第46話:切ないデート②
「ところで、勇太。さっき一緒に話し込んでた女性は知り合いなのかな?」
結愛は訝しい瞳でそう訊ねてきた。
彼女は右手で左腕をギュッと握りしめ、白い肌が赤く染まっていた。
表情も強張っている。何か思うところがあるのかもしれない。
「あぁ〜と、さっきの女性のことか……えっとだな」
昔から結愛は俺が他の女の子と一緒に居ることを嫌っている。
俺だって、結愛のことが大好きだからこそ分かってしまう。
同年代の異性と自分の恋人が関わるのは誰だって嫌だろう。
もしかしたら、自分よりも彼・彼女のほうが恋人にふさわしいのではないか。
嫌でもそんな感情が頭の中によぎってしまうのだから。
「突然、道を聞かれたんだよ。観光客みたいでさ。本当に困ったぜ」
「…………観光客? 道を聞かれただけ……」
「あぁ、そうだよ。遠方からの観光客に親切にしたい気持ちは分かるだろ?」
さっきまで会っていたのは、彩心真優。
予備校のクラスメイトで、何かと関わることが多い良き勉強の理解者。
そして——俺の初めてを奪った女の子だよ、と紹介すれば良かったのか。
勿論、最後のは決して言うつもりはないけど、知り合いと素直に言うべきだったか。そう一瞬悩んだものの、結愛に負担を掛けることはしたくなかった。
「仲良しそうに見えたけど?」
「ええと……あ、あれは、ちょっと話が弾んでしまってな」
「ふぅ〜ん。勇太はあたし以外とも話が弾むんだね、そうなんだ」
愛する彼女はご機嫌斜めなようだ。
俺が他の女の子と楽しく喋っていたことが許せないようだ。
嫉妬しているのだ。本当に可愛い自慢の彼女だ。今後も大切したいね。
「それじゃあ、今からどうするか? 先に昼飯でも行くか?」
「勇太に任せる」
「結愛はまだお腹空いてないのか?」
「お腹空いてる。ただ、待たせた側が意見を主張するのは……」
「ったく、何を言ってるんだよ、結愛」
本日デートに遅刻したことを気に病む気持ちは分かる。
だが、それとこれとは別だろ。
「遅刻した件はもう忘れろよ。今日結愛に会えただけで幸せだからさ」
一般の浪人生は家で一人寂しく勉強をする毎日を送っているのだ。
そんな奴等とは違って、俺は最愛の彼女とのデートができるのだ。
それも飛びっきり可愛い女の子とだぜ。
逆の立場なら、俺はそんな奴等が受験に落ちろと願いながら、血の涙を流しながら勉強に励んでいるはずだぜ。でも、そうじゃないってのは、結愛がいるからなんだ。
「それにさ、結愛。待たせてるってのは俺も一緒だろ?」
「えっ……?」
「結愛の病気は俺が治すって誓ったのに、まだ叶えてねぇーだろ?」
***————***
中学時代。
まだ、俺と結愛が付き合い始める前の話。
病に伏した幼馴染みの彼女のために、俺は誓ったのである。
「泣くなよ、結愛」
あの言葉を言ったのは同情なのか。
それとも幼馴染みの彼女が苦しむ姿をもう見たくなかったのか。
または、昔から好きだった彼女を振り向かせるためだったのか。
もう今では覚えてはいないけど。
どんなことにも本気になれなかった俺は生まれて初めて夢を持ったんだ。
「結愛の病気は、全部俺が綺麗さっぱり治してやるからさ」
***————***
「まだまだこれからも俺は結愛を待たせることになる」
だからさ、と呟いてから、俺は笑って。
「ほんの少し待たせるぐらいで悩むなよ。俺だって待たせてるんだからさ」
青く澄み渡った空の下、本懐結愛は太陽よりも眩しい笑みを浮かべた。
煌々と輝く彼女を見ると、小学校の頃の彼女を思い出してしまう。
俺の手を引いて、前を走る天真爛漫な少女のことを。
「ずっとずっと待ってる。勇太がいつの日か、あたしの病気を治してくれるまで」
「あぁ、待ってろ。俺が結愛の病気を全部倒してやるからさ」
中学生だった頃に誓った夢。
それを最初に約束したときは簡単そうに思えた。
自分の人生を全て投げ捨て、勉強だけに時間を捧げる。
そうすれば簡単に医学部なんて入れちまうと思っていたのに……。
今では、その壁があまりにも大きすぎる。乗り越える壁がデカすぎる。
たった一年間で東大に入っちまう漫画もあるが、俺はただの凡人。
地道にコツコツ勉強して、少しずつレベルアップしていくしかないのさ。
「それよりさ、もう腹が減っちまったよ。今日の昼はどうする?」
「ドーナツが食べたい」
「なら、ミスド一択だな。結愛は昔から甘いものが大好きだなぁ〜」
「あたし、ファストフードではミスドが一番大好き!!」
それは初耳だった。
結愛はミスドが好きだったなんて。
今度からお土産はドーナツにしたほうがいいのかもしれない。
「それじゃあ、ここから一番近いミスドに行くか」
「うん!!」
そう元気に声を出して、結愛が俺へと手を伸ばしてきた。
今日は一段と積極的だなと思いながら、俺は彼女の手を握りしめる。
やはり彼女の手は小さく、そして夏場だといのにひんやりしていた。
俺が多少汗っかきであることは抜きにしても、熱さまシートぐらい冷たい。
「勇太の手……やっぱり大きい」
「そうか?」
「男の子って感じがする。とっても頼りになる」
頼りになるだと!!
