第3話 夏祭り最後の日
日が暮れるのが少しずつ早くなっている。遠くで蜩の鳴く声がして、夏ももうすぐ終わるのだと少しだけ寂しいような気持ちになる。
「人が多いね」
凪は額の汗を拭いながら呟いた。
「今日が夏祭り最後の日だからね」
茉莉花は持ってきた手持ちのミニ扇風機を凪の方にも向けながら、多すぎる人集りにうんざりしたように答えた。
それなら尚更、彼氏と来たかったのではないかと言い掛けて止めた。
「なーちゃん、かき氷食べよう」
茉莉花はかき氷屋に真っ直ぐ向かうと、迷うことなくイチゴ味を選んだ。凪は少し迷ってメロン味にした。
茉莉花は何度か冷たさに顔を顰め、「キーンときた」と言って頭を抑えていたのだが、その勢いは止まることなく数分で食べ終えてしまった。
「あとチョコバナナとじゃがバター、クレープと……たこ焼きも食べたいな。アイツと来るとさ、好きな物全然食べられないんだよね」
アイツ、とは大学生の彼氏だ。この前までは確かぴーちゃんだか、プーちゃんだかと可愛く呼び合っていた。今はすっかりアイツ呼ばわりだが、珍しいことではない。喧嘩するたびにこうなる。
「今回は本当に別れる。だって……」
ここまでは順調だったのに、堰を切ったように茉莉花は彼氏の愚痴を言い出した。こうなると止まらない。別に聞きたくないけど、私にだけ話してくれるのなら、それは嬉しいことだと思う。
「それにね、こういう屋台で私が食べたいものが本気で綿菓子だと思ってるの。女の子ならみーんな綿菓子が好きだって疑わない。イカ焼きなんて食べようものなら、信じられないような目で見るんだよ。夢見過ぎ」
「でも、わかる。茉莉花は綿菓子しか食べないよ」
半分ずつ食べようと買ったたこ焼きを口いっぱいに頬張る茉莉花を見ながら、凪が思わず吹き出した。
「茉莉花、鼻にいっぱい青のりついてる。なんで?」
綺麗にパウダーで仕上げた化粧が崩れないように、指の腹で優しく払い落とす。いつもは厚底のローファーを履いて身長を大きく誤魔化している茉莉花が、今日はいつもと違って凪より頭ひとつ分くらい小さい。
「ほら、なーちゃんのそういうところ」
「なに?」
「なーちゃんが彼氏だったら良かった」
茉莉花は少し不貞腐れたように言った。
「好きなもの食べて、好きな自分でいられるもん。それに、なーちゃんなら私のこと一番大事に思ってくれるし、わかってくれる。そうでしょ?」
「そうだねぇ」
「なに、その気のない返事。なーちゃんは私が彼氏だったら、って思うことない?」
「私は……」
パッと全ての街灯が消え、遠くで歓声が上がる。何事かと二人は思わず顔を見合わせた。
どこからかカウントダウンまで聞こえてくる。
茉莉花は「どうして?」という顔で凪の顔を見ている。
だが、さっき「花火の時間大丈夫?」と聞いたら、「あと30分あるから」と食料を調達していたのは茉莉花の方だ。
空がパッと明るく照らされた。鮮やかな大輪の花が咲く。
一発目の花火が上がってしまった。
そもそも、このタイミングで花火が上がるなんて、ベタな展開にも程がある。
「は? 何?」
おまけにドラマとかでよくあるような、『その言葉は花火の音で掻き消された』みたいな都合の良い展開もない。
「まさか、ないの?」
暗闇の中、ほとんどぼやけた輪郭だがどんどん詰め寄られてきているのはわかる。
「き、こ、え、なーい!」
この女王様はどうしても答えが聞きたいらしく、再度打ち上がる花火の轟音にもびくともしない。
夜空にはにこちゃんマークが2つ並んで消えた。
花火を少しでも近くでみようと、周りの人たちも一斉に港の方へ歩き出す。
本当は二人も少し前に港で場所取りをするはずだった。
路地裏から酔っ払いの団体が押し寄せてくる。人波に流されないように、凪は咄嗟に茉莉花の手首を掴んだ。
「花火、見に行くんでしょ」
茉莉花はハッとしたように「行かなきゃ」と言った。とっておきの穴場があるのだと張り切っていたのだから。
細くて長い路地を抜けていけば、港まで一直線に向かうことができる。人通りの少ない裏通りの階段は、海に面しているのに何故か誰も気づいていないらしく、ゆったりと座ることができた。
次々に打ち上がる花火を見ながら、「ほとんど間に合ったね」と茉莉花が呟いた。頬にうっすら汗の跡が見える。
「綺麗だね」
プシュッと炭酸の抜ける音がした。さっき買ったサイダーを、茉莉花が開けて手渡す。
「乾杯しよ、めちゃくちゃ贅沢な夜に」
もう一つのサイダーを、火照った頬に当てながら、茉莉花がにっこりと微笑んだ。
次々に打ち上がる花火がキラキラと茉莉花の横顔を照らしている。
本当に贅沢な夜だと思った、この瞬間をずっと独り占めしたいだなんて馬鹿なことを考えくらいに。
「茉莉花、今日はありがとう」
火薬の匂いが風に乗って漂ってくる。
18年生きてきて、多分今が一番夏を満喫している。
きっと、"青春"ってこういうことをいうのかもしれないと、凪はどこか他人事みたいに思った。
「ねぇ、なーちゃんは思ったことない? 私が彼氏だったらって……」
茉莉花は再び同じことを訊ねた。どこか様子がおかしい。
「……私はね、茉莉花みたいな彼女が欲しい」
誤魔化すのも茶化すのやめて、凪は正直に答えた。
「じゃあ、今夜はなーちゃんが私の彼氏」
茉莉花はそういうと、「なーちゃん、大好き」と甘えるように肩にもたれた。その頭に触れると少し熱を帯びていて、これは夢じゃないんだと気付かれないように頬をつねった。
本当にはならないから、恋人ごっこでも十分だった。
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