯爵であった。


「シグナス・イストネル侯爵!貴殿、未来の王国を担う子らが集まったこの慶事の場に、他者を侮辱し尊厳を汚し、辺り構わず猛毒を吐き散らかす狂人をこの王城に招いた責、どう取るつもりか!!貴殿の頭一つ下げた所で、いや、例え爵位を返上した所でこれだけの暴挙、到底贖えるものではないぞ!」


 国王のみならず数多の貴族家当主とその子息子女が集まる慶事の場にて、罵詈雑言をまき散らす愚挙。これほどの侮辱行為を働いた存在は、千年王国エタニアルの歴史を紐解いても、いや世界中探した所で存在しないだろう。礼を弁えない子どものやらかしで済ませられる範疇は越えている。一族郎党悉く族滅の憂き目に遭ったとしても、罪と罰の釣り合いは取れないだろう。それほどまでの大惨事。


 カルロス・ウェスタング侯爵の糾弾に対し、シグナス・イストネル侯爵がどう返答するのか。次に紡がれる一言が、イストネル侯爵家の未来を決定する。誰もがそれを理解するが故、場に静寂が満ちる。暫しの間目を瞑り、何かを考えていたシグナスが一歩踏み出し、目を開くと同時、言葉を発しようとした瞬間――――― 


「…けるな…」


 そのつぶやきはか細く、


「ふざけるなぁぁああ!この屑共がぁぁぁぁああ!!!」


 今までとは比にならない激昂。同時に会場内に設置されているテーブルが、酒瓶が、皿が、ガラスが、派手な音を立て弾け飛ぶ。会場に響く悲鳴、護衛の騎士たちが抜刀し、不測の事態に即座に対応出来るよう臨戦態勢へと入る。一瞬にして先ほどまでとはまた違うひりついた殺気めいた気配が会場に充満し、場の空気に当てられた子ども達が泣き始める。

 

「ギャーギャー喚くな豚共が!この場に俺を呼んだのも、今この状況を作ったのも、それは全て国王の、貴様ら自らが招いた失態だろうが!!それを言うに事欠いてこちらに責任があるだと?寝言は寝て言え!!貴様らは馬鹿にされたら喜ぶのか?見下されたら感謝するのか?見世物にされたら踊るのか?好奇の視線に晒されたら身もだえして喜ぶのか?」


 騒然となる会場を余所に、この場にいる者達こそが諸悪の根源と断言する姿は、とても5歳の子どもとは思えない。


「どいつもこいつもいい加減にしろ…無能無才と俺にレッテルを貼りつけて特別扱いとは有難い事だ。ならばこの俺が貴様らにレッテルを貼っても問題あるまい?極光だの王輝だの、有難がるのは結構だがな。そんなものはその人物の一面にすぎん。類まれな才能があろうと、どれだけ神に愛されようと、それが今この場で何の役に立つ?貴様ら馬鹿にも分かる様に話してやろうか。どんな才能があろうと、花開かなければ無才と同じだ。何も成せないのであれば無能と同じだ。そしてこの中に、無能無才でない者がどれだけいる?偶々貴族に生まれただけ、偶々祝福を授けられただけの盆暗共が、一体何を勘違いして自分は特別だと思い込んでいる?自身の子どもの目の前で他の子どもを笑い者にする貴様らこそがこの世で最も醜い生き物だ。ゴブリンにすら劣る醜悪で下劣な存在だ。そんな自らを棚に上げてイストネルに非があるだと?首を垂れ涙を流して平伏し、謝罪するのは貴様らの方だ!!」


 5歳の子どもの吐き出した呪詛に、咄嗟に返せる者はこの場に存在しなかった。否、二人だけがその子どもの前に立ち、深く首を垂れたその二人は、誰あろうカティスの両親であった。


「すまなかった、カティス」


「私もよ。ごめんなさい、カティス」


「…父上と母上が謝る必要はありませんよ」


 両親からの唐突な謝罪に、今まで吐き散らかしていた暴言が鳴りを潜める。


「いや、この場で最も謝らなければいけないのは私達だ。お前を大切に思っていることに偽りはない。しかし、何があろうとお前は私たちの息子だなどと言っておきながら、その言葉自体がこの場にいる者達同様、無能無才という言葉に囚われていたからこそ紡がれた言葉なのだから」


「絶対一人にしないなんて言っていた自分が恥ずかしいわ。あなたの気持ちを知りもしないで…カティス、あなたはずっと独りで戦ってきたのね」


 カティスへと向ける感情のベクトルは異なるにしても、無能無才であるという事を前提にカティスを見ていた事は事実。それに気づかされ、そして今までそうと考えず接して来た自身を二人は恥じた。例え自らの子に対してであっても、衆目の中で侯爵家当主夫妻が自らの非を認め、頭を下げる事の意味は、重い。


