第48話:切ないデート④

「キス……?」


 結愛の口から漏れた言葉を、俺は無意識の内に反芻していた。

 隣に座る彼女は平然とした態度で、ジッとこちらを眺めていた。

 俺の意思を確認しているのだ。どんな行動を取るのかを。


「結愛。それ本気で言ってるのか?」

「冗談で言うわけない」


 プラネタリウム会場は暗闇。座席も後ろ側であり、周りから見られる可能性はほぼない。

 勿論、突然後ろを振り向いてしまう元気小僧がいるかもしれないが……。


「結愛。時と場合を考えて行動しよう。流石にここは……」

「逃げるの?」

「逃げてるわけじゃないよ。ただ、ここじゃあ……マズイだろ?」

「言い訳が上手だね、勇太は」


 結愛はそう寂しそうに呟くと、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 何処へ行くのかと思いきや、彼女は対面した状態で俺の太ももの上に乗ってきた。

 俺の首へと白くて細い腕を回すや否や、彼女はジッと熱い視線をこちらへ向けてくる。


「勇太、もう一度言うね。キスして」


 太陽よりも眩しいぐらいの瞳。

 もうお姉さんの声なんて、俺の耳元には決して届かない。

 最愛の彼女が決して普段では聞かせてくれない甘い声だけが残るのだ。


「…………ダメなの?」

「ダメじゃない。ダメじゃないけど……」

「けど、何?」


 結愛は小首を傾げて。


「あたしたちは恋人同士でしょ?」

「それはそうだけど……どうして今何だよ?」


 二人だけの空間ならば、俺だって喜んでしていたはずさ。

 でもな、やっぱり周りの人々がいると、そう安易に動けないんだ。

 ヘタレ男だと罵られても仕方ないと思っている。

 たださ、俺は公共の場では変な行動を取りたくないのだ。


「恋人同士がキスするのに理由なんて必要なの?」

「…………必要ではないけど」

「それなら早くキスしてほしい」

「今日の結愛は積極的だな。どうしてだよ?」

「そ、それは……」


 結愛は僅かに視線を逸らした。


「——ロマンチックだと思うから」


 天井に映し出された最高の夜空。

 人工的に生み出されたプロジェクションマッピングの技術。

 夜に空を見上げれば、これ以上の景色が見れるのかもしれない。

 だが、人間が努力を重ねて作り出した技術も負けてはいない。


「それだけじゃ……ダメ? キスをしたいと思う理由には」


 最愛の彼女がキスを懇願してくる。

 それは願ったり叶ったりな展開だ。

 ただ、俺は怖かった。また、以前のように突き放されるのではと。

 しかし、ここで立ち止まっていては何も始まらない。動かなければ。


「ダメじゃない」


 俺はそう呟き、結愛を優しく抱きしめた。

 彼女のカラダは見た目以上に肉が付いていた。

 ぷにぷにとした感触で、餅という表現が一番近しいかもしれない。


「やっと正直になってくれたね、勇太」


 恍惚な表情を浮かべ、満面の笑顔を見せてくれる結愛。

 彼女が喜んでいる。

 その事実に、俺さえも無性に嬉しくなってしまう。

 結愛は目を閉じて、俺からのキスを待っている。

 もう覚悟を決めるしかない。そう思い、俺は最愛の彼女に唇を重ねた。


「んっんぅ」


 結愛の口から甘い声が漏れた。

 茶色の美しい瞳を見開き、彼女は言う。


「もっと欲しい。勇太をもっと感じたい」

「まだ続けるのか?」

「うん」


 コクリと頷き、結愛は指示を出してきた。


「あたしの口の中にベロを入れてほしい」


 両手で引っ張られて、くぱぁっと広がった口内。ピンク色の舌に、並びが良く白い歯。

 ただ、口元は多少カサついており、唇にヒビ割れがあった。

 病院生活中は、お風呂に入る機会が少ないと言っていた。

 肌の保湿が、もしかしたら上手くできないのかもしれない。


「勇太、早く」


