第31話
予備校終わり、俺たちはにゃこ丸へ会いに向かっている。
自習時間ギリギリまで勉強を続け、予備校を出たのは午後8時前。
見渡す限りの緑に満ち溢れた道を歩いていると——。
「痛ッ!? ちょ、ちょっとさっきからこれで何回目?」
何の事件の香りも漂わせない田舎町で、女性の悲鳴が轟く。
と言えども、俺の前方を歩く彩心真優の声だけど。
「さっきから自転車のタイヤが、私の靴に当たってるんだけど!」
「あ、悪い悪い。本当に悪気はないんだよ」
自転車通学で予備校に通っている身である俺。
にゃこ丸に会いに行くだけなら、自転車でビューと行ってもいいのだ。
だがしかし、本日は彩心真優もいるのだ。
「それなら二人乗りでさっさと行こうぜ」
「それは絶対に嫌。ていうか、拒否権を発動させてもらうわ」
二人乗りでさっさと行けばいい話だが、彼女曰く、もう二人乗りは懲り懲りらしい。
乗ったあとにお尻が痛くなるので、もう嫌なんだとさ。
俺自身も二人乗りは気乗りしないのでありがたい話だ。
高校生なら青春感溢れる一ページかもしれないが、浪人生の二人乗りは現実逃避にしか見えないからな。
◇◆◇◆◇◆
「どうしてだろ……? 私がここに来たらすぐに来るのに」
彩心真優が秘密基地と呼んでいた場所。
つまるところ、にゃこ丸の住処に辿り着いた。
「他に懐いているご主人様がいるかもしれないぞ」
「それは絶対にない。にゃこ丸は私だけに懐いているの」
俺と彩心真優は、ここで何度邂逅を重ねたことか。
だが、以前までとは少し空気が変わっていた。
「なぁ、ちょっとこの辺……焦げ臭くないか?」
そう発言し、ぐしゃぁと何かを踏んだ。
そこには遊び終わった花火の残骸があった。
以前までには、絶対になかったものだ。
誰かがこんな辺鄙な場所で、花火でもしたのだろうか?
「なぁ、彩心さんよ。昨日までこんなものはあったか……?」
俺の呼びかけに対して、彩心真優は何も言わなかった。
俺が知る限り、にゃこ丸は餌目的に彩心真優の元へと近寄ってきた。
でも、今日だけは一向に現れないのである。
「ちょっと私探してくる。にゃこ丸のこと」
「暗いから俺も行くよ。危ないからな」
「……襲うつもり?」
「節操もない男だと思うな、俺を」
「……私、こう見えても結構強いからね」
「手を出す気もないから安心しとけ」
自称強いと主張する彩心真優が先へと進んでいく。
俺はその後ろを、勇者様ご一行のお仲間さん気分で付いて行く。
歩き始めて数十歩と言ったところか、突然、彼女が立ち止まった。
それから口を押さえて、両足をガクガクと震わせる。
何があったんだろうか?
野次馬精神だけは人一倍ある俺も、彼女の視界にあるものを見た。
何の変哲もない草木の中に、黒色の猫が寝転がっていた。
この表現では語弊が起きるだろう。適切な表現をするべきか。
俺たちの前には、にゃこ丸が倒れていた。
ぐったりとした様子で、僅かに開いた瞳には生気が漂っていない。
今にも途絶えそうな荒い息を吐き出しながらも必死に生きていた。
周りには、吐瀉物が散乱していた。苦しくて吐いたのだろう。
ぶぅ〜んとハエの気持ち悪い羽音も聞こえてくる。
「にゃこ丸!!」
彩心真優が駆け寄る。
俺はその背中を追いかける。
にゃこ丸の周りに蔓延る虫の数々。
化膿した部分や吐瀉物を格好の餌だと思っているのだろう。
彩心真優は膝を落として、にゃこ丸を優しく撫でる。
それから涙を流しながら、彼女はいう。
「ど、どうしてこんなことするのかなぁ?」
にゃこ丸は病に侵されているわけではない。
にゃこ丸は人間の手で傷つけられたのだ。
お尻の部分が、焼け爛れていた。
そこが化膿して、酷い痛みがあるのだろう。
「命は平等なのに……人間も動物だって、どんな生き物でも。それなのに……」
彩心真優は悲痛な叫びを上げた。
ポルノ動画を生まれて初めて見た少女のように。
その姿はあまりにも脆かった。
「私たちは一人の命を救うために勉強してるのにさ。世の中には何の躊躇いもなく、命を奪う連中もいるんだよ。どうしてかなぁ。どうしてこんな酷いことをするのかなぁ……」
彩心真優の言う通りだ。
この世界は善意だけで成り立っているわけではない。
この世界は善意と悪意が共存して成り立っているのだ。
勿論、最近ではコンプライアンスが発達し、悪意は許されないと言われているのだが——。
それでも、人間という種が生き続ける限り、悪意は決して消えることがないだろう。
「——医学って何のためにあるのかな?」
彩心真優は訊ねてきた。
勉強は幾らでも分かるはずなのに。
こんな簡単な問題が彼女は解けないようだ。
もしかしたら、難しく考えすぎているのかもしれない。
だからこそ、俺は教えてやることにした。
「そんなの決まってんだろ?」
哲学的な質問には、答えなどない。
でも、シンプルな答えは思い付ける。
実際、俺が医者を目指した理由を言えばいい。
それは決して間違っているはずがないのだから。
「——救わなければならない命があるからだよ」
何が何でも救いたい人がいる。助けたい人がいる。
だから、医学ってのは発展したのだろう。
神様が与えた寿命や病に抗ってでも、側にもっと居たいと思う人がいたから。
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【余談】
ここの花火展開——。
気付いた人がいるかは分からないんですけど……。
第15話
第16話:本懐結愛視点『目撃』
ここで爆竹に関する記述。
第25話
本懐結愛が、花火が打ち上がるのを見たという記述。
というのが伏線なんだけど……。
まぁ、気付きませんよね……(´;ω;`)
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