第47話:切ないデート③

「土日の昼間なのに……ミスドって意外と人が少ないな」

「店内で言っちゃダメだよ、勇太。デリカシーがないよ」


 ミスタードーナツの店内は静かだった。

 人数も少なく、ポツンポツンと人々が座っているのみ。

 年齢層はバラバラだが、殆どの方々がスマホ片手にドーナツを頬張っている。


「うわぁ〜。美味しそうなドーナツがいっぱいだねぇ〜」


 食に興味はありません。

 そんな女の子だと思っていた、あの結愛が。

 ドーナツだけは特別なのらしい。

 熱を加えたチョコのように瞳を蕩けさせ、ディスプレイを眺めている。


「これが全部食べられるなんて……し、幸せだぁ〜」


 結愛が喜んでいる。

 それだけで俺は無性に嬉しくなる。

 彼氏なら、誰もが彼女が喜ぶ姿を見たくなるはずだ。

 実際問題。

 彼女は毎日病院で退屈そうに過ごしているのだ。

 仏頂面でただ一日が流れるのを待つ日々を。

 そんな彼女が、自分の前だけは笑顔を見せてくれるのだ。


「結局、ドーナツって自分がいつも食べてるものになっちゃうよね」


 俺と結愛は好きなドーナツを取り、座席へと辿り着いた。

 お腹いっぱい食べると言っていた結愛が選んだのは——。

 エンゼルクリーム、ゴールデンチョコレート、ストロベリーリング、ポンデリング。

 新商品が可愛らしいポップと共に「食べて食べて」と主張しているのにも関わらず、結局結愛は昔ながらの味を選んだようだ。


「胃袋と相談した結果、そうせざるを得ないからな」



 で、逆に俺は——。

 ポンデリング、エンゼルクリーム、それとサイドメニューの肉そば。

 やっぱり、辛いものと甘いものを一緒に食べたくなるんだよな、俺は。


「ドーナツって可愛らしい見た目なのに、カロリーが高いからね」

「確かに……高そうだよな。このエンゼルクリームとか……」

「残念。意外とエンゼルクリームは、あんまり高くないんだよ」

「えっ……? こんな見た目なのに? クリームたっぷりでお砂糖たっぷりなのに?」

「実は一番高いのは、オールドファッション系のドーナツなんだよ」

「あんな地味な見た目なのに? 自分あんまりカロリー取りません感を出してるのに?」

「意外と着痩せするタイプなんだよ。中身にお砂糖ギッシリだからね」


 ちなみに、と呟きながら、結愛はポンデリングを一口サイズに千切った。


「ヤマザキのケーキドーナツって知ってるかな?」

「ドーナツが四つ入ってるのだっけ? 白色と黒色の」

「プレーンとココアなんだけどね」

「で、それがどうかしたんだ?」

「アレのカロリーも何と驚きの、一つ200カロリー超えだからね」

「悪い、結愛。カロリーを気にして生きてないからイマイチピンと来ないんだが?」


 食事に関して、栄養素やカロリーを気にして生きたことがない。

 好きか嫌いか。美味しいか美味しくないか。

 この二択でしか考えたことがない俺にとって、結愛がカロリーに関心を持っていたほうが驚きである。


「あの小さなケーキドーナツを全部食べたら、定食一食分のカロリーになる感じ?」

「……嘘だろ? 夜食用で母親が買ってきてくれことがあるけど……俺、それを普通に食ってたぞ」

「それだけエネルギーを消費してるってことだよ、勇太の場合は」


 そう笑みを浮かべながら、手元に残っていた一口サイズのポンデリングを口に入れた。

 この瞬間がこの世界で一番幸せな時間。

 そう言ってもいいほどに、彼女は至極幸せそうな表情を浮かべている。

 正に、頬っぺたが落ちるとは現在の彼女を表すのだろう。


「結愛って意外とカロリーを気にするの?」

「女の子だもん。それはするでしょ? あたしは運動もできないからね」

「でも結愛って今でも十分可愛いし、ダイエットする必要もないだろ?」

