第14話:おぉっ……

 時刻は午後五時。

 空が茜色に染まり、地平線に沈む夕日が影を落とす時間である。ダメ押しのように、天から聞こえるのは「夕焼け小焼け」。これに帰巣本能を刺激されない人間が、果たしているのだろうか。



「この上に、アタシたちの平穏を邪魔するヤツが……!」


 いや一人だけ……本日の玲那だけは違った。ここからが気合を入れる時間である。神社への長い石段を一歩ずつ踏みしめながら、彼女は集中力を高めていく。一歩、もう一歩と。足下を注視しながら。


(こんな脅しに効果はねぇが……。アタシを呼びつけたこと……後悔させてやる)

 永遠にも思える石段の終わりに併せて、玲那の目線が自然に前を向く。すると視線の先にいたのは予想外の人物だった……。



「なんでアンタがここにいるんだ?」


 玲那が鳥居をくぐるとともに、正面をにらみつける。そこにいたのは高校生でもチンピラでもない。つい数十分前に、顔を突き合わせた警察官がいたからだ。

 乱れた呼吸を抑えつつ、関節を鳴らしてプレッシャーをかける。


「なぜ答えようとしない……。ビビってんのかよ!?」

 緑は沈黙を決め込んだ。戯言に耳を貸さないがごとく、右手で口元を覆いながら。左人差し指を前後に、近くに来るよう煽る。

 瞬間、玲那は血の気が引くのを感じたのだ。



「なぁおい……夕雅をどこにやった!!!」


 ここに警官がいる。それすなわち、夕雅に何かあったに違いない。監禁されたか、乱暴されたか、殺されたか……。イヤな思考が頭の中で右往左往している。

 むなしいことに、緑からの返答はゼロだった。憎たらしい相手の不遜な態度に痺れを切らしたのか、玲那は苛立ちを隠さずに。



「チッ、一時でもアンタを信じたアタシがバカだったよ……。アタシはな……てめぇみてぇに上から目線で大人ぶってるヤツが大嫌いなんだよ! 数年早く産み落とされただけの女が、イキがってんじゃねぇぞコラ!」


 玲那は緑に対して威勢よく啖呵を切った。これは脅しではない。本気の殺意が含まれているのだ。彼女は傘入れからビニール傘を取り出し、逆手に持って構える。


(……かかってこいよ)

 一触即発の雰囲気が二人を覆いつくしたが、それでも緑は涼しい顔をしている。

 玲那は額に青筋を立てた。その立ち姿、全てが非常にムカつくと。怒りをバネに、彼女はネコ科の猛獣のように姿勢を低くして……。爆発するかのごとく、勢いよく飛びかかった――。


「底へ……堕ちろぉ!!!!!」




 ――同時刻、夕雅は小走りで神社へ向かっていた。体が綿毛のように軽く感じるようで。

(このペースだと予想以上に早く……!)

 昂る気持ちを抑えられない様子である。目的地に近づくにつれて、自然に表情が柔らかくなる。遠くに見えるのは、小さな人の形。おそらく玲那だ。もう少し、もう少しだから待ってほしい。焦る気持ちが足を大きく動かして。もう少しで背中に触れられるのだ、と。


(やった……追いついた!)

 手を伸ばした瞬間……。


「いなっ…………!」

 突如として背中が霧散したのだ。



 夕雅の手が空を切る。だけでなく、神社まで続く石段や見慣れた街並みまでがはじけたように消え失せた。到底現実とは思えない光景に、彼女は絶句する。


(これは……私の目……おかしくなっちゃった……? それともこの世界がそもそも……?)

 夕雅はキツネにつままれたような顔で、夢と現実の区別がついていない。この世界が虚構ではないか、と考えてしまうほど。

 さらに追い打ちをかけるように、どこか郷愁を感じさせる建物がぼんやりと現れたのだ。霧が徐々に晴れるにつれて……彼女は気づく。


(ここは私と……玲那が通っていた中学校だ……)

 目から流れ込む情報を処理するのに、夕雅は手一杯だった。まるで型落ちパソコンのように遅い動作で。フリーズだけはさせてはいけない、と。考えるのを止めないことが、正気を保つ唯一の方法だと信じて。



「天井夕雅さん……で間違いなさそうね」


 謎の声が大気に響き渡った。思考が全て声の主へ移る。


 「だっ……だれだぁ……!」

 おどおどしながら夕雅が叫ぶ。すると、今度は別の声が。



「罪のない――善良な人たちに危害を加えたイカレ女……!」


 二人の女子中学生が、正面玄関の柱の陰から現れる。何も面識のない少女が。種明かしだと言わんばかりに。

 一人は脱力して柱にもたれかり、もう一人は一歩前に出ながらこちらを指差した。この状況にアウェイさを感じる夕雅だったが。


(右側の……先刻体当たりしてきた子と背格好が似ているなぁ)

 冷静に分析を続けていた。敵の正体が判明したため、彼女は幾分か平常心を取り戻しているのである。



「この町を守るため……お前を更生してやる!」


 心は息を荒く捲し立てた。弱い犬ほどよく吠える、というべきか。内に秘めた恐怖をひた隠しにするため、精一杯吐き出したのだ。


「はぁっ…………」

 心の精神状態を見透かしたように、夕雅は毅然とした態度になる。



「あいにく児戯っ……には興味がないの。それに私はすごくイラっ……ついている。用事があるからね。もし追いかけてくるならっ……殺す」


 心は夕雅の眼光にたじろぐ。心臓に針を刺されたかのように。写真で見た印象とは全然違い、幾度となく死線を越えてきた猛者の風格があったのだ。

 対照的に莉花は、涼しい顔をしている。何を怖がることがあるのかしら……と。



「追いかけてくる? ノン、の間違いじゃないかしら。私たちを倒さなきゃ――片割れはオワリよ。あなたの目に映るもの……そのが正しいとは思わないことね」


 夕雅はハッとする。

(左のロン毛……アイツが自分を陥れたのか……!)


 現代科学では説明不可能な事象が起こっている以上、これは屠顔人の仕業だ。玲那にも危害が及んでいることが状況からでも判断できる。しかも言葉の節々から感じる、得も言われぬ煩わしさ。どうも我慢が出来ない。喧嘩をしてはいけないと、自分から進言したはずだが。



「はぁ、これで喧嘩をっ……やめにしようって約束したばかりなのに……。生意気なガキをっ、余計にブチっ……ノメさなきゃならなくなった!」


 夕雅は恨めしい顔で足首を回すと、クラウチングスタートのようにゆっくりとしゃがみ込んだ。



「じょ、上等だ! その根腐れした性格、私たちで叩きのめしてやるっ!」


 心が後ずさりをしながら叫ぶと、探偵たちは土足のまま校内へ逃げ込む。一人は腕を大きく振りながら全速力で。もう一人はジョギングのように余裕を持ちながら。


「……っ、はぁ……」

 遠ざかる足音を聞いた夕雅は、溢れ出る怒りを体内に蓄積させる。爆発を抑えながら。憎悪を向ける覚悟を決めて。限界まで体の隅々まで行き渡らせ……一言呟いた。



「……逃すわけな――」


 彼女は倒れ込むように全体重をかけると、勢いよく地面を蹴って走り出した。目線の先には莉花と心が。獣のような瞳に映る二人の姿は、瞬きごとに大きくなっていく――。




『戸人 弐女:斗落玲那』

『戸人 長女:天井夕雅』

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