第37話穴の中

「しっかり捕まってろよ」


 宏樹はそう言うと俺をしっかり抱えて頭から垂直に黒い穴の中に突進して行った。こんなにスピードを出したのは、バイトに遅刻しそうになって空から送って貰ったあの時以来だな。


 そんな事を思っていると目の前に黒穴が近付いて来た。穴の中は真っ暗で何も見えない。グルグルと渦巻いていてゴォォという低い音が奥底から響いて来る。頬にかすかな風を感じたと思った瞬間、俺たちは穴の中に物凄い勢いで吸い込まれて行った。


 遊園地のアトラクションみたいに体が回転した。重力がかかり吐き気を催す。暗すぎて目を開けているのか閉じているのか自分でも分からなくなっていた。



‥‥‥‥‥‥「おい、目を開けろ。着いたぞ」


 宏樹の声に目を開けて辺りを見回した。まだ世界が回っているようで焦点が定まらないが、天井は低く壁はゴツゴツとしていて洞窟の中にいるような感じだ。奥の方から微かに冷たい空気が流れてくる。上を見上げたが入って来た穴は全く見えない。俺たちはどれくらい落ちたのだろう‥。


「進むぞ、時間が無い」


 俺も頷いて歩き出そうとしたが足元がフラフラする。軽いめまいも覚えた。


「わ、悪い。ちょっと待ってくれ」少し屈んで深呼吸した。こんな所で時間を取られるわけにはいかない。しっかりしろ、直巳。



 歩き出すとこの通路のような道はくねくねと曲がっているが基本は1本道のようだった。


「ここってさ60階層の通路じゃね?」

「俺は自分の部屋から出た事がないから分からんな」


 ふうん。そういう物なんだ? でも俺の記憶が正しければこれは70階のボスがいる部屋―つまりリヴァイアサンが待ち受ける部屋―に向かう通路だと思う。あんなにやりつくしたゲームだ、間違うはずはない。


「なんかここってゲームの世界っぽい。あの黒い穴がゲームの世界とリアル世界を繋いでいるのかも」

「なるほど。ではこの先にリヴァイアサンが居る部屋があるという事だな」


 そうだ、俺たちは69階の部屋と70階のボス部屋を繋ぐ通路を歩いているのだ。

 ん‥そういやリヴァイアサンは海の怪物だろ、水と言えば‥。


「ああああっマズイ! この先は湖だ!」

「泳ぐか俺がまた飛んで渡れば問題ないだろう?」


「いや、大ありなんだよ! ボス部屋は湖の中にある二つの扉を抜けた先なんだ。素潜りの選手でも無い限り、とてもじゃないけど扉にまで辿り着けないよ」


 黒い穴がどこへ繋がっているか考えていなかった。たとえ予想出来ていたとしても‥。


「ゲームの時はどうやって攻略してたんだ?」

「60階層のボス部屋の雑魚が低確率で人魚の指輪っていうのを落とすんだ。これを持っていれば水の中でも呼吸出来るようになる。人魚の指輪を持ってないと70階は無理なんだよ」


「今からUターンして60階に向かうのは無理だな」


 絶対無理だ。無限湧きする雑魚が指輪を落とすまで狩り続けるなんて時間的にも無理過ぎる。


「‥地上に戻るか?」しばらくの沈黙の後、宏樹が俺に聞いて来た。

「地上に戻って潜水ボンベとか用意して‥でももう夜だ。万が一ボンベが手に入ったとしても今回と同じように警備に見つからないで黒穴に入れるか分からない。しかも時間切れを考えたらもう1日待たないといけない‥」


「ゲームとは違って、その間にクジラゾンビに消化されてしまう可能性がないとは言えんな」

「くそぅ、どうしたらいいんだ?!」


「湖を抜けるのに何分くらいかかるんだ?」

「一つ目の扉まで3分、次の扉まで3分位。雑魚クリーチャーは出ない」


「そうか‥なら直巳、お前死ね」

「えええっ?! 何言ってんだよ、冗談なんか言ってる場合じゃないんだぞ」


「冗談ではない。息が続かないなら死ね」

「ちょ‥お前どうかしてるぞ」


「分からない奴だな。途中でお前が死んだら俺が運んでやる。湖を抜けたら蘇生してやるから心配するな」

「そんな!‥うっ‥うぅ」

「分かったな? 行くぞ」


「ちょ、ちょっと待て。お前心肺蘇生なんてやった事あるのか?」

「ない」

「そんな‥もし成功したとしても時間がかかり過ぎたら脳に影響が出るんだぞ。成功しなかったら‥」


「お前は出来るだけ長く息を止めて踏ん張れ。お前が死んだら氷漬けにしておいてやる。8分前後なら大脳に損傷が出ずに済む。ギリギリだろうな」


 ここで俺が決断しないとるり子さんを助けられない。俺は自分の気持ちをちゃんと伝えられないまま、また大切な人を一人失う事になるんだ。


「分かった。宏樹に俺の命を預けるよ」


 

 少し歩くと広大な湖が目の前に現れた。薄暗くどんよりした周囲を映して、その水も暗い色を放っていた。水際まで来ると緊張して足がガクガクと震える。俺、ここで死ぬのか‥。


「あまり緊張するな。体が硬くなって十分な空気を取り込めなくなるぞ」


 緊張するなという方が無理だ。だって俺はこれから死にに行くんだぞ‥。


「俺を信じろ。まぁお前に人工呼吸するのは俺としても不本意だが‥」


 ん、人工呼吸だって? あっ、それって宏樹が俺の口に直接‥わ~~~~っいくら死んでるとはいえこいつにキスされるなんて!


「うわぁっ、言うな。想像させるな、やめてくれ!」

「やめてもいいが、蘇生出来ないぞ」

「くっ、それ、は‥困る」


 俺が困っているのを宏樹は面白がっているようで、奴は吹き出した。


「もう緊張は解けたな。さ、行くぞ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る