第13話:落とし方を知れよ!!!

「来た! コール十秒……天井夕雅がっ!」



 前回のコールから数十分後、心の持つスマートフォンが再び振動を起こした。

 心の背筋が伸びる。緊張状態からの急な刺激に。莉花は悠々たる面持ちで両手を擦り合わせると、すぐさま指示を飛ばす。

「心、手筈通りに待機を」



「はいです!」

 その言葉を聞くや否や、心が勢いよく大地を蹴った。作戦開始の合図である。

(はぁ……その元気さがうらやまし……)

 やる気に満ちた心に対して、莉花はどこか冷ややかな目で見送った。下準備を行うために手首を圧迫させて。



「……『顔隠屍ライク・ア・シュラウド』」


 莉花の掌から、霧が絶えず噴出される。足首を覆いつくし、波立ちながら。それが太腿、腰、頭頂へ吹き上がると……。まるでブラックホールのように空間が歪み、周囲の色を吸い込みだしたのだ。


(フン……これで準備完了……)

 莉花は文字通り、背景に溶け込んだのである。彼女は金具に足を引っかけ、げた箱に飛び乗る。この高所こそ……超至近距離からの監視が可能になるのだ。



(足音……だれか来るわね)

 廊下の奥から、小走りする音が耳に入ってきた。音の感覚から、焦りが感じられると。音の反響が大きくなるにつれて、独り言も聞こえてくる。



「も……し、も……少し、もう少し……じゅうぶ追い……」


(あのキョドリよう……まちがいなく天井夕雅)

 莉花は走り寄ってくる夕雅の姿を捉えた。廊下から生徒玄関へと。ターゲットが近づいてくるにもかかわらず、彼女の鼓動が速まることはない。冷静なまま観察を続けられているのは、莉花の胆力があってこそである。



「いっそげ! いっそげ!」


 夕雅は玄関に入り、げた箱からローファーを掴み出す。少しもたつかせながら、片腕で扉を押さえて。片足ずつ踵をつぶしながら上履きを脱ぐと、そのまま足をローファーにねじ込んだ。


(えぇい! くそぉ!)

 一向に足が入らない。ひもを緩めて、つま先を入れる。普段の彼女ならば、大したことない動作である。だが焦りによって、脳の命令に体がついてこれないのだ。


「……はぁ」

 夕雅のため息とともに、地面に放置された上履きが震えだした。明らかに彼女の様子もオカシく。



「急かっ……せろよ……!」


 直後……上履きがげた箱へホールイン! 夕雅の背後で吸い込まれたのだ。まるで栓を抜いた洗面台のように。そして扉がひとりでに閉まる。 

(何が起こっ——? チッ……見逃した……!)

 あまりにも一瞬の出来事だった。超至近距離から観察していた莉花でさえも、気づいたのは物音の後である。



「いっっそげぇぇ!」


 夕雅は胸を反り、昇降口から勢いよく飛び出る。ゴールテープを切るかのごとく。

「っとっと……」

 地面に着地すると、足をもたつかせながら小走りになった。


(まちなさい……!)

 莉花は慌てて飛び降り、競歩で後ろへ続く。歯を食いしばりながら前傾姿勢に。速力不足を補うため、思い切り腕を振りながら。



(まぁっ……! まちな……さぁい……!)

 莉花が全力で食らいつくが、それでも距離を離される。元から明らかであり、そもそも歩幅の差が大きいのだ。

 夕雅は無情にも正門にさしかかる。スピードをまったく落とさずに。そのまま走り抜けてしまおう、と。

(やはり追いつかない……が――)



「いっけな~い、ちこくしちゃう~~!!」


 突然、右の門扉から心が飛び出してきたのだ。臭い芝居のようなセリフとともに。曲がり角から飛び出す、食パンをくわえた少女のようで。彼女は左手で夕雅の肩を押し、正面へ向けさせる。


(着地点ヨシ!)

 心は胸元に思いきり飛び込んだ。フカフカ……と考えている暇もない。両肩を軽く押し込みながら。このまま倒れてくれたら御の字だ、と心は笑みをこぼした。もはや相手に食らいつくタックルである。彼女は地面がゆっくり傾くように感じ……。



「これでたお…………れない!?」


 不測の事態が起きる。がっしりと、心の体が受け止められてしまったのだ。厚い胸部のクッションと予想外にしっかりとした体幹によって。驚くことに夕雅は、左足だけで二人分の体重を支えたのである。



(ヤバいぞ……ここでミスると全てが終わる……。が、みじんも動かねぇ……!)


 金縛りにあったかのように動けない心だが、それもそのはず。夕雅は曲がりなりにも年上かつヤンキーなのだ。

 心は写真で見た弱そうな夕雅を侮っていた。年齢差があるとはいえ、結局は押し勝つことができると。しかし肌に触れたことでその身体能力の差を。嫌でも感じてしまったのである。


「な、なんだぁ……?」

 恐ろしい低い声が近くから聞こえてくる。怒らせたかもしれない。心は額に滝のような汗をかいていたのだ。



(このままじゃヤベぇ!)

 声を殺して心が叫ぶ。たとえ声が出ていたとしても、顔が埋まっていては聞こえることはないであろう。この状況は誰がどう見ても喧嘩を売っている行為だ。しかも教師を半殺しにするほどイカれたやつ……普通なら殺される前に離れるべし。



(しかし僥倖……ここで動くのが私なんだよぉ!!!)