「着痩せするタイプなんだよ、意外とあたし」


 結愛を太っているとは一度も思ったことがないが……。

 本人は意外と気にしているようだ。


「ダイエットよりも筋トレのほうがいいんじゃない?」

「あたし、一回も腕立て伏せできないよ」


 結愛と同じ時間を過ごす度に新たな発見がある。

 こんなにも大好きで愛おしい彼女のはずなのに。

 まだまだ自分には知らないことだらけだ。


「今日のドーナツはいつもよりも美味しい」


 そう微笑みながらモグモグと小動物のように食べる本懐結愛。

 彼女は頬を赤く染めた状態で、口元を隠しながら。


「どうしたの? 勇太。こっちばかり見て。食べにくいよ」

「ごめんごめん。結愛が可愛くてさ」

「……もう勇太ったら、そんなお世辞を言って……」

「お世辞じゃないよ。本音だよ、本音。いつもそう思ってるぜ」

「そんな言葉を他の女の子たちにも言ってるんじゃないの?」

「そんなわけないだろ? 俺が愛しているのは結愛だけなんだからさ」


 嘘じゃない。

 俺が愛しているのは結愛だけだ。

 素面なときに他の女を愛しているなんて、俺は一度も言ったことない。


「それだけ愛してるなら、絶対にあたしを手放したらダメだからね」

「どうして俺が結愛を手放すんだよ?」

「他の女ができたからって」

「……結愛よりもイイ女がこの世に存在すると思うか?」

「いっぱいいると思うよ。あたしは全然可愛くないし、それにバカだし、病気持ちだし」


 僻むようなことしか言えない本懐結愛。

 彼女の手を少しだけ強く握りしめたままに、俺は真っ直ぐな気持ちで言う。


「ただ、俺が大好きな本懐結愛はこの世に一人しかいないんだよ」


 そう囁いてあげると、結愛は飛び切り可愛い笑顔を浮かべてくれた。

 その笑顔一つで、俺の薄汚れた心は浄化されるのであった。


 ちなみに——。

 本日の食事代は、結愛が出してくれた。

 待たせてしまったお礼だとさ。

 気を遣わせなくていいのにな、俺のために。

 でも、彼女はどうしてもと言うので、払ってもらうことにした。


◇◆◇◆◇◆


 俺と結愛は街中を散策した。

 適当に歩き回り、適当な店であれやこれやとお互いに喋る。

 それだけでデートは楽しかった。

 彼女が知らない一面を次から次へと知れるのが、デートの醍醐味とも言えるだろう。


「あ、ごめん。そろそろお薬の時間だ」


 結愛は常日頃から薬を服用している。

 食前食後は通常だが、それ以外にも活動時間中に飲む必要があるのだ。


「あぁ、そっかそっか。それなら適当な座席を探すか」

「ごめんね。楽しいデートを邪魔しちゃって」

「何言ってるだよ? 結愛と付き合うってのはそういうことだろ?」


 病気持ちの女の子と付き合う。

 それは彼女が抱える病と向き合うことでもある。

 俺は彼女の病を憎んでいるものの、それも彼女の一つの個性だと思っている。

 だから、俺は彼女のことを面倒だと思ったことは一度もない。


「もうこれで大丈夫だよ、勇太。ごめんね、迷惑をかけて」


 苦そうな薬を飲み干した後、結愛は飛び切りの笑顔を見せてくれた。

 その笑顔が無駄に明るくて、俺は改めて思ってしまうのだ。

 さっさと医学部に入って、彼女を病から救わなければと。


◇◆◇◆◇◆


「科学館に来るのは……小学生振りだぜ」

「昔は毎年のように行ってたよね? 覚えてる?」

「小学生の頃だろ? 授業の一環で行ってたよな」

「そうそう。あの頃が懐かしいなぁ〜」


 俺たちの前に聳え立つ歪な建物。

 それは文学少年を理系に目覚めさせる魅力を放つ場所。

 そうだ、ここは市内で一つしかない科学館だ。


「プラネタリウムと言ったら、やっぱりここだよね!!」

「というか、これ以外の場所が思いつかない」

「科学館の専売特許じゃないの?」