 彼女におねだりされて、言うことを聞かない彼氏などいない。

 甘えられると、俺は弱いのだ。

 彼女の要望通り、淡い桃色の口の中へとベロを差し込んだ。

 彼女の喉から吐き出された吐息が先端部分を冷たく触れてきた。

 その直後——俺の舌は、快楽の渦に飲み込まれてしまうのであった。


「どう? 気持ちいい?」


 舌と舌が絡み合う。

 ほんの少し触れ合っただけで、カラダ全身がビクビクと反応してしまう。

 この感覚は、足下をねこじゃらしで触れられるものに近いだろう。

 何とも言えぬ、むず痒さがあるのだ。ただ、それを嫌いにはなれない。


「気持ちいいよ、結愛」

「ほんとう? 嬉しい。それならもっとしてあげる」


 舌先の使い方など、一朝一夕で付くものではない。

 病院生活中の暇な時間帯に、彼女は舌技でも磨いたのではないか。

 そんな疑問が湧き上がるほどに、俺の弱い部分ばかりを彼女は知っているのだ。

 ビクビクと痙攣する俺を見て、本懐結愛は無邪気に微笑むばかり。


「…………膨らんできちゃったね、勇太のあそこ」


 結愛の視線が下がった。

 そこには一部分だけ突き上がったズボン。

 照れ臭そうに笑う姿さえも、結愛は最高に可愛かった。


「お、男なら、誰でもそうなるだろ」

「あたしも濡れてきちゃった。勇太とキスしてるだけなのに」


 えへへへと笑いながら、結愛はまたおねだりのキスを所望してきた。

 留まることを知らない若さの至りに、彼氏は付き合うしかない。

 首に回された細い腕に自由を奪われ、無我夢中で貪り尽くされる。

 自分という人間が食べられているという気がするのだが、悪い気は全くしない。

 これが彼女なりの優しさであり、愛情表現なのだと認識することができるから。


「勇太と触れ合ってるだけで幸せ」

「俺もだよ、結愛」

「似たもの同士だね、あたしたち」


 そう呟き、結愛は自分から唇を重ねてくる。

 舌を絡めるようなものではないものの、その掠っただけのキスが何とも愛おしく感じてしまう。


「結愛、最高に可愛いよ」


 俺は本心を伝えた。

 間近で見れば見るほどに、本懐結愛の可愛さが伝わってくるのだ。

 実際、彼女を抱きしめる力が次第に強くなってしまうのだから。

 しかし、彼女は嫌がる表情を一切浮かべず、逆に抱き返してくれるのだ。

 どんな星々よりも、どんな惑星よりも美しい茶色の瞳を緩ませて。


◇◆◇◆◇◆


「結局、俺たち……ずっとキスばっかりしてたな」

「……勇太が欲しかったんだもん。勇太は嫌だった?」

「俺だって結愛が欲しかったよ。だから、スゲェー嬉しかった」

「それなら何も問題ないよね」


 俺と結愛はプラネタリウムを後にし、先程まで居た駅へと戻っている。

 と言っても、電車に乗るわけではない。

 結愛がどうしてもゲームセンターに寄りたいと言ってきたのだ。

 まだ暗い時間帯でもないし、まだまだ遊び足りないのだろう。


「勇太はさ、あたしのこと本気で好きなんだよね?」

「好きだよ。当たり前なことを聞くなよ」

「そうだよね。それならいいんだけど……それなら別に」


 雲行きが怪しい。

 もしかして、結愛は何か不安でも抱えているのか。

 俺は隣を歩く結愛の手を強く握りしめた。


「俺は結愛が好きだ。大好きだ。だから、何も不安にならなくていいよ」

「でも、さっきは全然キスしてくれなかった」

「時と場所関係なく、求められるほど俺たちは若くないだろ?」

「勇太は優柔不断なところがあるから困る。本当に好きなら迷うことなんてない」

「……嫌なんだよ、俺は」

「嫌……? 何が?」

「結愛の可愛い顔も、可愛い声も、全部全部全部、俺が独り占めしたいんだ」


 俺は本懐結愛を愛している。

 これは紛れもない事実。

 どんなことがあっても覆すことが不可能なことだ。

 言ってしまえば、俺は独占欲が強いのだろう。

