第10話:ターニングポイント①
「はぁ〜」
病室から眺める藍色の雲。
月光が綺麗に輝く今宵の夜。
深い溜め息を吐き捨て、俺は肩を落としていた。
頭に浮かび上がるのは——彩心真優の顔ばかり。
あの女に関わってから、ロクなことが起きていない。
勿論、勉強を教えてもらってはいる。
だが、彼女のお友達を名乗るお嬢様軍団にまで関わるとは。
「溜め息を吐いてどうしたの? 勇太」
結愛が眉を八の字にしてそう訊ねてきた。
しまったと思っても、もう全てが遅い。
愛する彼女の前だというのに、溜め息を漏らすなんて。
更には、他の女のことを考えてしまうなんて情けない。
少しでも彼女を笑顔にしたい。その一心で来ているのに。
それなのに、彼女に心配を掛けてしまうとは……。
「受験生には色々とあるんだよ、色々と」
「色々って何? 詳しく教えて」
「詳しく教えろと言われてもだな……」
「ねぇ、勇太はさ、私のこと好き?」
「何言ってるんだよ。好きだよ、大好きだよ!」
「なら、そんな好きで好きで堪らない彼女に内緒なの?」
本懐結愛は秘密にされるのが嫌いである。
中学に上がる前に、彼女は病に伏した。
その頃から、彼女は特殊扱いを受けている。
結愛のことを思い、大人たちが気を遣っているのだ。
だが、彼女はそれを良しと考えられないのである。
「……勇太もあたしを除け者にするんだね」
結愛は顔を俯かせる。
その後、俺の罪意識を掻き立てるように小さな声でいう。
「……信じてたのに。勇太も、そっち側の人間なんだ」
唇をキュッと噛み締めて、愛する彼女は睨んでくる。
結愛を怒らせたいわけでも、悲しませたいわけでもない。
俺が見たいのは、彼女の笑顔だけなのに。どうして、俺は彼女を傷つけてしまうことをしてしまうのだろうか。
ともあれ、もう観念するしかあるまい。正直に答えよう。
「……分かった。分かったよ、隠し事はなしだからな」
偉そうに咳払いをしたあと、俺は事情を説明することにした。と言えども、長々と説明するわけにもいかないので、掻い摘んで話すことにした。なので、わざわざ彩心真優という具体名を出す必要はないだろう。大雑把にザックリ話せば。
「偶然さ、同じ予備校の生徒と出会ったんだよ。この病院で」
俺の話を聞きながら、結愛は「うんうん」と頷いている。
人の話には熱心に聞く派である。
もしも彼女が教え子ならば、俺はどれだけ救われることだろうか。
「で、俺はそいつと予備校内でも喋るようになったんだけどさ」
一旦、俺は言葉を止めて、結愛を見据える。
彼女はまだ本題に入ってないぞという表情を浮かべている。
もう少し分かりやすく説明したほうがいいだろうか。
そんな迷いがあるものの、俺は続きの言葉を発した。
「そいつは予備校内で人気者なんだよ。いつも教室の中心に居るみたいな奴で。で、そんな奴と関わり始めてから、徐々に周りからの目線が変わるというか、どんな関係なんだろうと不思議に思われてさ。注目を浴びる機会が一度もなかったから、ちょっとずつ勉強が疎かになっているというか……何というかさ。あぁ、ごめん。話の筋がまとまってない」
分かりにくい説明だなと自分でも思う。
だからこそ、結愛はもっと分かりにくいことだろう。
それでも彼女は話を聞いてくれ、俺に質問を投げかけてきた。
「あのさ、それってさ、男の子? それとも女の子?」
性別は特に関係ないと思うのだが、結愛は気になるようだ。
わざわざ嘘を吐くまでではないと思い、俺は「女」と教える。
すると、結愛は「そっか」と口を歪めて微笑み。
「で、結局。勇太の問題は、勉強に集中できないってことだよね?」
彩心真優と関わり始めてから生じた問題。
その根本的な部分は、勉強に集中できないことに集約される。
「そうだよ。俺は勉強ができなくてイライラしてるんだと思う!」
理解者が現れ、俺は興奮気味に答えた。
やっぱり、自慢の彼女は拙い説明でも俺の心を理解してくれる。
「なるほど。それなら簡単な話だね。勇太の悩みを解決する方法」
「えっ? 勉強に集中できる方法があるのか?」
話に飛びつく俺を見て、結愛は「まぁまぁ」と落ち着かせる。
是非とも、意見を聞き入れたい。
周りの目線が気になって、勉強に集中できない。
そんな俺に向けた対処法とは一体何なのか。
「もうさ、その女の子と関係を切ればよくない?」
至極当然のように結愛は淡々と答えた。
悪びれる様子は全くない。これ以外の解答があるのか。
そう言いたげな表情で、凍りついた俺の顔を覗き込んでくる。
「勇太。あたしの完璧な解答に驚いちゃった?」
「……生憎だが、そ、それはできないかなと思ってさ」
「……ねぇ、どうしてできないの? 迷惑を掛けられてるんだよね?」
意味が分からない。