「意外すぎる専門分野!!」

「でも、星座を紹介できる人って少ないじゃん」


 言われてみれば、それはそうだ。

 プラネタリウムは、ただ星が見れるだけではダメなのだ。

 宇宙や星座に関して詳しい必要がある。

 勿論、マニュアルというものが存在し、それに沿って言えばいいだけかもしれない。

 ただ、プラネタリウムの鑑賞が終わった後、子供たちからの質問コーナーがあったらどうするのだ。質問攻めにあったら、何も答えられなくなるだろう。


「やっぱり子供の数が多いね。小学生ぐらいかな? 可愛いね」

「結愛は子供が好きなんだね」

「うん。子供は可愛いから大好き」

「生意気な奴もいるだろ?」

「勇太みたいな?」

「誰が生意気だよ。それに俺は子供じゃないから」

「生意気な大人ってのはどうかと思うけどね」


 率直な意見を聞き、俺は苦笑いしてしまう。

 そんな俺を視界に入れず、結愛は元気に走り回る子供たちを眺めながら。


「…………あたしも子供作れるのかな?」


 同じ歳の少女とは思えない発言に、俺は固まってしまう。

 どんな返答をするべきか悩み、結局黙ってやり過ごすことにした。

 ていうか、上手い返しもできないのに、相手の話を深堀りする必要もない。


◇◆◇◆◇◆


 プラネタリウムの上映時間は45分間。

 一時間に1本のペースで上映され、15分前に入室可能のようだ。

 小さな子供たちが我先へと座席を埋め尽くしていく中、俺と結愛は後方の座席を取った。

 後ろの席なので、誰一人として近くにいない。

 殆どが家族連れ。

 子供たちと一緒に座るため、一部に人々が集中しているのだ。


「勇太はさ、星座とかに詳しい?」

「生憎なことに全くだ。地学は専攻してないんだよな、俺は」

「地学?」


 結愛の知識は小学生段階で止まってしまっている。

 ここは言い直す必要があるか。


「高校では、理科が分野別に分かれるんだよ」


 指先を折りながら、俺は説明した。

 物理、化学、生物、地学と。

 すると、結愛は「なるほど!」とポンと手を叩いた。


「で、勇太は物理が苦手だから、化学と生物を選んでるんだね」

「医学部狙いだから、戦略的撤退だよ」

「戦略的撤退。勇太は難しい言葉ばっかり知ってるね」

「無駄に勉強だけはしてるからな」

「無駄な勉強だけはしてるからでしょ?」


 結愛の上手い返しに何も言えず、俺は話題を変えることにした。


「ところで、結愛はどうなんだ? 星座には詳しいのか?」

「眠れない夜に窓から星を観察することがあるからね」

「その姿を見たら、かぐや姫と勘違いしそうだな、俺は」

「何それ?」


 結愛はクスクスと微笑んだ。


「じゃあ、あたしは月に帰っちゃおうかなぁ〜」

「それはダメだよ。絶対に許さない」


 俺はそう呟き、竹取物語のストーリーを思い出しながら。


「だけどさ、かぐや姫って酷い話だと思わない? 今まで大切に育ててくれた爺さん婆さんを見捨てて、自分たちの世界にまた戻るんだぜ? 何か釈然としないんだよな」

「でも、逆にずっと居座られるのは嫌じゃん。どんなに仲が良くても、他人の家でずっと過ごすのは苦痛だと思うよ。お互いにね」

「……正論すぎて何も言えねぇー。オバQの15年後を思い出したわ」

「…………………………」


 結愛は十秒間ほど沈黙を貫いた後、一言呟いた。


「勇太の喩えは分かり辛い」


 ごもっともな意見を頂き、俺は話題を切り替えることにした


「ちなみに、竹取物語は作者不詳らしいぜ」

「作者不詳。何かロマンを感じるよね。誰が書いたか分からない物語って」

「古典では割とあるあるだぜ。作者不詳ってのは」

「ロマンを感じるね」

「残念ながら闇しかないぜ。昔は身分が高い人間しか名前がなかった。だから作者不詳になっているんじゃないかって説もあるぐらいだし」

