第24話

 世界で一番幸せな男とはどんな奴のことを指すと思う?

 俺が思うに、その男とは——。


「勇太。恥ずかしがったらダメだよ。お口を開けて」

「……一人で食べられると思うんだが」

「ダメだよ。今は病人なんだからお口を開けないとダメッ!!」


 愛する彼女に言われてしまうと、俺は弱い。

 歯医者に行った際でも、こんなに広げることはないだろう。

 そう確信できるほどに、俺は口を大きく開いた。


「うん。大変よくできました。偉いよ、勇太」


 その姿を見て、満足気に笑みを浮かべる最愛の彼女。


「あたし、何でも言うことを聞く勇太のことは大好きだよ」


 彼女の手には、大きなお茶碗。

 その中には、風邪に効く特製おかゆがふんだんに盛られている。

 日本昔話風の山盛り加減で、俺はたじろいでしまう。

 正直これだけ食えれば、もう既に病人とは呼べないと思うのだが……。

 本人曰く、「勇太はいっぱい食べて早く元気にならないとダメなんだよ」とのことらしい。


「はい。それじゃあ、いっぱい食べてね」


 ふふっと微笑みながら、結愛はスプーンでおかゆを掬う。

 そのまま俺の口へと直行するのかと思いきや……。


「ちょっと待ってね。今、あたしがふーふーしてあげるから」


 このまま俺の口に入ったら、火傷してしまうかもしれない。

 そう気を利かせ、結愛は熱々のおかゆに息を吹きかけている。

 ふーふーと小風が吹く彼女を見て、俺は思わずニヤケが止まらなくなる。可愛すぎる……お、俺の彼女は世界一可愛いと確信してしまうのだ。


「お待たせ。勇太。食べていいよ」


 その一言を聞き、俺はスプーンへと口を付けた。

 まるで、ご主人様とペットの関係みたいだ。

 結愛みたいな美少女がご主人様なら意外と悪くないかもしれない。

 などと思っていると、結愛がジィーと不安げな瞳で見つめていた。

 乙女心が理解できない俺でも、現在彼女は何を期待しているのか。

 それだけは分かったので、俺は多少大袈裟に言ってみた。


「う、美味いッ!! 美味いぞッ!! 結愛!!」

「何かお世辞っぽい」

「いや、本当に美味い!! 俺が今まで食ってきたおかゆで一番だよ!」

「……嘘じゃない?」

「嘘じゃない。本当の本当だよ。彼氏の言葉を信じろよ、結愛」

「……う、嬉しい」


 結愛はそう呟き、真っ赤に染まった顔を下に向けてしまう。

 褒められるのは慣れていないのだろう。照れてしまっているのだ。

 ただ、顔を俯かせた最愛の彼女は、口元を緩ませているのであった。


「あのさ、結愛。これどうやって作ったんだ?」

「え〜とね。レシピはねぇ〜」


 そう切り出し、人差し指を下唇に当てる本懐結愛。

 ニコニコ笑顔で美味しさの秘訣を話す彼女を見て、俺は思う。


 最高の調味料は、愛情なのではないかと。


◇◆◇◆◇◆


 おかゆと聞けば、病人食というイメージがあるかもしれない。

 実際、俺自身も、昔ながらの塩オンリーな味付けだと思っていたさ。


 だがしかし!!


 愛する彼女が作ったものは、別格の美味さを誇っていた。

 鶏ガラの出汁をベースに味付けを施し。

 たまごが固まらすぎないように火加減を調整し。

 風味を出すために醤油やみりんを隠し味程度に入れ。

 最後の仕上げに、上からパラパラと刻みネギを散らしている。

 たった、これだけなのだが……。

 居酒屋のメニューに追加してもいいと思えるほどに、美味かった。

 おかゆというよりも、雑炊やリゾットに近いかもしれない。


「はぁ〜い。最後の一口だよ。勇太」


 結局、最後の一口まで、俺は結愛に食べさせてもらった。

 煩わしい気持ちもあったが、折角の甘える機会である。

 甘えられるときに、好きなだけ甘えておこう。


「イイ子イイ子。いっぱい食べられたね、勇太」


 お腹が膨れた俺の頭を、結愛がよしよしと撫でてくれる。

 今日は一段と上機嫌のようだ。

 病院では、ムスッとした表情が多いのに。

 でも、まぁ、毎日同じベッドの上で生活しているのだ。

 久々に外出できて、結愛はさぞかし楽しいのかもしれないな。

 ただ、俺が元気ならもっと楽しい休日になったと思ってしまう。


「ごめんな。俺に付き合わせちまってさ」

「気にしないで。いつもは勇太に任せっきりだからさ」

「……だ、だけどさ」

「勇太の役に立ちたいんだよ、あたしだって」


 俺は結愛の役に立ちたい。

 同様に、結愛も俺の役に立ちたいと思っていたのだ。


「風邪は誰かに移せば治るのが早いって聞いたことあるんだけど」

「あぁ。俺も聞いたことあるかも。でも、それっ——」


 話し終える前に、結愛が押し倒してきた。

 布団の上に寝転ぶ俺。

 そんな俺の上には、結愛が「よいしょ」と声を上げ、跨ってくる。

 押し倒される意味も、跨がられる意味も分からない。


「結愛……? 何のつもりだ?」

「何のつもりだと思う?」

「疑問を疑問で返すのはやめろ。バカだと思われるぞ」

「いいよ、別に。あたしバカだからさ」


 躊躇いもなく顔を近づけてくる結愛。

 倦怠感があって、上手に動くことはできない。

 結愛の妖艶な瞳に吸い込まれてしまうのだ。

 数十センチも離れていた隙間が、僅かの数センチになる。

 俺がこの世で最も愛する彼女は、耳元で囁いてきた。


「勇太。あたしが肩代わりしてあげるね、その風邪」


『風邪は誰かに移せば治るのが早いって聞いたことあるんだけど』


 彼女は、俺の風邪を引き受けるつもりなのだ。

 そんなことをしても、何の意味もないというのに。

 ただの迷信に過ぎないのにも関わらず。

 オカルトを全く信じない俺は言い返す。


「お前も風邪引くから、これ以上俺に近くのは——」


 喋っている途中で、俺の唇は塞がれてしまった。

 奪ってきたのは、勿論、俺の彼女——本懐結愛。

 俺と結愛は、今までキスというキスをしたことがない。

 軽く唇と唇を合わせる程度の軽いものならしたことがある。

 と言っても、ここ最近は全然やっていなかったが。

 ピュアすぎるカップルといってもいいだろう。


 でも、今日だけは一味違う。


「んちゅぱ♡ ちゅぱちゅぱ♡ あっ♡ んっ♡ んうっ♡」


 お互いに荒い息を上げ、獣のように貪り合う恋人同士のキス。

 俺たち二人は経験が薄く、共に練習不足。

 ただ、下手なりに唇を合わせ、舌を絡ませ、抱きしめあう。

 無秩序で無法則で無敵な愛が生んだ、心の奥が熱くなる接吻。


「……んぅ♡ や、やばっ……い♡ こ、これ頭がおかしくなる♡」

「……俺もだよ。結愛。俺も……や、やばい」

「勇太も気持ちいぃ!! ん♡ う、嬉しい♡ んちゅ♡ ちゅ♡」


 相手の口内に侵入し、ベロとベロを絡ませているだけなのに。

 互いの唾液を交換し、粘膜に刺激を与えているだけなのに。

 脳がとろけて消えてしまいそうなほどの快楽が。

 今まで一度も経験したことがない性の快感が。

 倦怠感が残る身体を優しく癒してくれるのであった。

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