第38話:彩心真優視点『認知』
【彩心真優SIDE】
私——彩心真優は、人生の中で後悔という後悔を一度もしたことがない。
失敗を一度も起こしていない人生と断言してもいいだろう。
ならば、どうして浪人生になっているんだと批判を食らいそうだが、浪人生という身分は意外と気に入っている。成績上位をキープしてさえいれば、誰からも咎められることはないからだ。
あとは、体調管理を怠らずに、一年間を満喫して、合格さえすればいいだけなのだから。
それなのに……。
「あぁ〜!! もうもうもうもうどうしてよぉ〜!?」
圧倒的な後悔の渦に苛まれ、私は自宅のベッドの上で悶えていた。
うつ伏せのまま足をバタバタさせ、顔をふかふかの枕へと押し付ける。
鏡が見えないけど、現在の顔が真っ赤に染まっているのは明白だ。
悩みの種は、ただ一つ——。
「どうして時縄くんに告っちゃうのよ……おかしいでしょ、アレは絶対に!」
***————***
『……わ、私は時縄くんの好きなところ、ちゃんと言えるよ』
勢い任せで言っていた。
時縄勇太という予備校のクラスメイトに向かって。
それも彼女持ちの彼氏くんに対して、自分は大胆な発言を。
『時縄くんの瞳が好き。時縄くんの優しいところが好き。時縄くんの諦めないところが好き。時縄くんの行動力があるところが好き。時縄くんの笑う姿が好き。時縄くんの頼れるところが好き』
***————***
「みゃあああああああああああああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜」
猫じみた嘆き声を上げながらも、私は脳裏に蘇るあの光景を忘れようとする。
勢い任せで放ったあの愛の告白した直後の、魔の時間を。
風の音さえも止み、全ての時間が一瞬止まってしまったのではないか。
そう錯覚を呼び起こすほどの沈黙に、私は耐えきれずに必死に誤魔化したけど……。
「絶対にアレはおかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい」
困り果てて口をポカンと開く彼に対して、私は何度『好き』と連呼したことだろうか。
最愛の彼女がいる彼氏くんに面と向かって。
彼の心は、私ではない女の子——結愛さんの方しか向いていないのに。
「絶対に変な奴だって思われたじゃん。うわぁ〜もう最悪最悪最悪」
過去の自分が犯した最大の過ちを思い返しながら、私はベッドをポコスカと叩く。
ぶおんぶおんと軋む音だけが無慈悲にも響き渡り、ホコリが空気中を舞っている。
「何やってんだろ、私は……」
もしも数時間前に戻れるなら、今すぐに戻りたい。
あのとき、彼——時縄勇太に告白する前へと。
そうすれば、何も悩む必要はなかったのに。
「でも、最初から分かってたよ。時縄くんの気持ちが私には向いてないことぐらい」
深い溜め息を吐き出し、気分を入れ替えることにした。
悩んでいても何も始まらない。変な奴だと思われても、気にしなければいいだけだ。
そもそも論、私にとって、時縄勇太という存在はただの予備校仲間。
同じクラスメイトで、少しは頼りになるだけの、ただの友達——。
「別に……別に……私は、時縄くんの、時縄くんのことなんて——」
***——————***
『あはははははは、ちょっと待ってよ。今のはただの冗談じゃない? それなのに、本気みたいに受け取ってもらったら困るって。もう本当にやめてよ。私、ちょっと重たい女みたいになってるじゃん。あくまでもこれは、時縄くんを揶揄ってやろうと思っただけで。その本気で言ったわけじゃないから。その、だ、だから……勘違いとかしないでよね。別に私は好きじゃないんだから』
素直な気持ちをぶつけてみたものの、相手からの返事が一向に届かなかった。
だから、私は必死に誤魔化したのだ。
彼——時縄勇太と過ごす日々が楽しかったから。
その何もない平穏な日常が最高に幸せだったから。
彼と過ごす幸せな時間を壊さないために、私は自分の本心に嘘を吐いてしまったのだ。
彼に嫌われたくないし、面と向かって想いを伝えることができないから、私は逃げたのだ。
でも、その結果——私は彼の本心を聞き出すことができた。
『ったく、それぐらい俺でも分かってるよ。さっさとお前が嘘でしたーって言うのを、俺も待ってただけだよ。だから、変な勘違いするなよな。そもそも、俺には大切な彼女がいるんだから、お前から好きとか言われても迷惑なだけだっつの』
私——彩心真優という存在は、彼——時縄勇太にとって迷惑なだけだと。
