時縄勇太は最愛の彼女を裏切ってしまう
第39話
浪人生という中途半端な身分を手に入れてから三ヶ月が経過した、ある日の朝。
予備校の中へと入ると、生徒たちが廊下の壁を茫然と見上げていた。
彼・彼女等の口から漏れ出るのは、入校一ヶ月後に受けた模試結果の話。
静かにガッツポーズを取る者もいれば、舌打ちを鳴らして憤る者もいる。
彩心真優から模試の結果がそろそろ返ってくる。そんな話を聞いたことがあった。
まさか、それが本日になるとはな……。
俺はそう思いながらも、校内順位が大々的に掲載される壁の張り紙を確認した。
一位の生徒は、『A・M 西園寺女子学院 878点』
思い当たる生徒は、ただ一人。
二位の生徒とは、30点近く差を引き離している。
「やっぱり……彩心さんは別格だな。逆にどの問題をミスったのかが気になるぜ」
流石は、医学部を目指しているだけはあると言ってもいい。この調子ならば、次回の受験では余程失敗しない限り、余裕で合格圏内だ。
予備校内では仲間を作らない。一匹狼で生きていく。自分一人だけが医学部に入れればいい。そんな野心を抱いていたものの、自分の顔見知りが結果を出すのは嬉しかった。
「って、待て待て。天才のアイツは当たり前。それよりも自分の結果が大切だ」
四月は誰もが第一志望合格の希望を抱いて一生懸命勉強していた。
だが、次第にその数が減っていった。別段、彼等は大学進学を諦めたわけではない。
自分の志望校に受かりたい気持ちはあるのだ。ただ、油断してしまうのだ。
少しぐらいならば、別に休んでもいいのではないか。今日ぐらいなら休んでも、と。
そのたった一日の後悔が何度も続き、自分の首を絞めることになるとは知らずに。
だが、俺——時縄勇太は違う。
「やっぱり医学部進学組は……点数が高いなぁ〜。ほぼ全員800点越えじゃないか」
来る日も来る日も予備校に残り、毎日夜遅くまで勉学を続けてきた。
その努力が決して実らないはずがないのだ。その努力が否定されるはずが——。
「…………はははは」
同じく医学部進学を目指す連中の頭文字アルファベットと学校名はある。
しかし、結局——。
校内模試50位以内張り紙に、俺の名前は掲載されていなかった。
◇◆◇◆◇◆
予備校のチューターから模試結果を返却される。
褒められる者、頑張りを称えられる者、励ましの言葉を受ける者。
様々居る中、俺の場合は——。
『時縄くん。まだ勝負はこれからだよ!!』
医学部志望のくせに、中途半端な結果を叩き出したのだ。
チューターも掛ける言葉に迷って、激励することしかできなかったようだ。
机へと戻った俺は返却された模試を眺めて、思わず溜め息を出してしまった。
「……最悪な結果だ」
去年受けたセンター試験よりも点数が低かったのだ。
あれからもう半年以上経過しているのにも関わらず。
それなのに、何一つ成長していなかったのだ。逆に下がっているのだ。
予備校独自の模試だとは理解している。
講師陣も「難しい内容だった」と励まし、心配することはないと語っていた。
だが、しかし、それでも周りは良い点数を取っているのだ。
ましてや、医学部志望の人間。焦るのは当然だ。
「時縄くん。ほら、一緒にお弁当を——」
昼休み、いつも通り彩心真優がお昼を誘ってきた。
ただ、俺は「ごめん。今日は予定があるんだ」と伝えて、そそくさと部屋を出ていく。
行き先は決めていなかった。
とりあえず、一人で落ち着ける場所へ行こう。そう思い、二階の男子トイレへと向かう。
先客は誰一人居らず、俺はそのまま個室トイレへと入る。
ズボンを下ろすこともなく、俺は便座に座り、両手を合わせた。
すると、思わず弱音が出てきてしまった。
「どうしてだよ……どうして結果が出ないんだよ、俺は……」
俺は彩心真優の存在が怖かったのだ。彩心真優の存在が憎かったと言ってもいい。
俺と同じ予備校生なのに、俺と同じ年齢の女の子なのに。
模試の結果が雲泥の差があるのが。
彼女は、校内模試で1位。逆に俺は、約450人中70位程度と中途半端な結果。
俺が普通の生徒ならば、その順位でも一切悩む必要はなかっただろう。
「ちくしょう……毎日一生懸命やってるのに……」
だが、俺は医学部を目指しているのだ。医者になりたいのだ。
そして——愛する彼女・本懐結愛が患う病を治療する。
アイツがもう一度笑顔で生活できるようにしてやる。
