時縄勇太は最愛の彼女を救えない

第9話

 鉄格子付きの窓から雨上がりの夕日が差し込んできた。

 本日の選択授業を取り終えた俺は、頭上から降り注ぐ光を片手で防ぎながらも、大広間型自習室へと繋がる階段を歩む。

 本来ならば、個人型の自習室で体を労わりたかったのだが、もう既に勉強をしない奴等で占領されていたのである。


 本日も仲の良いお友達と一緒にペチャクチャと喋りながらも、さぞかし楽しい時間を過ごすのだろう。中には、机の下でこっそりとスマホを扱うために、個人型自習室を使用する不届きものも居る。遊ぶぐらいなら、さっさと帰れと思うね。


 それにしても……。


 階段を一歩進むだけで、嫌でも汗が出てくる。リュックを背負っているのだが、その部分を中心にジメッとしているのだ。

 梅雨特有の湿った感じに参りながらも、俺は階段を昇り終え、大広間型自習室の扉を開くのであった。


 部屋の中には、まばらに生徒たちが座っていた。

 扉の前で立ち止まっていると後方の生徒たちが押し出してくる。我先にと、席の奪い合いが始まっているのだ。


 自習室の座席選びは重要なのである。

 如何に集中できる座席を選ぶことができるのか。


 その例に倣って、勉強ガチ勢の俺も適当に歩きながらも周囲を見渡し、空いている座席を探す。

 この部屋は二人用の長机とオフィス椅子を採用している。

 なので、俺が狙うのは、誰も使用していない机だ。

 エアコンの冷気が直接触れない優良座席を見つけ、腰を落ち着かせたわけなのだが……。


 俺を取り囲むように、清楚系でお淑やかな女性陣が立っているのだ。


 その数は三名。

 右側から、ボブ、パッツン、団子というバランスの取れた色白少女たちは、コソコソと隠れることもなく、俺を凝視している。俺が顔を俯かせると、机の前に立つ女の子たちは前屈みになるのだ。


 当然、俺と目線が合うのだが、彼女たちは全く動じることはない。逆に、道端で百円を拾ったかのように、唇の端を緩めるのみ。


 彩心真優と関わり始めてから、俺は周囲から注目される存在になった。彩心真優は「勘違い」と結論付けたが、現在、俺が立たされた状況を見れば、彼女も納得してくれるだろう。


 ともあれ、勉強の邪魔だ。是非ともお引き取り願いたい。

 邪魔だから失せろと言いたい。俺の視界に入ってくるなと。

 だが、彼女たちが全く別のことをしている可能性もある。


 受験生は朝から晩まで椅子に座り、体が固くなる。それを防ぐべく、彼女たちは休憩時間中に柔軟体操をしている線はどうだろうか。もしもそれが真であれば、俺は変な言いがかりを付ける痛い奴認定されることだろう。


 動物園の客寄せパンダは、こんな屈辱的な日々を毎日過ごしているのかと同情してしまう。少なからず注目されたい願望があったものの、ストレスフルな生活には懲り懲りである。


「アレが彩心様とお付き合いしている殿方なのですね」

「ふむふむ……普通の人に見えますが、何か特殊な才能があるのでは?」

「逆に彩心様は、あぁ〜いう普通の殿方がいいのでは?」


 他人を思い遣る気持ちが欠如した三人組は、コソコソとした感じで、お互いの意見を表明している。本人たちは、俺には聞こえていないと思っているのだろう。だが、俺の地獄耳を舐めてもらっては困る。世間体だけは重んじるタイプの俺には、丸聞こえである。できれば、褒め言葉が欲しいものなのだが。


 俺は参考書を持ち上げ、わざとらしく咳払いする。

 それから目線だけを僅かに上げ、彼女たちを見ることにした。

 傍ら見れば、首が凝っても勉強を続ける受験生の模範とするべき姿だろう。


 ボブは顎に手を当て。

 パッツンは両手をほっぺたに当て。

 団子はこめかみに指先を当てて。


 先程と変わらず、彼女たちは俺をガン見していた。

 潔いその姿に、思わず俺の方が狼狽うろたえてしまうものだ。ただ、収穫を得ることができた。


 奇妙な三人組の姿には、見覚えがある。


 彩心真優のお友達である。

 もっと厳密に言えば、彩心真優と同じお嬢様学校。

 名門校と名高い西園寺女子学院出身の生徒たちである。

 彼女たちの気品溢れる態度や行動を見れば分かってしまう。

 相手の正体が判明したところで、相手側も俺の視線に気付いたようである。逃げも隠れもせず、彼女たちは話しかけてきた。


「時縄勇太様でございまして……?」

「あ、はい……そうですけど……」

「これからも彩心様のことをよろしくお願いしますわ」


 名前を名乗ることもなく、パッツンが深々と頭を下げた。

 お嬢様というキャラを貼り付けたような喋り方である。

 正直言って、実社会で普通に生きていけるか不安である。


「えっ……? よろしくと言われても……お、俺は」


 初対面の相手なのだが、彼女たちはグイグイ来るのだ。

 戸惑いを隠せない俺に対して、顔を上げたパッツンが続けて。


「彩心様は明るい性格で、正義感も強いお方です」


 呼応するように、団子も口を挟んできた。


「でも、彩心様はあれだけモテるお方なのに、殿方とお付き合いする縁が全くない。大変謎で仕方ありませんでした」


 銀縁の眼鏡を掛けたボブは「でも」と呟いてから。


「彩心様が貴方と密かに通じ合う姿を何度も目撃した。今まででは、絶対に見せない笑顔を、貴方には向けている」


 だからこそ、と仲良し三人組は口を揃えて。


「「「彩心様には、今後も幸せな生活を送ってほしいのです!

 だから、ワタクシたちはこれからも二人を応援しますわ」」」


 コイツら、彩心真優に買収でもされてるのか?

 もしくは、洗脳されてしまっているのだろうか?

 奇妙な三人組に対する不信感が募る中——。


 ボブが祈りを捧げるように両手を合わせて。


「勿論、他の方々からは色々と言われることもあるでしょう」


 パッツンが自信満々に胸を張って。


「それでも、ワタクシたちだけは必ず力になってみせますわ」


 ただ、と呟き、団子が鋭い瞳を向けたままに。


「ただ、彩心様を悲しませることをすれば、そのときは……」


 人との距離を測れない系の三人組は俺の腕を取って。


「「「覚悟しててくださいね、彼氏様」」」


 彩心真優に酷いことをしてみろ。

 そのときには、お前を容赦無く呪い殺してやる。

 そんな脅迫じみたニコニコ笑顔を、彼女たちは浮かべてきた。その姿を見て、女子の団結力は怖い、と俺は改めて思うのであった。

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