***——————***
失恋だ。
人生で生まれて初めての恋であり、そして叶わなかった恋の末路。
素直に想いを伝えることもできず、みっともない終わり方になったけど。
それでも、まだ彼との良好な関係を今後も続けることができる無難な振られ方だったはず。
「それでいいんだよ。時縄くんには大切な彼女さんがいるんだから」
自分に言い聞かせるように呟くと、頬に何か冷たいものが掠めてきた。
指先で触れると、それが溢れる涙だと気付く。
自分がどうして涙を流しているのか、意味が分からなかった。
無意識の間に流れ出した水滴を拭きながら、私は一人でに疑問を投げかける。
「どうして泣いてるんだろ、私は。時縄くんのことなんて何とも思ってな——」
脳裏を過ぎるのは、彼——時縄勇太の姿。
『あとは、お前が勇気を振り絞るだけだぜ。彩心真優』
赤子のように泣き叫ぶ私に、救いの手を何度も差し出してくれた人。
『なぁ、彩心真優。一人で抱え込もうとするな。俺を頼れよ』
もう何もかもがダメで、全てを投げ捨てようと思う自分を助けてくれる人。
『やっぱり、お前は笑っていたほうがいいと思うぜ』
泣いている姿よりも、笑っている姿のほうが似合ってくれると肯定してくれる人。
『——俺に全部任せろ』
一人で勝手に悩んでいると、それを全て横取りして解決してくれる王子様。
彼と一緒に過ごした時間を思い返しながら、私は一つの結論に辿り着く。
「…………好きだよ、好きだったんだよ、私は時縄くんのことが」
今の今までその気持ちに気付かなかった。
彼への強い想いを感じるのに、これほど時間が掛かるとは思わなかった。
時縄くんから連絡が来たら嬉しかった。彼と喋るだけで、胸のポカポカと温まった。
その感情は全て——。
「——恋だったんだ」
妙な胸騒ぎがしたことがある。
時折、彼の姿を思い、胸がキュッと締めつられる痛みがあった。
名も顔も知らない相手の悪口に祟られてしまったのではないか。
そんなオカルトじみた内容だと断定し、深くは考えることはしなかった。
だが、その正体が遂に分かった。分かってしまったのだ。
「私——彩心真優は好きだったんだ、時縄勇太のことが」
原因が判明し、胸の中で溢れかえっていた悶々とした感情が落ち着いた。
骨の髄まで身に染みるというのは些か大袈裟な表現かもしれないが、ストンと腑に落ちた。
今まで自分が彼へ感じていた妙な胸騒ぎの正体は、恋だったんだと。
「でも、この気持ちをどうすればいいのよ、本当に」
生まれて初めて同年代の男性を好きになってしまった。
でも、彼は最愛の彼女持ちで幸せな日々を過ごしている。
そんな彼氏彼女の関係を壊してまで、私はこの想いを告げるべきなのか。
「…………私が身を引けば全て解決する。時縄くんは結愛さんがいるんだもん」
情緒不安定な飼い主を介抱しようと思ったのか、にゃこ丸が近寄ってきた。
可愛らしい鳴き声を上げる彼へと手を伸ばして、抱き上げる。
反抗する素振りを一切見せず、にゃこ丸は真っ直ぐな瞳を向けてくる。
何も喋らないけど、「真優の想いを尊重するにゃん」と言っていそうだった。
「……どうすればいいんだろうね。この初恋の終わらせ方って」
もふもふとした毛並みを撫でながら紡いだ言葉。
それは初恋の終わらせ方。
人生の中で、それは誰もが体験したことがあるのだろう。
もしかしたら、早い人は小学生や中学生段階で諦めが付いた人もいたかもしれない。
でも、自分の場合は、誰かに恋するという経験が一切なくて、今の今まで掛かってしまった。
「初恋って苦しいんだね。誰かを好きになった瞬間に呪われてしまうんだから」
ピコンピコンと、スマホが振動した。
家族からだろうかと思いながら、手繰り寄せると——。
『勇太:彩心さんのおかげで、結愛が喜んでくれたよ!!』
『勇太:マジでありがとう。今後も美味いものがあったら教えてくれよ!!』
鏡がないから分からない。
今の私はどんな顔をしているのだろうか。
彼から連絡が届いたことで笑みを浮かべているのか。
それとも無神経な彼から愛する彼女の話を聞かされ、苦しい表情を浮かべているのか。
「…………本当にバカだな、私は」
社交辞令に満ちた返信なのに、それに一喜一憂するなんて。
相手側が何の意図も考えずに送りつけている文章のはずなのに。
「……こんな文章を一本貰えるだけで、心が満たされてしまうなんて」
心踊る感情を持ちながら、私はスマホをフリックして文字入力を続ける。
『真優:私の方こそ、今日はありがとう。一緒に付いてきてくれて』
何の文章もおかしくない。