そう彼女の青白い表情には、浮かび上がっていた。
本懐結愛は、俺の口から出てきた言葉を信じられなかったようだ。
彼女はベッドのシーツを力強く握り締めながら、説教を垂れてくる。
「勇太の目標は何? 医学部に入ることだよね?」
威圧的な声だが、言い分は正論過ぎる正論である。
「去年も落ちて、今年も落ちたらどうするの? また来年も医学部を目指すの? 違うよね? 折角貰った大事なチャンスなんだよね? その為にはさ、面倒な人間関係や余計なものは全部排除して、受験勉強に専念したほうがいいんじゃないかな?」
俺を勇気付けてくれているのだ。俺を少しでも思ってくれているからこそ。
彼女は、少し強めな口調で、高圧的な態度を取ってくるのだ。
それもこれも浪人生である俺を奮起させるため。
そうとは理解しているのだが、言葉の節々にトゲが多すぎるのだ。
「そもそもな話なんだけどさ、勇太は勉強する為に予備校に行ったんでしょ?」
俺の有無があるまで、続きの言葉は聞こえなかった。
コクリと頷くと、彼女は「そうだよね」と分かり切ったように呟いて。
「それならもう余計な人間関係は捨てちゃわないとダメだよ」
本懐結愛は、俺が他の誰かと積極的に関わることを嫌う。
病に伏すまでの彼女ならば、こんなことは一度もなかったのに。
「それにね、今は仲良しでも数年後にはどうでもいい仲になるんだから」
決めつけるように、本懐結愛は言う。
無理もない。それもこれも、全ては彼女の実体験から出てきた言葉だから。
病に伏すまでの彼女は人気者だった。容姿が整った活発な少女の本懐結愛。
男女共から憧れる存在で、好きな女子ランキングでは毎回1位を独占していた。
でも、彼女の人生は急遽として方向転換してしまったのである。
中学生に上がる前の春休みに。
あの日以来、彼女は闘病生活を続けている。
昔仲良かった人たちは年月が経つにつれて、全員離れていった。
残ったのは、幼馴染みの俺——時縄勇太だけなのである。
「もしかしてさ、その女に恋してるんじゃないの?」
人間というのは、醜い生き物である。
一度疑い始めたら、それが事実ではないかと思ってしまう。
その例に漏れず、俺の彼女は嫌悪感を丸出しにし、瞳を鋭くさせて。
「あたしよりもその子のほうが好きになった?」
そんなはずはないと否定しても、一度開いた心の距離は戻らない。
大切な人からの言葉さえも信じることができず、彼女は立て続けに言う。
「あたしよりもその子が大切なんだ」「そうだよね。だって、あたしは何の取り柄もないもん」「全然可愛くないし、それに勇太に何もしてあげることもできないし」「その癖に横暴な態度だけは取って、自分から八つ当たりばったりして気持ち悪いよね」
——あたしなんて、生まれてこなければよかったんだ。この世界に生まれてこなければ。
散々喚き散らかしたあと、本懐結愛は自分の生を否定する言葉を発した。
月明かりに反射した彼女の頬には薄らと涙が伝い、彼女の白い腕に落ちていく。
拭えばいいものを、彼女は動かずにじっと黙って俯いたままなのである。
そんな塞ぎ込みな彼女の元へと寄り、俺はゆっくりと抱きしめる。
「結愛は生きてていいんだよ。生まれてきてよかったんだよ」
世界で一番愛すべき存在なのに、泣かせてしまった。
その罪悪感が心を蝕んでくる。だから、俺は謝罪の言葉をいうしかない。
彼女は電池が切れたオモチャのように、何の返事も出さない。
「結愛は悪くないよ。悪いのは全部病気のせいだよ」
俺はそう呟きながら、優しく愛する彼女の頭を撫でる。
そうすることでほんの少しだけ、本懐結愛は落ち着きを取り戻したらしい。
俺をギュッと抱きしめたまま、耳元で愛を囁いてくれるのだ。
「生きてていいと言ってくれるのは勇太だけだよ」「勇太だけが、あたしを救える」「勇太が好き、勇太が大好き」「勇太はあたしの救世主」「勇太はあたしの彼氏」「勇太は——」
普段は愛情を示さない彼女が、偶に溢してくれる変わらぬ愛情。それが堪らなく嬉しくて、俺は彼女をもっと力強く抱きしめてしまう。それに従うままに、結愛も力強く抱きしめ返してくれるのである。
ただ、彼女と肌を寄り添い合うだけで、幸福感が漲ってくる。俺は、この世で一番の幸せ者なのだと改めて痛感する。
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作家から
あけましておめでとうございます。
新年早々私の小説に読みに来てくれてありがとうございます(´;ω;`)
今後もこの調子で小説を書いていくので皆様応援よろしくお願いします( ̄▽ ̄)
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