第21話:彩心真優視点『侵入②』

「よし。それじゃあ、そろそろ帰るか?」


 クラフトコーラを飲み干した彼は勢いよく立ち上がる。

 肩甲骨を中心に体を前へ後ろへ曲げ、骨をボキボキと鳴らした。

 数十秒、体をほぐしたあと、彼は振り返り、首を傾げてきた。

 全く返事を返さなければ、立ち上がろうともしない私を不思議に思ったのだろう。


「私はまだ帰らない……もう少しだけここに居る」


 崩していた足を戻して、私は体操座りの姿勢を取る。

 もう少しだけ夜風に当たりたかった。一人になりたかった。考える時間が欲しかったのだ。

 誰にだって、夜道を一人で歩きながら帰りたい日もあるのだ。


「そっか。それなら俺も一緒に居るよ」


 私が欲しいものとは、異なる言葉が返ってきた。

 世話好き上手なところは喜ばれることかもしれない。

 だが、表面上の言葉しか理解できない今日の彼は余計なお世話だ。


「なら、私は今から帰るわ」

「なら、俺も一緒に帰るよ」

「…………」


 私は声も出さずに呆れてしまう。

 彼は、乙女心を理解できないタイプのようだ。

 遠回しに「一人にして」と言っているのを分からないのだ。


「どうして……? 私に合わせてくるの?」

「夜道は危険だからな。俺が家まで送ろうと思ってな」

「いや……別に一人で帰れるんだけど……? ストーカー?」

「ただの親切心だよ、勘違いするな」


 ストーカー呼ばわりされたのが、余程癪に触ったらしい。

 彼は断言したあと、鼻を「ふんっ」と鳴らしながら。


「こんな夜遅くに、女の子を一人帰らせるわけには行かねぇーだろ?」


 キザなセリフだ。最愛の彼女の前では、いつもこんな風にカッコつけているのかもしれない。でも、その優しさをわざわざ私に向けなくてもいいのに……。


◇◆◇◆◇◆


「寒くないか?」


 風を切る音が耳を纏う中、優しい彼の声が聞こえてくる。

 荷台に乗る私は、彼の背中にしがみついたまま答える。


「大丈夫」そう呟き、続けて。「こうすればいい」


 私は彼の背中をギュッと強く抱きしめる。

 初めて触れる男性の身体。ゴツゴツとした感触だ。

 小学生の頃から理科や保健体育の授業で、男性と女性の身体の違いを学んだことがある。

 でも、実際に男性の身体に触れるのは初めてだ。女性だらけの学校で過ごしてきたのだ。

 別におかしな話ではないと思う。うん、私は物凄く……普通だ、絶対に。


「ちょっとお前抱きしめすぎじゃないか?」

「寒いんだもん。だから、いいでしょ?」

「……そ、それなら仕方ないか」


 納得した彼は、それ以上、口を挟まずにペダルを踏んだ。

 私はそんな彼の背中に身を寄せながらも、安心感を得るのだ。

 一緒に帰る気なんてなかった。でも、彼は引かなかったのだ。

 私が「先に帰っていいよ」と断っても、彼は「心配だから」の一点張りだった。

 彼は頑固な性格だ。一度言ったら、話を聞かないタイプなのだ。

 多分、私が「来るな!」と叫んだとしても、その後ろを付いてきたに違いない。

 だから、私が先に折れて、自転車の荷台にお邪魔させてもらっているのだ。


「時縄くんのカラダ……温かいね」


 私は彼の背中に顔を当てながら、そう呟いた。

 雨で濡れたシャツ。それは彼の熱を帯び、徐々に乾いていた。

 冷たさと熱さを兼ね揃えたそれを、私は強く抱き寄せる。


「それは上がるだろ……それはな」

「どうして……? 教えて」

「…………女の子に触られたら、そ、それは……カァっと熱を持つっていうかさ」


 モゴモゴと喋る彼。

 私はそんな彼の耳元でいつも通りからかうように囁いた。


「照れてるんだ」


 順調に進んでいた自転車が揺れる。

 動揺しているのが、丸分かりだ。

 それなのに、彼は平気な声で。


「照れてないよ」


 彼女持ちの彼が照れることはない。

 ましてや、それを私に伝えるはずがない。

 だから、私もお返しに嘘をまた一つ吐き捨てる。


「安心して。私は時縄くんのこと湯たんぽと思ってるから」

「おいおい……人様を湯たんぽ扱いかよ!」

「うん、湯たんぽ。だから、もっと私を温めてね」


 言い訳がましいことを呟き、私は彼へと身を寄せる。

 歳を重ねる度に大きく実った胸が、彼の背中にゆっくりと沈んでいく。

 たったそれだけで、私の心は穏やかになってしまう。

 彼と肌を擦り合わせているだけに過ぎないのに……。

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