「名前がないから作者不詳。そう考えると……何か寂しい気もする」


 俺と結愛が竹取物語談義を繰り広げていると——。

 頭上の照明がゆっくりと暗くなってきた。

 前方に座る子供たちが「うおお〜!!」と大きな声を上げる。

 それと同時に、舞台の中央に一人の背格好がある女性が立っていた。


「どうも皆さん。こんにちは。本日、この『宇宙旅行への旅』のガイドを担当——」


 今回のプラネタリウム鑑賞会は、宇宙旅行がテーマになっている。

 簡単に説明すると——。

 宇宙旅行へと出かけ、様々な星を見て廻るコンセプトになっているようだ。

 で、そのガイド役を務めるのが、先程自己紹介を行っていたお姉さんだってわけだ。


「勇太は彼女を大切にしない悪い彼氏だよ」

「えっ?」

「あのお姉さんのことを見過ぎ」

「いや、別に……何も見てないだろ」

「いや、絶対に見てた」


 そう唇を尖らせ、結愛は俺の手に自分の手を重ねて。


「勇太はあたしのことだけを考えればいい。それだけでいいの。わかった?」

「わかったわかったよ。ちょっとだけ見てただけだろ?」

「ちょっとだけでもダメ。勇太は余所見禁止。わかった?」


 結愛は嫉妬深い。

 俺が他の女の子と関わることを極端に嫌う。

 彼女として、他の女に彼氏が目移りするのが許せないのだろう。

 そういう部分を含めて、彼女の愛らしいところである。


◇◆◇◆◇◆


 小さな子供たちが集まっていたため、ペチャクチャとうるさいのではないか。

 そう思っていたのだが、子供たちは静かに天井に映し出された夜空を見上げていた。

 俺と結愛も彼等と同じく、食い入るように夜空を見上げ、知識を蓄えていく。

 お姉さんが自分の持つ知識を分かりやすく説明してくれているのだ。

 その話を聞き、隣の結愛が「そうそう」と通ぶった感じで腕を組んで頷いた。

 その姿が無性に可愛くて、俺は何度も思わず笑みを溢してしまっていた。


「さて、皆さん。お待ちかねの夏の大三角形のご紹介をさせていただきます」


 お姉さんの声色が一段と弾んだ。

 夏の大三角形。

 俺でも、名前ぐらいは聞いたことがある。


「デネブ、ベガ、アルタイル」


 一つ一つの星を指差しながら、結愛はそう呟いた。


「織姫星がこと座のベガ、彦星がわし座のアルタイル。七夕伝説にもなってるでしょ?」

「じゃあさ、デネブは何だ? もしかして三角関係を作るもう一人のヒロインとか?」

「勇太は漫画やアニメの見過ぎだよ。デネブはね、かささぎという鳥のことを言うの」

「かささぎ……? 何だよ、それ。聞いたことねぇーな。さぎの仲間?」


 俺の無知加減に、結愛は呆れ口調で呟いた。


「カラスだよ、カラス」

「カラス……? どうしてカラスだよ。マジで意味が分からないんだが?」

「織姫と彦星を繋げる橋渡しの存在。言わば、恋のキューピッドなの」

「カラスのくせに?」

「勇太ってさ、意外とおバカさん? 日本でカラスは縁起がいいことを示す鳥なんだよ。実際に八咫烏やたがらすとか聞いたことあるでしょ?」

「あぁ……た、確かに。サッカーのユニフォームにも何気にいるよね、アイツ」


 お姉さんが夏の大三角形の魅力を熱弁する中、俺は八咫烏のことで頭がいっぱいだった。

 近隣住民の皆様にとって、カラスというのは厄介な存在にしかならないだろう。

 それにも関わらず、昔の日本国内では縁起がいいものとして扱われていたなんて……。

 ジェネレーションギャップを抱きながらも、俺が夜空を見上げていると——。


「勇太」


 結愛が俺の肩に頭を乗せ、耳元に囁いてきた。


「今ここであたしにキスしてくれないかな?」と。

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