そう言われたら、男としてはめちゃくちゃ嬉しいんだが。
ただ、そんなことで喜んでいることがバレたくない。
そう思い、俺は平然な態度を貫いたままに。
「結愛を守りたい。そう思って、大きくなったんだよ」
「そっか。あたしのためにか」
結愛は口元を隠しながら、クスッと微笑んだ。
それから俺の隣へとピタッと密着した状態で腕を組んでくるのだ。
「なら、ちゃんと守ってね。あたしを」
「当たり前だろ。守るよ、どんなことが起きても」
「ほんとう? ほんとうにあたしを守ってくれる?」
「あぁ。何せ、俺は結愛の彼氏だからな。結愛第一だぜ」
その言葉を聞けて安心したのか、結愛は微笑んだ。
「ありがとう。勇太が彼女思いの彼氏で助かったよ」
小柄ながらでも、結愛の胸元はしっかりと膨らみがあった。
ボリューミィのある柔らかさがあるわけではない。
ただ、弾力があるのだ。ほどよく、柔らかな感触が。
って、俺は何を冷静に分析しているんだ、流石に気持ち悪いぞ。
「だからさ、勇太。今後も勇太はイイ彼氏のままでいてね」
結愛の声色が変わる。
それは僅かな違いに過ぎない。
だが、俺の耳には何か裏があるような言い方だった。
彼女は真っ直ぐな瞳を向けたまま、覗き込むような形でドスの効いた声で。
「——絶対にあたしを裏切る真似だけはしないでね」
そうしないと、とメトロノームの調子が壊れたように震えて。
「あたし壊れちゃうから。勇太がいないと、あたしは生きていけないから」
◇◆◇◆◇◆
【本懐結愛視点】
本懐結愛は嘘を吐いた。
本日、バスに一本乗り遅れてしまったと。
しかし、今日という今日を楽しみにしていた彼女が間違えるはずがないのだ。
一日でも、一時間でも、一分でも、一秒でも早く抜け出したい病院。
そこから離れる今日を、どれだけ彼女が恋い焦がれたことか。
昨晩寝る前に何度も遅刻しないように下準備を行なっていたのだ。
そして——最愛の彼氏と久々のデートに臨んだのである。
(勇太に会える。それだけで嬉しい。勇太のことが大好き)
彼氏に会える。
その喜びが胸いっぱいに広がる中、結愛は約束の時間通りに待ち合わせ場所へと向かった。駅前に集合。そう伝えられただけで詳しい場所は聞かされていなかった。それでも、愛する彼を探すことなど簡単なことだった。
それに、彼を探す時間さえも、それはそれで尊いものだった。
「ゆ、ゆう——」
愛する彼の顔を見て、結愛は駆け出した。
彼氏の顔を見ただけで、自分の心臓が跳び跳ねるように動いている。
それが伝わってきた。
これが好きってことなんだ。これが愛してるってことなんだ。
彼を愛する気持ちに感動していたのだが——。
「誰……? あの人」
自分が大好きで大好きで愛してやまない彼氏が——。
自分が知らない他の女と楽しそうに喋っていたから。
だから、彼女は歩み寄ることができなかった。
駆け出していた足は突然止まり、力なく立ち尽くすことになってしまう。
「…………折角のデートなのに」
どうして自分は不快な気分に陥っているのだろうか。
どうして自分はあの二人から逃げるように隠れてしまったのだろうか。
彼等二人からは完全に死角となった柱の後ろ。
そこに背中を付けたまま、結愛は自らの左腕を右手で強く握りしめた。
「……ほんとうにバカだなぁ、あたしは」
逃げなくてもいいのに。
自分が彼の彼女だよと強気な態度を取れればいいのに。
そうすれば、あの見覚えのない女も消えてくれるはずなのに。