そう決意していたのにも関わらず、俺はまた失敗していた。
「やっぱり……俺に医学部なんて夢のまた夢なのか、はははは」
誰にも聞こえないから。誰にもバレないから。
そう思って、弱気な発言を繰り返していると——。
「なぁ、頼むよ。少しだけでいいからさ。一発だけ抜いてくんね?」
「……ちょ、ちょっと〜。それは無理だって。ここ予備校だよぉ〜?」
男女の声が聞こえてきた。
耳で聞こえる範囲内では、男子が女子の腕を掴んで強引に連れ込んだ感がある。
嫌がる彼女に無理なお願いをするバカな彼氏という関係性だろうか。
と言っても、それは俺の勝手な予想に過ぎないのだが。
「大丈夫だって。それにここは誰も使わないし、バレないって」
「いや……そ、それでも……予備校でエッチなことするとか」
「はぁ? いいじゃんかよ。模試結果が悪くてイライラしてんだよ。いいだろ?」
「はぁぁ〜〜。もうわかったよ。一発だけだからね、わかった?」
「ありがとう。それじゃあ、最初は濃厚なキスからしてやるよ」
傷の舐め合いを行う浪人生は、どの予備校内にも出没すると聞く。
声だけでは、彼等がどんな人物なのかは判断できない。
と言えども、予備校内で淫らな行為へと走る輩である。
注意力散漫で危機管理能力が薄い連中だというのは確かな情報だろう。
「ちゅぱ♡ ちゅぱ♡ イイよ、もっと来て……もっと……」
「ったく、お前……本当にキス大好きだよな。そんなに気持ちいいのかよ?」
お盛んなお二人さんは、我慢ができなかったようだ。
個室トイレで行為に及べばいいものを、わざわざ洗面所で接吻を交わしているようだ。
それも、お互いに本気モードらしく、艶かしい唇と唇が触れ合う音を奏でるのである。
「好きな人とのキスは気持ちいいんだもん。そっちは違うの?」
「はぁ? 俺も気持ちいいよ」
でも、と強気な口調で呟いた後、荒く鼻息を鳴らして笑いながら。
「俺はもっと刺激の強いものが好きなんだよ。さっさと抜いてくれよ」
「もうぉ〜。ズボンの部分、パンパンじゃん!! どんだけ勃起してんの?」
「お前とのキスで勃ったんだよ、バカ。それにお前だって——」
「きゃ!! ちょ、ちょっといきなりパンツの中に手を突っ込むの……んっ!!」
「お前だって、濡れてるじゃねぇ〜かよ、この淫乱な女がよぉ〜」
「違う、別に淫乱じゃない。これぐらいは普通だから……そ、その女の子は普通」
「いいから。時間がないから、さっさと抜いてくれよ。溜まってんだからさ」
十代後半の若者二人には、怖いものは何もないようだ。
脳内は、性の快楽でいっぱいいっぱいなのだろうか。
二人は隣の個室トイレへと入り、生々しい会話を繰り広げる。
「ほら、最初はどうするの? ズボンを脱がさないとダメだよね?」
「……自分で脱げばいいじゃん」
「彼女が自分から積極的というシチュがいいんだよ、ほら頼む」
「もうぉ〜。本当に困る彼氏だよ」
「でも嫌いじゃないんだろ?」
「当たり前じゃん。彼氏に頼りにされるの大好き」
性欲に駆られるのは男性だけ。
そんな勘違いをしていたが、女性にも性欲という概念があるようだ。
隣の個室で大好きな彼氏の衣類を脱がす彼女の甘い声を聞いた判断に過ぎないのだが。
「んほぉ〜。これこれ。うわぁ〜マジで最高……腰が引くぜ、これは……うう!!」
「もう、じゅぼじゅぼ♡ 声、出し過ぎッ!! 声響いちゃうじゃんッ!!」
「大丈夫だって。誰が聞くんだよ、この声を」
「二階のトイレだし、出入りする生徒がいるか——じゅぼじゅぼじゅぼじゅぼじゅ」
「ったく、うるせぇーんだよ。お前はしゃぶってればいいんだよ。ほら、さっさと抜け」
彼女と思しき女性の苦しそうな声が響いた。
喉奥まで突っ込まれているのか、嗚咽かと勘違いしそうな呻き声だ。
と言えども、別にそれは辛さや苦しさから生まれたものではない。
愛する者をもっと楽しませてあげたい。悦ばせてあげたい。
そんな一途な気持ちが大前提にあるのだ。
故に——彼女は決して口の動きを止めず、逆に勢いを増すばかりであった。
「んっ!! で、出るッ!! もう出すぞ、口でしっかり受け止めろよ」
声にならない声を吐き出す女性。
ピチャピチャという水滴の音と男の気持ち悪い鼻息がが響く中、女性は咽せていた。
気管の方にまで入り込んだようで、その咳込みは一向に止まらない。