「父上、母上、頭をお上げください。お二人は何ら恥じる事はありません。むしろ私は誇らしい。例え子ども相手であっても、いえ、子ども相手だからこそ、自らに非があったとしてもそれを認め、真摯に謝罪する事の出来る大人など滅多に存在しないでしょう。そんなお二人が私の両親であったことを感謝いたします。そして同時に確信しました。お二人の下でなら、アレスの才能は歪むことなく真っ直ぐに、大いなる輝きを放ち、イストネルをあまねく照らす事を」


 親子の会話を黙って見つめる貴族たち。そこに一体何を思うのか。茶番と笑うか、それとも…しかし、続いて声を発した存在にその場にいる者達が驚愕の表情を浮かべる。


「俺からも謝罪しよう。確かにお前の気持ちを考えもせず、一方的に呼び出したのは俺だ。そこに無能無才と呼ばれるお前を見てみたいという好奇心があった事も否定しない。だが…はははは!今のお前を見て、一体誰が無能無才と誹ることが出来る?この場の貴族全員に対してあらん限りの罵詈雑言、さすがの俺でも言えはせん。いやはや、全く…流れ聞こえてくる言葉のみで軽率に判断した俺の失態だ。お前の諫言、にしては悪辣に過ぎるが、この胸にしかと刻もう。この場にいる全ての者に代わって謝罪する。カティス・イストネル。済まなかった」


 まさかの国王からの謝罪。前代未聞である。それ即ちカティスの暴言を不問に付すという事でもある。そして自らが謝罪の言葉を口にする前に、国王が謝罪を口にしてしまった事実に顔が青褪める。内心どうあれ、国王が謝罪した以上、非はこちらにある事になる。なってしまう。そして国王が謝罪したにも関わらず、それを否定する事など出来ようはずもない。が…


「お断りします。その謝罪は受け取りません」


 あろうことか、国王の謝罪を拒絶した。まさに暴挙。誰も彼もが、両親さえもが開いた口が塞がらない。本来であれば極刑など生温いほどの罰が下される所を、国王の温情による奇跡の逆転劇であったはずの謝罪を、何故断るのか。自らを晒し者として呼び出した事に対する謝罪、それを拒否するなど道理に合わない。拒否する理由があるとすれば、あり得ない、理解出来ない事だが、この騒動自体が愉快犯、狂言の類という事になりかねない。


「国王としての謝罪など必要ありません。将来国を背負って立つ、王子殿下と王女殿下と友誼を結ぶ者を確認、選別するのは当然の事。ましてその中にアレスが入っているのなら、双子の兄である無能無才と呼ばれる者がどういった者か確認するのは当然でしょう。御覧の通り、私は不適格ですが。ですが…子を持つ一人の親として、子に恥じぬ姿を、子に誇れる存在である為の謝罪と言うのであれば、お受けいたします。僕はこの件に関しては完全に被害者なので謝罪はしませんが」


 国王としてではなく、あくまで二人の子を持つ親としての謝罪。面子の問題ではなく、人としてどうありたいかの問題。身分など関係なく、あくまで同じ人同士、対等な個人としての謝罪なら受け入れる。それがカティスの出した答えであった。それがどんなに見え透いた物でも、建前は重要である。貴族の当主として頭を下げるのは容易な事ではない。相手が自身より身分が低ければ尚更、例え自身に非があったとしてもだ。だが子を持つ一人の親としてならば。そこに貴族など、身分など関係ない。あくまで親が我が子の健やかな成長の為に、自身の過ちを謝罪するだけ。


 この機を逃すわけにはいかない。貴族たちの行動は迅速であった。次々とカティスの元に向かい、大人げなかったと謝罪する。内心がどうあれ、国王が既に頭を下げてしまっているのだ。ここで謝罪をしない選択肢は存在しない。カティスとしても、こここで問題を起こせば非難されるのは自身となる。素直に謝罪を受け入れていく。そして、最後に残されたのは一人。理不尽に梯子を外されたカルロス・ウェスタング侯爵である。


 シグナスを蹴落とす絶好の機会。それが何故か自身が窮地に立たされている。カルロスからしたら理解できなかった。どう考えても悪いのは黒髪の小僧とそれを連れてきたシグナスである。貴族家当主達を前にしてあれだけの罵詈雑言。普通に考えて許されるわけがない。なのにどういう訳か国王と貴族が謝罪する結果となっている。


 何がどうなったらこんな結末になるのか。一体この餓鬼は何なのだ。それこそ遥か昔人心を惑わし誑かし、争乱を煽り世に混沌を齎した邪神とその眷属のようではないか…あながち間違いではないのかもしれない。無能無才。神の祝福なき存在。そのような存在など、邪神に魅入られた存在でもなければあり得ない。


「貴様は…貴様は一体なんなのだ?」


 思わず零れたその言葉を、5歳の子どもが拾い上げる。


「俺が一体何なのかだと?良いだろう、教えてやる。俺が、俺こそが転生者だ」

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