連絡が届いてすぐに返事をしてもいいのだろうか。
そんな迷いもあるけど、気にしてはいけない。
送信ボタンを押し、次なる文章を紡いでいく。
『真優:実はね、今日の告白は本気だったんだよ』
一度は逃げ出してしまったけど。
今なら、この気持ちを伝えることができるかもしれない。
最先端の技術を使ってなら、面と向かって伝えなくて済むから。
「……待て待て。こんなことをやっても迷惑なだけ。落ち着け、私!」
自己満足な感情の押し付けは、相手に迷惑を掛けてしまうだけだ。
そもそも論、この感情を伝えたところで結果は既に見えている。
彼女持ちの相手を好きになった時点で、この初恋は敗北が決まっているのだ。
どれだけ愛を語っても、どれだけ愛を伝えたとしても。
この迸る恋心は、想い人に決して届かないのだから。儚い恋心なのだから。
——この気持ちだけは抑えなければならない。この気持ちは隠さなければならない。
そうしないと、彼をもっと傷付けてしまうことになるのだから。
ただ、このまま終わらせていいのかと思ってしまう。
想いを伝えることもせずに、このまま初恋に終止符を打っていいのかと。
「貪欲なんだね、人間って……こんなにも」
膝の上に座るにゃこ丸を抱える。
決して離さないように、握りしめる手を強めていく。
心を許しているのか、にゃこ丸はジッとしたままで動くことはない。
そんな愛猫を優しく触れながら、私はポツリと本音を呟いた。
「私、諦めきれないよ。時縄くんのこと……大好きなんだもん」
勝ち目がない勝負だとは、十分理解している。
彼女一筋の男を振り向かせるなんて、不可能だと言っていい。
それでも、この恋を変な形で終わらせたくないのだ。
今も、高鳴るこの心臓の鼓動を忘れたくないのだ。
誰かを好きになる喜びで身体が熱くなる事実に、目を背けたくないのだ。
「……はぁ〜。もう決められないよ。だから、にゃこ丸が決めてよ」
我ながら無責任な人間だと思う。
自分の感情さえも、他人任せなのだから。
でも、それも今日で全て終わりにするから、許してください。
◇◆◇◆◇◆
おばあちゃんから貰った大切なシロクマのキーホルダー。
それをリュックサックから外して、私は右か左かの手に隠した。
その後、呑気に餌を食べているにゃこ丸の元へと向かった。
「にゃこ丸がキーホルダーを当てたら、私はこの恋と真剣に向き合う」
でも、と呟いてから、決意に満ちた声で続きの言葉を吐く。
「もしも、当てられなかったら、私はこの恋を諦めるよ」
おばあちゃんとの思い出の品を必死に探してくれたのは誰?
瀕死状態だったにゃこ丸を助けてくれたのは誰?
「……さぁ、にゃこ丸。選んで、右か左か。どっちかな?」
従順な愛猫が選んだ手の中には——シロクマのキーホルダーが握られていた。
この感情と向き合うのには勇気が必要だった。
破滅へと繋がる可能性が極めて高い選択なのだから。
でも、自分で決めた道だ。ここで引き返すような女ではない。
「私、頑張るよ。最初から叶わない恋だとしても」
惚れた時点で負けな恋愛。
誰かを本気で好きになったこともない私の初恋。
遠い未来、過去の自分を思い出し、「バカだなぁ〜」と呆れるかもしれない。
「それでも私はこの恋から顔を背けたくない」
だって、知ってしまったこの感情に偽りたくはないから。
遠い未来の自分は、彼のことなんてどうでもいいかもしれないけど。
今の自分は、彼のことが大好きで大好きで堪らないのだから。
彼が振り向いてくれないとしても、それでもこの想いに嘘は吐きたくないから。
「だから、誰かの幸せを奪ったとしても、この恋を叶えてみるよ」
たとえ、それが最愛の彼氏持ちの彼女さんを不幸にしたとしても。
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作家から
カクヨムコンの中間選考に今作が残りました(´;ω;`)
それも、読者の皆様のおかげでございます。
もう感謝しても感謝しきれないほどの皆様へのありがとうのお気持ちと、自分の面白いが評価される喜びでいっぱいでございます。
この作品は、本気で面白いものを書いてやるをモットーに書いているので、その面白さが少しでも皆様に伝わってくれたら幸いでございます。
今後も面白いものを書き続けるので、応援よろしくお願いします。
本懐結愛か彩心真優か。
本当に選べなくなってきました(笑)
どっちも魅力的な女の子なので選べません(´;ω;`)
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