「そんな勇気……あたしは持ってないんだから」
本懐結愛は考えてしまうのだ。
もしかしたら自分は遊ばれているのではないかと。
もしかしたら彼は自分以外にも女がいるのではないかと。
一人で過ごすことが多い病院生活。
彼女は嫌でも色んなことを考えてしまうのである。
「勇太には本命がいて、あたしは遊びなのかな……?」
それは——。
自分の彼氏が他の女と浮気しているのではないか。
倦怠期の恋人同士では、ありがちな被害妄想に過ぎないものであった。
根拠はない。
ただ、現在目の当たりにしている光景がそうかもと思わせてしまうのだ。
「そういえば、最近勇太からの連絡が遅くなった」
彼氏から届くLIMEの返事がワンテンポ遅くなった。
ただ、それだけであった。
時縄勇太はスマホのフリック速度が早い。
数十文字程度なら、20秒程度で打ち返すことができる。
「それって……本命に連絡していたから?」
スムーズな会話がLIME上ではできるはずなのだ。
でも、その返答が既読が付いた後、少しだけ妙に時間が空いていたのだ。
それは、時間にして2〜3分のラグ。
他の人なら、別にどうでもよかったかもしれない。
ただ、愛すべき彼氏となれば、話は別である。
「…………もう嫌になっちゃうよ、自分のことが」
——勇太のことが好きなのに、勇太のことを信じてあげられない自分のことが。
◇◆◇◆◇◆
待ち合わせ時刻から三十分が経過した頃合い。
愛する彼氏から心配の連絡が届いていた。
それを無視するわけにもいかず、本懐結愛は連絡を返した。
(あの女……まだ勇太の隣に居る。何者なの……?)
と言えども、彼の目の前には未だにあの忌まわしい女が横に居たのだが。
仲良しげに喋る二人を見て、本懐結愛は激しい動悸に襲われてしまう。
深呼吸を何度も繰り返して、彼女は呼吸を正常に戻した。
それから、彼女は愛する彼氏の元へと向かったのである。
デートに遅刻してしまった、ドジっ子なフリをしながら。
欺くして、デートが始まるか。
そう思った矢先、本懐結愛は我慢できなかった。
悶々と胸中を迸る感情に終止符を打ちたかったのだ。
もしかしたら、彼に嫌われてしまうかもしれない。
面倒な女だと罵られ、捨てられるかもしれない。
そうだとしても——もう構わない。
そう思い、本懐結愛は愛する彼氏に訊ねたのである。
『ところで、勇太。さっき一緒に話し込んでた女性は知り合いなのかな?』
必死に勇気を振り絞って出した質問。
それに対して彼が答えた内容は——全てがウソだった。
そんなことなど長年付き合ってきた幼馴染み兼彼女の結愛にはお見通しだ。
しかし、彼が吐くウソなら、どんなことでも結愛は信じてあげられるのだ。
(勇太の言葉を信じてもいいんだよね……?)
あの女が観光客ではないことぐらいは分かりきっていた。
初対面の人間とそう打ち解けるほど、時縄勇太は人との付き合い方が上手ではない。それでも、結愛はそのウソを受け入れた。
(あたし、勇太のその言葉を信じるから……)
受け入れがたい内容だとしても、それが愛する彼氏の言葉ならば。
(あたしにできることは、勇太の言葉を信じることしかできないから)
下手くそなウソを吐く彼氏を眺めながら、本懐結愛は微笑んだ。
それから彼に悟られないように、心の中で一人でに呟く。
(下手なウソでも、あたしはそれを信じられるくらいバカでよかったよ)
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