時縄勇太は悪女の誘惑に敗北する

第33話

 七月に入った。

 センター試験までの期間は短い。

 本腰を入れて、もう一度頑張らなければならない。

 勉強熱をさらに強めなくてはならないのに。


「ねぇ〜どれがいいと思う……?」

「彩心さん……今日はにゃこ丸の餌を購入しに来たのでは?」

「折角なら、私の洋服を見てもいいじゃない? ダメなの?」

「洋服は洋服でも、どうして人様を水着コーナーに連れてくるのかなぁ〜?」

「だって、もうすぐに夏が始まるじゃん」

「じゃんと言われてもだなぁ……」


 はぁ〜。

 どうして俺は彩心真優と一緒に楽しくショッピングモールでいるんだ??

 ていうか、わざわざ水着を試着する彼女を見る羽目になっているのか?


 果たして、どんな流れでこんなことになったのかと申しますと——。


 遡ること——昨日の昼休み。


「明日、時間が空いてる? 暇なら一緒に来て欲しいところがあるんだけど」


 二人だけの空間とも言うべき大広間教室。

 男子ならば誰もが見惚れるほどの容姿を持つ清楚な美少女——彩心真優。

 そんな彼女と一緒に飯を食っている。

 聞く人が聞けば、それだけで羨ましい話かもしれない。

 だが、俺にはこの日常が当たり前になってしまい、ドキドキなんてない。

 それは俺も彩心真優も一緒だと思っていたのだが——。


「……もしかして都合が悪い? ダメならまた今度でもいいんだけど」


 目の前の少女——彩心真優は顔を真っ赤に染め、指先をペタペタさせているのだ。

 今まで通りの行動ではない。明らかにおかしかった。妙にそわそわしているのだ。

 それも、今日だけではない。最近はずっとこんな態度を取ってくるのである。


「都合が悪いわけじゃないけど……まぁ、内容次第だな。聞かせてくれよ」

「実はさ、にゃこ丸のためにペット用品を買わなくちゃいけなくて……」


 というわけで——回想終了。

 七月に入ったばかりの週末。

 それも土曜日の朝から呼び出しを喰らい、俺は市内最大の駅前へと足を運ばせたわけだ。


「悪い悪い。ちょっと混んでて……」


 俺は平謝りしながらも、彩心真優の元へと急いだ。

 どこに彼女がいるのかと探す必要は全くない。

 一流の女優やモデルと同じほどに輝きを放っているのだ。

 周囲の誰もが目線を奪われている場所を探せば、彼女は簡単に見つかるのである。


「謝る必要はないわよ。待ち合わせ時間には間に合ってるし」


 彩心真優の衣装は普段よりも露出度が高いものだった。

 色褪せた感じの淡いデニムに、少し大きめな白のブラウス。

 流石はファッションリーダーとも言うべきか、ジーンズの中にシャツを入れている。

 その結果、本来なら隠れているはずの茶色のベルトが見え、オシャレ度が上がっているのだ。

 と言っても、オシャレに全く興味ない俺にはさっぱり分からないんだけどな。


「ていうかさ、待ち合わせ時間早くない? まだ10時だよ??」

「もう10時よ。本当に時縄くんって受験生なの……?」

「受験生はな、夜遅くまで勉強するんだよ!!」

「ふぅ〜ん。夜遅くまでエッチな動画でも見てたのかなと不安だったんだよ」

「不安にならなくていいだろ!! てか、健全な男子が見ててもおかしくねぇーだろ」

「違法試聴で捕まらないようにしてね」

「余計なお世話だよ!!」


 立ち話をし続ける気はない。

 というわけで、俺たちは一足早めに昼飯を食うことにした。

 昼飯というよりも、朝食兼昼食なのだが。


「何が食べたい?」

「う〜ん。とりあえず胃袋に入るなら何でも大丈夫。好き嫌いはないから」

「お前はモンスターかよ!!」

「胃袋だけはね」

「そのうち……お前が人間も食い物に認定する日が来そうで怖い」

「一番最初は、時縄くんを試食させてもらおうかなぁ〜」

「……俺みたいな男を食っても絶対美味くないだろ」


 彩心真優と喋っていたら、毎回変な話になってしまう。

 本日朝から何も食っていないと言えど、人食の話をするとは。


 ちなみに——。

