第9話 藪をつついて出るものは

 朝食の時間。何時もであれば明るい笑い声が響く和やかな時間である。しかし祝福の儀以降、誰もが口を閉ざす重苦しい空気が充満する非常に息苦しい時間となっていた。であるにも関わらず、誰一人として…給仕のメイドですらこの場の空気に耐えかねて逃げ出そうとしなかったのは、その食事の場にカティスがいるからに他ならない。


 カティス・イストネル。祝福の儀において無才無能の烙印を押された、神に見放された子ども。この世界において魔法の才が、魔力がないというのは、神の祝福が得られない事は、死の宣告と同じである。街から一歩外に出れば、そこはもはや人ではなく魔物の領域であり、街道から逸れでもしたら、そこは人を辞めた外道の縄張りである。この世界で生きていく為には力が、特に魔法というものは非常に重要であった。


 神への祈りによって行使される魔法は、正しく神の御業である。帝国の一都市でありながら、自らが住まう都市を国家として認めさせた大賢ドルキアの使う魔法は、天を裂き地を割るという。賛神教総本山アルマトーレにて祈りを捧げる天使ミミエルは道半ばで斃れた死者を蘇らせるという。そういった存在に及ばずとも、岩を砕き、傷を癒す事の出来る者など腐るほど、街中で石を投げれば当たるのがこの世界だ。


 イストネル家であれば、子ども一人を一生養う事など造作もない事ではある。だが貴族が貴族足り得るのは、義務を果たしているからこそ。国を、領地を、街を、市井の人々を魔物から、外道共から守護する。それが出来て初めて貴族と言われるのだ。少なくともこの国において、義務を果たさず己の欲望のみにかまけているような堕落した貴族は存在しない。


 義務を果たさず貴族を名乗る者は侮蔑の対象であり、義務を果たせず貴族であろうとする者もまた、軽蔑の対象であった。そしてこの世界において安全とは買うものである。当然街に住む人々も例外ではない。街で安全に暮らす為に少なくない税を払っているのだ。そして当たり前だが街に住める者には限りがあり、無駄飯を食らい遊び惚ける者など、税を納めている者達からすれば厄介者以外の何物でもない寄生虫である。働かざる者、食うべからずなのである。


 故に、カティスの今後を思えば思う程、イストネル家中の者達はカティスに懸ける言葉が見つからず、直視できずにいたのであった。


「今日、国王より通達がきた。二カ月後に執り行われる王子と王女の祝福の儀に、イストネル侯爵の家族全員が参加せよとの王命だ」


「そんな!?」


 イストネル現侯爵であるシグナスの口から紡がれた発言に衝撃が走る。王命による王子と王女の祝福の儀への参加。別にこれは大した問題ではない。同年齢の子どもがいる貴族家全てに通達が届いているはずである。将来国を担うであろう王子と王女のお披露目の様なものであり、誕生会のようなものである。これに参加する事で王子や王女に自身の子どもが覚えて貰えたなら将来安泰である。そういった考えが働いたか否かは定かではないが、この国の貴族家で今年5歳を迎える子どもの数は例年よりもはるかに多かった。


 イストネル侯爵家においてはそういった思惑は一切なく、現侯爵と国王が幼少の頃からの親友であり、結婚した時期も一緒だったというだけであるが。本来なら慶事でしかなく、お互いの子供の成長を祝う為、王命など関係なく喜んで参加するところである、が…


「それはつまり、カティスも参加しろという事ですか!」


 カティスもとなれば、話は別である。アレスだけならば問題ない。極光王輝のその才は紛れもなく英雄の器。すでに国内どころか国外にもその存在は知れ渡り、有象無象からアレスと誼を通じる為のご機嫌伺いや面会の打診、果ては婚約の話まで持ち上がっている。そしてアレスの事が広まる事はつまり、カティスの事も広まるという事だ。無能無才、神に見放された者。弟に全てを奪われた出涸らし等々。光が濃くなれば闇もまた深まる様に、アレスの話が出ればカティスが引き合いに出される。とてもではないが本人に聞かせていいような話ではない。


「そうだ。王命である以上、断るに足る理由がなければ拒否は出来ん」


「それなら!!……いえ、ですが…」


 本人が居る所で言えるわけもないだろう。無能無才を酒の肴にするつもりかと。見世物として、当て馬として笑いものに、晒し者にするのかと。


「シアの気持ちは十分以上に分かる。だが王が、エスターが考えもなしにこのような王命を出すとは私には思えない。何か考えがあるのだろう。私にはこの王命を拒絶する事は出来ん」


「あなた…」


 顔を見れば、夫とて苦渋の決断をしているのだと分かる。王命、いや親友だからこそ、わざわざカティスを指名した理由、その真意を測りかね、しかし信じたいのだろう。だがそれでも、妻として、いや母として、息子が好奇と侮蔑の視線に晒されるのを看過するわけにはいかない。ならばやれる事は一つ、直接その真意を問い正す――


「構いませんよ」


 夫婦の葛藤の間に割り込んだのは、冷静極まりない幼い声だった。 


「王子と王女の祝福の儀、僕は参加しても構いません」


「カティス…お前はそれでいいのか?いや、私が言える台詞ではないな…」


「そうですカティス!そんなものに出る必要なんてありません!!」


「大勢の貴族の方達も来るのでしょう?アレスをお披露目するいい機会じゃないですか。おそらくですけど、周りからしつこく会わせろとせっつかれているでしょう?ちょうどいい機会です。アレスがどういった存在かを知らしめるべきでしょう」


「確かにお前の言う通りではある。だがそうなった場合、お前がどうなるか分かっているのか?」


「覚悟は出来ています。ですがそうですね…父上、いえ、イストネル侯爵として国王に伝えて頂けますか?何があろうと責任は全て国王が取るのならば参加しますと」


 カティスの告げたその言葉に、アレスを除くこの場にいる者達全てが衝撃を受けた。カティスは自身を犠牲にする事で、イストネルを、そしてアレスを守るつもりなのだと。自らを道化とする事で、イストネルとアレスに対して良からぬことを企む者達を炙り出し、排除するつもりなのだと。まだ5歳にも関わらず、イストネル侯爵家の為に、弟の為にここまで自身を犠牲に出来るものなのか。祝福の儀の結果など最早些事に等しい。無能無才がなんだというのか。そんなものはこの子にとって足枷にすらならない。この幼い子どもの心には、確かに貴族の、イストネルの高潔なる精神が宿っているのだと――――


「お前がそこまで言うのならば、私も覚悟を決めよう」


「私も覚悟を決めたわ。安心してカティス、あなたを絶対一人にはしないわ。何があろうとあなたは私たちの子どもよ」


「?にいさま、ぼくもいっしょだよ!」


 カティスの示した覚悟によって、重苦しかった朝食の空気が瞬く間に払拭される。まだ5歳の幼い子どもが、ここまでの覚悟を持っているのだ。我々のやるべきことはなにか。不幸を嘆くことか?不運を悔やむ事か?違うだろう。止まない雨はなく、明けない夜はない。この時この場において、イストネル侯爵家に連なる者達は一つになったのだ。

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