 結愛のことが大切なあまり、他の男に、他の人間に、彼女を奪われたくないのだ。

 結愛のことを独り占めしたいのだ。結愛のことを自分だけのものにしたいのだ。

 束縛とまでは言わないまでも、俺は結愛を……結愛を……自分の言うとおりにしたいのだ。


「そっか。勇太はあたしのことを独り占めしたいんだぁ〜」


 面白いことを聞いたとでも言うように、結愛は口元に指先を当て笑った。

 これはまた何か良からぬことを考えましたって顔だぞ。

 恋人同士の関係は惚れたほうが負けだという。

 言わば、それは相手に弱みを見せたほうが負けってことだ。

 つまり——。


「勇太があたしのことをもっと愛してくれないと、あたし嫌いになっちゃうかも」


 現在、恋愛の主導権を獲得したのは本懐結愛ってわけだ。

 やれやれ、もしかしたら今後も俺は彼女の可愛いおねだりを聞く羽目になりそうだ。

 まぁ、愛する彼女のためならば、どんな願いでも叶えてやろうと思ってるけどな。


◇◆◇◆◇◆


「勇太……もういいよ、あたしは」

「ダメだ。ここで諦めたら、今までの全てが無駄になっちまう」


 というわけで——結愛の願いを叶えるために、俺は必死になっていた。

 愛する彼女から「ありがとう」の一言を聞くためだけに。

 彼女の笑顔を見るために、どれだけ俺の小遣いが減ってもいい。


「よしっ!! そうだッ!! それでいい!! そのまま行け!! 行くんだッ!!」


 目の前に広がるのは、カエルのぬいぐるみ。

 可愛いと言えば可愛いのだが、気持ち悪いと言えば気持ち悪い。

 人を選びそうなカエル集団に、俺は頭を抱えながらもアームの強さに歓喜する。


「見ろ、結愛!! 世の中、金だ、金!! 設定金額以上払えば、アームは強くなるんだ!!」


 小悪党みたいな発言をしながらも、俺は後方に佇む結愛を呼ぶ。

 彼女は両手を合わせて神頼み状態である。俺の力を信じちゃいない。

 でも、見てみろ。現在、ぬいぐるみはガッチリ掴んだ状態だし、これならそのまま落ち——。


「んぎゃあああああああああああ!!!!」


 がっしり掴んでいたはずなのに、アームからぬいぐるみが落ちてしまったのだ。

 俺は頭を掻き毟り、結愛はそんな俺に「もう大丈夫だよ」と優しい声を掛けてくれる。

 だがしかし——。

 お札二枚が既に吹き飛んでいる。もはや、ここで立ち止まってはいけない。

 どんなことが起きたとしても、この勝負には打ち勝つしかないのだ。


「結愛、大丈夫だ。俺に任せろ。絶対に取ってやるから」

「……勇太、その言葉もう既に二十回は聞いているんだけど」

「知ってるか、結愛。男には避けては通れない戦いってものがあるんだぜ」

「カッコいいことを言ってるけど、もう逃げてもいいんだよ。勇太」

「それにさ、次こそは……次こそは絶対にイケる気がするんだ。俺の力なら」

「世の中のパチンコと宝くじがなくならない理由が、今垣間見えたよ、勇太!!」


 で——。

 俺が追加で一枚のお札を溶かした頃合いで、見かねた店員さんが助け舟を出してくれた。

 その結果、俺は数十回のトライを繰り返して、遂にカエルのぬいぐるみを手に入れるのであった。


「ほらよ、結愛。これ欲しかったんだろ?」

「うん!! ありがとう、勇太。これ大切にするね」


 美少女の笑顔はプライスレス。

 その笑顔一つで、俺はご飯が三杯は食えるね。

 まぁ、今後は節約生活をせねばならんと思うがな。


「それを俺だと思って大切に扱ってくれよ」

「うん。これを勇太と思って一緒に寝る。一人で寂しい夜は特に」

「結愛って意外とお子ちゃまなのか?」

「ん? お子ちゃまとは失礼だよ。これでも胸のサイズは結構大きいんだよ」

「自称だろ?」

「自称じゃないよ。客観的な意見です!」


 おこちゃま発言が気に食わなかったようだ。

 結愛は無気になって言い返してきた。いつも温厚な彼女が感情を表に出すのは珍しく、俺は新鮮な気持ちになった。


