時縄勇太は最愛の彼女に甘えてしまう
第23話
「ううう……く、苦しい……」
身体の自由を奪う倦怠感と頭痛を伴う高熱。
梅雨の湿気を受け、羽毛布団の中は熱気に満ち、大量の汗が溢れ出している。それにも関わらず、俺は寒気が止まらず、歯をガクガク震えてしまっていた。
「もう無茶ばっかりするからだよ、勇太」
あぁ、その通りだ。無茶ばっかりしたからだろう。
受験生なのに、俺——時縄勇太は風邪を引いてしまったのだ。
バカである。大馬鹿ものである。
第一優先は、受験勉強だと分かりきっているのに。
それなのにあの女——彩心真優を助けてしまったばっかりに。
俺は体調を崩し、寝込んでいるわけである。
と言えども、後悔はない。うん、多分ないはずだ。
あの日見た、彩心真優の笑顔を見れただけで、十分良かった。
やっぱり、人様の役に立てるのはいいことである。
「今後はあたし中心じゃなくて自分中心で生活してね」
ん? 待て待て。
今、何か声が聞こえてきたような……?
「勇太は昔から無茶ばっかりするから心配なんだよ」
嘘だろと思った。
俺を見下ろす形で、愛する彼女の姿が見えるのだ。
風邪を拗らせてしまい、どうやら幻覚でも見ているのだろう。
……このままでは、体調を治すまでにどれだけ時間が——。
「????」
いや、はっきり見えてるな。幻覚ではありえない。
長年幼馴染みをやってきているのだ。
見間違えるはずがないさ、愛する彼女のことを。
「……ど、どうしてここに結愛が居るんだ?」
とりあえず、俺は疑問を呈してみた。
すると、可愛らしい我が彼女は困った表情を浮かべて。
「もうぉ〜さっきも説明したじゃん。忘れちゃった?」
頭がクラクラしていた頃に、適当に返事していたらしい。
そんな俺を心配げに眺めつつも、結愛はもう一度説明してくれる。次は絶対に聞き逃さないから安心してくれよ。
「お見舞いだよ、お見舞い。勇太のお母さんに聞いて飛んできたの。体調崩してるって聞いたからさ」
心配を掛けないように、俺は黙っていたのに。
母親の野郎が告げ口していたらしい。クッソタレが。
「お前大丈夫なのか?」
「失礼だな、勇太は。あたしは病弱かもしれない」
でも、と呟いてから。
「でもずっと病室に居るような女の子でもないんだよ」
今日は何日だと思い、スマホを手に取る。
俺が体調を崩した日は、三日前だった。
ということは、既に数日が経過しているのだ。
そして、今日は————。
「悪い。俺のせいで、今日のデート行けなくなって」
外出許可が降りたので、一緒にデートに行こう。
結愛からそう誘ってくれたのに、俺は風邪を拗らせちまった。あまりのキツさに時間感覚を失い、デートのことを忘れちまっていた。彼女との大切な時間だというのになぁ。
「あたしは全然気にしてないよ、勇太」
それにさ、と言いながら、結愛は俺の手を握ってきた。
彼女の手は、冷たかった。発熱している俺にとっては、熱冷めシート的な役割を果たしている。気持ちいいので、そのままずっと触っていてほしいものだ。
「今日もデートみたいなものだし。お家デート。えへへ」
結愛はくしゃぁっとした笑みを浮かべた。
俺はその姿を見るだけで、心が和むのだ。
人の心を癒す能力があると言ってもいいね。
もしも、俺が医学部に進学したら、本懐結愛の笑顔を研究しようかな。愛する彼女の笑顔は人の心を癒すのかとね。
そんなバカ彼氏足る想像を膨らませていると——。
「あ、そうだ!!」
と呟きながら、結愛が勢いよく立ち上がった。
手を離して欲しくなかったが、後追いはできない。
まるで、子供みたいな反応してたら、俺のカッコよさが半減してしまうからな。熱を引いたら、心が寂しくなって誰かに甘えたくなる。そんな話を聞くが、アレはマジだな。
「何か食べたいものとかある?」
「結愛って料理とか作れるの?」
「それってどんな意味かな?」
ニコニコ笑顔で訊ねられてしまう。
俺、何か言っちゃいけないこと言いました?