 彩心真優は朝食を食ったものの、もう腹減ったんだとよ。

 どれだけ燃費が悪いのかと同情しちまうぜ、全く。


「時縄くんってさ、予備校のときは何時に起きてるの?」

「俺? 7時50分ぐらいだな。軽く朝飯を食って、そのまま自転車通学だし」

「それで8時30分までには着くわけだ。何か、凄いね……時縄くんの生活は」

「逆に、彩心さんは?」

「私? 私の場合はね〜。毎日6時起床だよ。平日休日関係なくね」


 彩心真優は、朝型の人間らしい。

 朝早く起きて、早め早めの行動をしっかりしたいようだ。

 夜型の俺とは全く違うので、全然参考になる気配がしない。


「昼飯はアレでいいか?」


 指差す方向にあるのは——ホットドッグ専門店。

 アルファベットで店名が書かれている。

 だが、英語ではないので、どう発音するのかは分からない。

 オシャレさに磨きをかけたい気持ちは分かるが、ここは日本である。

 分かりやすい名前でやってくれればいいのにな。


「えっ? 朝飯でしょ?」

「さっき朝飯は食ったと言ってなかったか?」

「あれは朝飯じゃないよ。早朝飯だよ」

「うん……もう俺はお前が言っていることが意味分からない」


 彩心真優曰く——。

 早朝飯、朝飯、昼飯、夕飯、夜飯。

 この五つがどうしても必要なのだという。(おやつと夜食も必要)

 これだけ聞けば、どこのおデブちゃんが言っているんだ。

 そう思えるけど……コイツはスレンダーな体型なんだよな。


「へぇ〜。何だか、オシャレな感じの店内だねぇ〜」


 彩心真優が声を漏らす通り、店内は木製の香りとコーヒーが似合いそうなお店だ。

 目の前のウィンドウには、大量のソーセージが焼き上がっている。

 表面を見る限り、カリカリだ。噛んだら肉汁がぶわぁと広がりそうだ。


「時縄くん、私が奢ってあげる。今日一日付き合ってくれるお礼に」

「俺たちの間に貸し借りはなしだろ? お互い持ちつ持たれつだし」

「そうだけど……ちょっとぐらいは私にお礼をさせてよ」


 ホットドッグの種類には、三種類があった。

 レギュラー、チーズ、チリ。

 どれを選ぶか迷ったものの、俺は王道のレギュラーを選んだ。

 で、彩心真優は何を選ぶのか。そう思っていたのだが——。


「お前ってさ……全種類頼むのな。何か……本当悩む必要なくて楽だな」

「いやぁ〜。私もこれは悩むところなんだよ。もう一周行っとこうかなって」

「二周目を悩む話は、誰もしてねぇーよ!! てか、お前ぐらいだよ!!」


 彩心真優は豪快な女の子だ。

 本当に彼女の胃袋はブラックホールなのではないか?

 是非とも、医学の観点で調べて欲しいものである。


 それにしても——。

 将来的に彼女を食事に誘う男は苦労するだろうな。

 格好を付けて、「今日は俺が払うから」とでも言ってみろ。

 遠慮を知らない彼女は、次から次へと食べて……財布の中身は空っぽになるぜ。

 今後のデートは、もう食べ放題に決まりになるだろうな……絶対に。


「俺はお前のドカ食いを見に来たわけじゃないんだが……?」

「私だって見せ物になるために来たわけじゃないんだから!!」

「見せ物という自覚はあったんだな……お前は」


 ホットドッグを三つも注文した彩心真優。

 右手と左手に違う種類のものを持ち、同時に食っているのだ。

 焦らず一個ずつ食べろと言いたい気分なのだが——。


「んんんんうう〜〜〜〜〜〜!!!!!!! 最高ッ〜〜〜!?」


 この時間が最高に好きで好きで溜まりません。

 もうずっとこの幸福が永遠に続けばいいのに。

 そんな幸せそうな表情を浮かべて、頬張っているのだ。

 変に水を差すのも悪かろう。

 そう思い、俺は口元を緩めて心の中で呟いてしまうのだ。


 結愛ももっとこれぐらい感情を出してくれたらいいのにって。

 結愛ももっとこれぐらい美味しそうに食べてくれたらいいのにって。


「まぁ……病気だから仕方ないんだけどさぁ」

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