第9話
「……なんだ」
「それは酷い誤解です!」
私がこんな行動に出るとは思わなかったのか、クロードは静かに驚いてるけれど、目の前の旦那様は依然、涼やかだ。
ジンジンと痛む手のひらをぐっと堪えて、高らかに言った。だって、事実無根なんだもの。
「……君に興味があるわけじゃないから別にいい訳なんて――」
「結婚する時に好きにしていいと言いましたよね」
「ああ」
旦那様は私の訴えに目を細め、なんだと言わんばかりに手元の書類に視線を戻す。まるで、どうでもいいと言われているみたいで、正直腹が立つ。
そうなら、最初から忠告などするなと言いたくなる。お飾りでいいと言ったのは彼なのだから、その言葉の責任を取って欲しい。
念を押すように確認すれば、簡単な相槌が返ってくる。
「だから、出かけたんです!」
「別にそれを咎めてなどいない。ただ、朝早く出かけ、帰ってくるのが遅いと他の貴族に何を言われるか分からないからいってるだけだ」
語尾を強めて言えば、さすがに非はないと言いたいのが分かるだろうと思ったけど、めんどくさい。
咎めてないと言いつつ、何故そんなことを言われなければいけないんだろうと胸にモヤモヤっとしたものが溜まっていく。
「そうは言われましても、仕事が予定より時間がかかって……」
どう伝えれば理解してもらえるのかしら――とあまり回らない頭で考えてみても、良案はない。
口にする言葉がどれも言い訳がましいと思われるだろうな、と諦めかけたその時、種類を走るペンがピクッと止まった。
「――仕事?」
「はい。そうです」
ゆっくり頭が上がると深い青色がジッと疑いの目を向けてくるけど、これはチャンス。
ずっと興味なさそうに聞き流していた旦那様の興味をこちらに向けられたんだから。
「借金は返してやっただろ」
「仕事は趣味です!!」
平民は普通に暮らすのにも女性が働くことはある。我が家の目下の問題は借金だったと思っていたのか、それがなくなれば問題ないと思っているらしい。
だからこそ、胸を手に添えて、自信満々に答えたけれど、執務室が何故か、シーンと静かになった。何なら、旦那様が目を真ん丸にして口を一文字にしている。
「仕事が……趣味なのか?」
「えーと、あーと、あの、……はい」
思ってた反応と違くて、何か間違えたかしらと少し不安になっていると薄く唇が開かれた。
何の確認か分からないけど、事実、私の趣味――あ、もしかして、仕事を舐めてると思われたのかしら。それとも、旦那様のプライドを傷つけてしまったのかしら。
思ったことをすぐ口にしてしまうのは、本当に悪い癖ね。ルーカスのこと言えないじゃない――と、自分を諌めつつ、言葉を濁す。
でも、嘘も誤魔化す言葉も全然出てくることはなくて、結局素直に認めてしまった。
「貴婦人は読書や刺繍、お茶会などに励み、ドレスや宝石を気分で買って暇を潰してるイメージだが」
「貴族のご婦人はそうなのかもしれないですけど、元々男爵令嬢でしたし……それに私は庶民歴五年なんです」
「……庶民歴」
趣味の概念を摺合せしているみたいなんだけど、確かに上流階級のご婦人やご令嬢はそうらしい。
夜会とかでそういった話をしたのを遠くで聞いたことがあるから、きっとそうなんでしょう。でも、こちとら裕福な家庭でもないし、騙されて庶民になっちゃった家なので、そんな趣味を持ち合わせていない。
働くことの方が身体に染み込んでいるからこそ、自信を持ってそんな贅沢な趣味を持っていないと胸を張れるわけなのよ。
誇りを持って告げるそれに、旦那様はポカンとした顔をしている。
その表情にこれで誤解は解けた気がして、晴れやかな気分になっていく。
「兄たちには旦那様の許可なく来るなと言われてしまったので、働く許可をください」
「働かなくても、金を自由に使っていい。それなのに何故、行きたいんだ?」
今日、リオン兄さんに言われた課題をクリアするなら今しかないと閃き、お説教ついでにお願いすると彼の眉根が寄った。
端整な顔が眉間の間をしわくちゃにしても、綺麗なままなのだなとのんきなに観察していると、疑問が返ってくる。
好きなことをしていいと仰ったから、有言実行していただけなのになんて訳の分からない質問をされ、困る。
答えなんて、すごく簡単でシンプルなのに。
「楽しいからに決まってるでしょう?」
「……なるほど」
こてん、と首を傾げて答えると鋭い目が、大きく見開かれた。
バカにされたり、制止されるかと思いきや、思いの外、素直に受け止めてくれたので、私も戸惑いを隠せない。
「許してくださいますよね?」
「ああ、そういう約束だからな」
「ありがとうございます!」
納得してくれたのなら、許可してくれたも同じだ、と語尾を強めて認めろと問いかければ、それはさらりと受け流された。
でも、これで言質を取ったも当然。OKを出してくれたことに胸を撫で下ろす。
「公爵夫人とバレないように気をつけろ」
「もう表に顔は出せないのでご安心ください」
貴族の――しかも、公爵夫人が民間で働いていると知られたら、不況を買うに違いない。
それを心配してリオン兄さんたちは私を止めたのだから、旦那様の忠告は最もだ。
本当は接客したい気持ちは強い。
でも、兄弟二人に既に先回りして封じられてしまってるから要らない心配になるんだけど、ここは頷くが吉ね。
「あ、今後の仕事をどうやるか兄たちと相談する為、通信機を自室で使うことを許可いただけますか?」
「借金をしていた割によくそんなものが手に入ったな」
あとでまた文句言われるのも、許可を貰いに来るのもめんどくさい。
今終わらせてしまえば、あとあと楽だからと、もうひとつ許可を願い出れば、不思議そうな顔をしていた。
通信機というのは魔道具の一種。
ギフトを持たず、魔法と呼ばれる力を操れる者たちが作る道具のため、貴重で高価なものだ。
借金まみれのわが家にこんなものが何故ある――とを疑われても仕方ないんだけど、これには事情がある。
「これは買ったものじゃなくて――」
「ああ、いい……好きにしろ」
なんて言えばいいかしら――と思考をめぐらせたけれど、最後まで言わせてもらえなかった。
どうやら、これは別に興味がないことみたい。
「ありがとうございます……!」
突っ込んで聞かないでくれるのであれば、これほど嬉しいことはないもの。
旦那様の好意だと思って受け取ることにして、頭を深々と下げるとぐぅ……という小さい音が鳴った。
なんとも間の悪い虫がいたものでしょうか。恥ずかしいったら、ありゃしない。
お昼はメアリーのご飯を頂いていたけれど、やっぱり仕事をするとお腹は減る。
「そ、それでは失礼しますね……!!」
ぶわわ、と熱が顔に集まる感覚を覚えつつも、誤魔化すように執務室を後にした。
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