「え〜とさ、結愛の料理は美味しいから困るなぁ〜って」
「正直に答えなよ、勇太。誤魔化しは効かないよ?」
下手な嘘では流石に無理か。
幼馴染みの目を誤魔化そうとしても無駄か。
俺は諦めて、正直に話すことにした。
「メシマズ展開が来る予感が……」
「失礼だね、あたしでも作れるよ」
「本当に?」
「……簡単な料理ぐらいなら、あたしでも」
「いや……これでも前科があるからな。結愛は」
時は遡ること、俺たちが小学校五年生の頃の話。
家庭科の授業で、ハンバーグを作ることになった。
俺の大好物であるハンバーグが食べられる。
それも、大好きな幼馴染み——本懐結愛が作るのだ。
当時の俺は、さぞかし上手い飯が食えると思っていた。
だが、しかし、その日の昼食で食った飯は、焦げたものだったのだ。
「もう昔の話でしょ? いつまでその話を引っ張るのかな?」
「……アレは衝撃的な出来事だったからな。ついつい思い出して」
「勇太にイイことを教えてあげる!!」
変なセミナーを開くインチキ小金持ちインフルエンサーのように。
「人間は成長するんだよ!! いつまでも同じ人間はどこにもいないよ!」
「それは一理あるかもしれないな。あまり期待はしないで待ってるよ」
「期待はしてよ!!」
「カップ麺でもいいんだぞ」
「カップ麺は料理じゃありません!」
ふんっと鼻を鳴らしながら、結愛は腕を組んだ。
料理できない扱いされて、余程悔しいのだろう。
たださ、別に女性が作る必要はないと思うけどな。
結愛と結婚するなら、俺が毎朝ご飯を作ってあげるのに。
「あたしの手料理食べられるの貴重だよ?」
「確かに、普段は全く料理しないもんな」
「病院に居るからできないだけだよ!!」
今のはちょっと失礼だったかもな。
結愛だって、嫌だから料理しないわけでもないし。
あくまでも、病院生活中だからできないだけでさ。
「でも、今のうちに勉強しとかないと」
「ん?」
「あたしだって、花嫁修行しないと」
「花嫁修行? 誰と結婚するの?」
「決まってるじゃん。勇太だよ?」
俺と結愛は両思いだ。
俺は彼女が大好きで。彼女も俺が大好きで。
なんて、素晴らしいことだろう。
神様、俺に生命を与えてくれてありがとう。
たださ……。
「勇太、何その困った反応は?」
「結婚はちょっと気が早いかなと」
「スタートダッシュが大切なんだよ!!」
「気持ちは分かるぞ。お前ら何年も付き合ってるんなら、さっさと結婚しろと思っちゃうこととかあるもんな」
うん、と頷いたあと、結愛は小さな声で呟く。
「それに私は病弱だから……」
病魔に侵されている彼女は心細い声色で。
「いつまで生きられるか分からないもん」
本懐結愛が患っているのは、心臓に関する病だ。
生まれつき不整脈の気質があったらしく、激しい運動や感情を大きく昂らせてしまうと、ぶっ倒れてしまうのである。
不整脈が起きるのは、突然起きるので対処の仕様がない。
実際、不整脈を原因に、心不全、心筋梗塞などを起こす者は多く、年間死亡率は4%を超えている。
「心配するなって、俺が絶対治してやるからさ」
「……風邪を引いてる勇太に言われてもねぇー」
「風邪はな、治療薬がないんだよ」
「流石は将来医者になる人だね。詳しい」
「人づてに聞いた話だけどな」
話は終わりだ。
そう言わんとばかりに、結愛は立ち上がった。
それから背中を向けた状態で、彼女はいう。
「おかゆでいいよね、別に」
「うん。頼むよ、飛び切り美味しいおかゆをさ」
「よしっ。なら、張り切って作っちゃうぞ〜!!」
明るい声で彼女はいい、台所へと向かっていく。
だが、俺は見逃さなかった。
彼女が歩みを進めるにつれて、水滴が落ちていることに。
「……俺に気を遣いやがって」
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