 心は両腕を夕雅の体に回すことで、あえて抱き着いたのだ。逃げるのを拒んだ無謀な行為か、いや明確な意思をもって。

 彼女は左足を夕雅の右足にからませ、接地させないようにする。これにより相手は片足でしかバランスを取れず。夕雅は一気に体勢を崩していく。


(たおれろぉ!!!)

 心は隙を見逃さず、受け身のように右足を回転させた。全体重を右半身に乗せて。自分ごと地面に叩きつけたのだ。



「ぐっはぁ!!」


 二人は抱き合ったまま地面へ落ちていく。相撲の決まり手に近い動きで。ここが土俵ならば、先に背中をつけた心の負けだろう。しかし夕雅の視界を一瞬でも封じた時点で、探偵たちの作戦勝ちが決まっていた。




「痛ったぁぁ……誰だ今の」


 地面に倒れ伏せた夕雅は、頭が回らないまま顔を上げる。幸いにも、膝をすりむく軽傷で済んでいたのだ。思い切りコンクリートに叩きつけられたはずだが。

 数秒前、奇声を上げる女の子を抱きかかえたところ……までは覚えている。その子が忽然と消えてしまっているのだが。


(何が起こったのかは分からないけど、今は確認する余裕がない……)

 夕雅は体についた石ころを払い落とすと、神社への道のりを歩き始めたのだ。




「ゲホッ、ガハっ……いぃってぇ……」


 夕雅の姿を遠目に見つつ、心は莉花へ近づいた。そこで体の限界が来たのか、胸に手を当てながら俯いてしまう。莉花の肩に、腕を乗せながら。二人分の体重をモロに食らったのだ。背中を強打し、うまく呼吸ができないのも無理はない。


(どうだい……私の根性は! って思ってそう)

 この自慢げな態度から、鼻を伸ばしているように莉花は感じた。正直なところ、この作戦は「顔隠屍ライク・ア・シュラウド」ありき。心の働きは一割にも満たないと、本心から思っている。



「はぁ……はぁ……まぁ、さか……。莉花さんの……が……成長したなんて……。意外とこーじょーしん……あるんスね……」




 ——遡ること一時間前。二人が高校へ着いた直後の出来事である。

「突然だけど、私のは進化したの」


 唐突なカミングアウトに、心はあっけに取られる。無性に好奇心が刺激されたようで。幼い子どものように目を輝かせていた。なにせ少年漫画でよく見られるパワーアップのように感じたからである。



「えぇ! なんて能力ですか!? つか掌枯れって変化するんですね!」

 興奮する心を横目に、莉花はドヤ顔をする。期待通りの反応を得て、まんざらでもない様子で。



「ふふふ、まぁまぁ慌てなさんな……。あれは先週の土曜日、自分の作った幻影だけでは満たされ――コホン。能力に限界があると感じたわ……」


 莉花はミュージカル女優のような口調で目をうっとりとさせる。腕を白鳥のようにゆっくりと上げて。胸元で合唱のポーズをした。



「重要なのは自分で動かすのではなく……幻自らが動くこと。この力は他人から未完成と言われるかもだけど、私にとっては完成形……」

 そう嘯くと、すかさず心の顔面に霧をまとわせた。



「うわっぷ! 何するんですか!?」


 心は顔をこすろうとするが、霧がまとわりついて離れない。まるで陸で溺れているかのような感覚に陥って。彼女は大きく口を開けて息を吸い込む。すると耳元から、聞き慣れた声が聞こえてきた。

「ほらほらぁ、もう少しよ」



「ハァッ!」


 視界が開けた。しかし目に飛び込んできた光景は、心にとって到底信じられないもので――。


「ここ、わた……」

 心の家が現れたのだ。数秒前まであった高校は、跡形もなく消失して。足元を見ると、靴のまま縁側に立つという異様さが目に映る。近くには見慣れた和室、見慣れた床の間、見慣れた庭……。混乱している今の頭では夢とうつつを区別できず、錯覚を起こしていた。



「――――――――――――。」


 何かが後ろから聞こえてくる。声というにはあまりにも不明瞭だが。自分を呼んでいることだけは直観で理解した。

(そのだぁれかさん……私の……!)

 どこか懐かしい声に、どっと肩の力が抜けてしまう。すっかり安心しきった表情で。心がゆっくりと振り向こうとすると。



 視界が晴れ、見覚えのある学校がそびえたっていた。彼女はこの状況がいまいち掴めていない様子で。鳩が豆鉄砲を食らったように、まさに寝起き顔だった。

 思わずしりもちをついた彼女を見下ろしながら、莉花は口を切った。



「心が見ていたのは――あなた自身の願望。砂漠を歩いていたらオアシスだけじゃなく、豪邸に使用人まで現れるような……。蜃気楼は光の屈折だけどネ。

 あなたがどんなモノを見たのかは……聞かないでおくわ」


 その言葉を聞いても、依然として心は口をあんぐりとさせていた。薬物の効果が切れた中毒者のように。普通の人間には刺激が強い能力であることを……彼女の姿が物語っているのだ。

 莉花は心の前でかがみ、話を続ける。口元を緩ませながら、その目は笑っていないのである。



「はぁ……まだ夢の世界ね……。天井夕雅はを追うため、絶・対・に急いでるわ。なら彼女の願望は……決闘に間に合わせること。つまり――能力の発動がバレなければ、明後日の方向へ誘導できるわ」



 この策によって、二人は夕雅を術中に嵌められた。計画を問題なく遂行させて。夕雅の視界には、神社までの道のりが映っているだろう。実際には、逆方向で犀門中学校までの道をたどっているだが。




 そして時刻は、十七時ジャスト。玲那と夕雅が到着した二つの場面から、物語は再び動くのであった……。

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