賢者モードに達した彼氏と言えども、心配せざるを得ない状況と判断したようだ。
「大丈夫か?」
「………………大丈夫。だけど、今日は一段とガッツキすぎ。もっと彼女を大切にしないとダメ。それぐらい分かるでしょう?」
「ごめんごめん。模試の結果が悪くてさ……そのちょっと力が入り込んでたんだよ」
「それはそうだけど……その怒りを彼女に向けなくてもいいじゃん」
「何だよ、別に。偶には、愛する彼女に甘えたくなるときだってあるんだよ。男でも」
男はズボンを履き直しているのか、布が擦り切れる音とベルトの金属音が聞こえてくる。
僅かにトイレの下にある隙間。
そこから見える影が動き、もう一つの影を抱きしめているようだ。
「大丈夫……応援してるから。受験勉強大変だけど、一緒に頑張ろう!!」
女の励ましを聞き、男は「あぁ」と確信に満ちた声を吐き出した
「分かってるよ。一緒の大学に行こうな」
「うん。ずっとずっと味方だから……ワタシはずっとずっと」
浪人生カップルの生々しい会話。
普段通りの俺ならば「馬鹿馬鹿しい」と嘲笑っていただろう。
だが、今の自分は彼等二人の関係性が羨ましかった。
隣の個室トイレで若い男女が関係を持つ状況下、俺は彼等に見つからないように身を隠した。間近で他人の性的行為を目撃して膨張した下半身を押さえながら。
◇◆◇◆◇◆
昼休み後の講義は全く頭に入らなかった。
自分自身も、一般的な青少年の一人だ。
個室トイレで見聞きした性的な行為を思い出し、悶々とした感情が生まれるのだ。
今の自分が真剣に講義を受け、次の模試で挽回しなければならない。
その気持ちは大いにあるのだが、あの二人の熱烈な愛の確かめ方がこびりついているのだ。どうしてもあの二人のような関係を求めてしまうのだ。今すぐにでも、今の自分にも。
「時縄くん。顔色が悪いけど……だ、大丈夫?」
「彩心さん。俺のことは気にするな。大丈夫だからさ」
「そ、それでも……」
「今日はもう帰るよ。ちょっと体調が悪いからさ。それじゃあな」
全ての講義が終了し、自習時間だけとなった。
いつも通りならば、居残り勉強している。
だが、今の俺は、居ても立ってもいられなかった。
己の心に宿った忌々しい感情を吐き出したかったのだ。
勉強を速攻で切り上げた俺は駐輪所へと向かい、自転車に跨った。
それからペダルを思い切り漕ぎ出した。
(分かってくれるはずだ……分かってくれるはずだ……)
目的地は、愛する彼女——本懐結愛が入院中の病院。
(結愛なら、俺の気持ちを全部理解してくれるはずだ。何も言わずとも、全部受け入れてくれるはずだ。一生懸命頑張ってる俺の気持ちを、俺の心を全て……支えてくれるはずだ)
病室へと辿り着き、わざとらしく音を立てながら扉を開く。
愛する彼女はベッドの上に座っていた。
本日はカーテンを閉めることもなく、幾分かは元気な表情を浮かべている。
本来は四人部屋だが、人数不足で結愛だけが使っている病室。
俺はそんな部屋の鍵を閉め、愛する彼女の元へと急ぎ足で向かった。
「んっ!? ど、どうしたの? こんな時間に」
普段会いに来る時間よりも、数時間も早いのだ。
彼女としては気になって仕方がないようだが、俺は答えなかった。
理性が効かず、本能が赴くままに動いてしまうのだ。
今の俺は、ただ癒しだけを求めていた。
「勇太、怖い顔してるけど……何かあったの?」
挨拶も碌にもせず、荒い息を吐き出しているのだ。
普段の雰囲気とは違う愛する彼氏に、結愛は親身になってくれる。
だが、そんな優しさは必要ではなかった。
今の自分に必要なのは——肉体的な快楽であった。
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作者から
更新が滞ってしまい、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。
面白い小説を本気で書きたい。
この気持ちだけは今も持ち続けているのですが……。
最近はお仕事や他作品の怪獣お姉さんのお話を書いてまして……。
こちらの作品の方へ割くお時間が全く取れない状況でした。
現時点では、次回が梅雨編の最終話になる予定。
兎にも角にも、今後の展開をお楽しみにしてください( ̄▽ ̄)
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