「それよりもさ、勇太」


 結愛は俺の腕を掴んだ。

 それから一直線にとある場所へと向かった。

 そこは——プリクラ。

 俺や結愛よりも若い中学生や高校生が集まっている。


「何だろうな、ここは乙女の楽園かよ」

「プリクラコーナーって男子禁制の場所が多いからね。カップルならOKだけど」

「俺は選ばれた男ってことか」

「そういうことになる。でも、他の女の子にうつつを抜かしたらダメだからね?」

「分かってますよ。ていうか、結愛以外の女性に目を奪われるわけがないでしょ?」


 正直な話。

 俺はプリクラの良さとやらがイマイチ理解できない。

 プリクラを使用する理由は、様々あると思うんだ。

 思い出を残したい。可愛く撮りたい。みたいな感じでね、様々とね。

 ただ、俺は思うんだ。そんなもののためにお金を費やす理由があるのかと。

 イマドキ、別にスマホの自撮りでも可愛く撮れると思うんだ。ていうか、逆にそっちのほうが盛れる可能性が高い。それにも関わらず、どうしてわざわざ人は撮ろうとするのだろうかと。


「やんべええええええええええええええええええええええええええええええ〜〜〜〜〜!!」


 結愛が可愛すぎる。

 実物の結愛も可愛いのだが、プリクラで撮影した彼女も違った良さがあるのだ。

 元々、結愛の瞳は大きすぎる。故に、機械上では大きすぎるのだが……。

 猫耳を付けた結愛のにゃんにゃんポーズが溜まんねぇーよ、これ最高すぎるだろ。


「プリクラ……お前の良さがやっと俺は分かったよ」

「どうしたの……? 勇太、今にも涙を流しそうだけど」

「撮影する前に音声が流れるだろ? アレの必要性が今まで分からなかったんだけど、やっと今日理解できてさ」


 恥ずかしがり屋な女の子に無理矢理色んなポーズを取らせることができる。

 男から言われても、そう動いてくれはしないものの……。

 機械のマニュアル通りなら「仕方ないか」と、女の子は動いてくれるのだ。

 俺が頼んでも、結愛は絶対ににゃんにゃんポーズとかしてくれないだろ??


「勇太はさ、健康的な女の子と不健康な女の子だったら……どっちが好きかな??」


 落書きペンを持ちながら写真を加工する結愛は、そう訊ねてきた。


「どういう質問?」


 そう呟き、絵心がない俺は本日の日付と天候を端っこに書き込む。

 結愛はペンをスラスラと動かし、全く気にする素振りもなく。


「ただ気になっただけだよ。深い意味はないから。ただ、どうなんだろうと思ってさ」


 健康的な女の子と不健康な女の子。

 どっちが好きか、そんなの比べるまでもない。

 最初から分かりきったことではないか。


「健康的な女の子が好きだよ」


 俺の言葉を聞き、結愛のペン先が止まる。

 先程まで動いていたペンが、ピタッと。

 何か発言を間違ったかと思いつつも、俺は説明を追加した。


「同じ女の子がいたとしても、彼女が健康か不健康かと言われれば……彼女が笑顔いっぱいに溢れられるほうがいいに決まってるだろ? だから、俺は健康な女の子を選ぶよ」


 自分が大好きな女の子が元気なほうがいいに決まっている。

 ここで不健康な女の子を選ぶほうは、よっぽど性癖がねじ曲がっているね。


「じゃあ、もしも違う女の子だったら? 健康な女の子と不健康な女の子なら」


 手に握りしめるペンが今にも折れてしまうのではないか。

 そう思えるほどに、結愛はギュッと強く握りしめている

 ペンを持たないもう一つの手はスカートの裾を掴んでいた。


「分からねぇーよ。そんなこと言われてもさ」


 ただ、と俺は真剣な瞳を向けて、結愛に言う。

 もうこれ以上、彼女が色々と変なことを考えないために。


「俺、時縄勇太は、本懐結愛が大好きなんだよ。健康か不健康かなんて関係ない。俺は健康だったあの頃の結愛も大好きだし、今の結愛だって大好きなんだ。だから、細かいこと気にするなよ」

「ありがとう、勇太」


 結愛は目尻を赤く滲ませながら。


「こんな病弱なあたしを愛してくれて」

「いいんだよ。俺の方こそありがとうな。こんな空っぽな俺に夢を与えてくれて」


◇◆◇◆◇◆


 バスターミナルにて、俺と結愛はバスを待っていた。

 結愛が乗るバスは、病院を経由するものだ。

 それを使えば、長い上り坂を歩く必要はないのだ。


「結愛とこんな感じのデートは久々だったよな」

「……うん、そうだね。今日はあっという間だったね」

「夕飯は別に大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫。お昼ちょっと食べ過ぎたから……今日はもう」


 結愛は小食だもんな

 バクバクと食べるタイプじゃないもんな。


「勇太、次は海に行きたいよね」

「海か……結愛の水着姿が楽しみだぜ」

「水着姿は無理かも」

「どうして?」

「……あんまりスタイルよくないから」

「今の発言、八割以上の女性を敵に回したぞ」

「そうなの……?」


 結愛は自己肯定力が低いのだ。

 自分なんてダメだ。自分は最低な女の子なんだ。

 そんな感じで、自分の価値を全く理解していないのだ。

 こんなにも可愛いのに。それを十分に把握していないのだ。


「あ、バス来ちゃったね」

「…………う、うん」

「それじゃあな、結愛」

「…………今日はありがとう。勇太から貰ったぴょん太は大切にするね!!」


 カエルのぬいぐるみは、ぴょん太という名前になったようだ。

 勇太の「太」が選ばれたのだろう。まぁ、別にそこはどうでもいいんだが。


「勇太は違うバス停からだよね……?」

「あぁ、始発からは出ないんだよな。残念なことに」

「それじゃあ、先に行ったほうがいいよ。じゃあね、勇太」

「あぁ、そうだね。また時間があったら、結愛のところ行くからな」

「うん。じゃあね、バイバイ。勇太」


 結愛は大きく手を振って、バスの中へと入っていく。

 俺はその姿を追いかけ、座席に座った彼女へと手を振った。

 彼女が無事にバスへ乗り込んだところを見て、俺は踵を返した。

 俺も急いで帰らなければならないと。

 結愛のためにも、自分のためにも、さっさと勉強しなければならないと。


「今日と明日は勉強漬けになりそうだな。骨が鳴るぜ、全く」


 俺はそう呟き、ポキポキと背中の骨を鳴らした。

 真正面の信号機は赤色のまま。

 緑色に変わった信号機を見てもう一度歩き出した瞬間——。


「————————————っっ!!」


 俺は後ろから突然抱きしめられた。

 誰だと思わなくても分かる。

 俺が大好きなニオイ。

 もっと一緒に居たいと願ってしまった香りだ。

 先程別れを告げてしまったものの、本当は帰ってほしくなかった相手。


「結愛……? どうしてここに?」

「勇太ともっと一緒に居たかったから」

「だからって……アレが最後のバスだったんだろ?」

「だけど……だけど……ここで帰れるほど、あたしイイ子じゃないよ」


 ワガママを一度も吐かない少女は優艶な瞳を向けた。

 街中の光を集めた瞳は、その輝きを全て吸収しているように見える。


「あんな気持ちいいことして……このまま帰れるわけないじゃん」


 それから、これまた今まで聞いたことがないほどに甘く熱い声で。


「ねぇ、お願い。あたしにキスの続きを教えて、勇太」

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