第11話:落ち方を知れ!

 ――四月二十九日の午後三時、犀門高校二年A組教室にて。



「……はい、今日の授業は終わり。みなさん、さようなら」


 その一言で数秒前まで静寂に支配されていた教室が、一気に騒々しくなった。チャイムとともに教室から飛び出す者、巨大なエナメルバッグを持ち上げて部活に向かう者、誰にも気づかれずにひっそりと去る者……と三者三様だ。


「ふぅ……」

 中でも目を引くのは、窓際の席でプリントをまとめている少女である。否、その周囲と言うべきか。



「おーい、玲那ぁ! カラオケ行こうぜ!」


「フシンシャ、ブッ倒したってほんとぉ?」


「ウチらの事もヤラシ~目で見てたのかなぁ……でも、スッキリしたよ~」



 その者は机の四方を取り囲まれるように、大勢の女子生徒から話しかけられていたのだ。



「これはサツから言われててな、ノーコメントだ! アタシらツッパリと関わると、痛い目見るぞぉ〜!」


 集まったクラスメイトの中心には、今回のターゲットである玲那がいた。学生服から大きく乖離した――白い特攻服が異様さを際立たせている。しかし人付き合いはそこらの女子高生とは変わらないようだ。



(アタシのところへみんな集まる……。ツッパリやってなきゃ、毎日こんな感じなのかな……)


 玲那は悪い気がしなかった。自分の一言でクラスを沸かせる、人気者扱いを受けていることに。とはいえアイドルというより、マスコットとしてだが。遠くからでもすぐに見つけられる特攻服は、セクシーさよりもキュートさが全面に伝わってくるのだ。

 ヤンキーファッションは建前として、中学の制服を高校でも使い回されそうになったことへの反抗……という真実は皆に内緒である。


(このカッコはマジ……大人っぽいだろ~)

 そんなことを考えていると……


(ふわッ――!)

 後頭部に柔らかいモノが当たっているような感覚がした。




「うぅ~……れなぁ~~~」



 半泣きで玲那にアテテいる少女、ターゲットの夕雅である。彼女は縋りつくように、相棒の頭を抱きしめていた。遊ぶ約束をしていた自分を差し置いて、クラスメイトにとられてしまうと思ったためか。


(う……あたま……が)

 玲那は体中を圧迫され、机を必死にタップしていた。



「あぁっ、抱き着くな! 夕雅のコトは忘れてねぇよ!」



 うざったく腕を振りほどく玲那だったが、どこかまんざらでもない表情をしている。赤くなった耳が感情をダイレクトに伝えていて。



「……ニヤニヤぁ~」


「……先約があったんじゃあしょうがない」


「……私たちお邪魔みたいね~」


 クラスメイトたちがにやけながら教室を出ようとする。どこかほほ笑ましい光景を見たように。もはやこの一連の流れはA組にとっての日常茶飯事だ。


「うっせぇ! うっせぇ!」

 玲那は顔をさらに真っ赤にして怒鳴った。一方、夕雅は抱きついたまま満面の笑みで手を振っている。彼女の変わり身の早さに、果たして玲那は気づけたのだろうか……。



   ♢♢♢



 ――数分たつと、教室には誰もいなくなった。玲那と夕雅を除いて。廊下から響く管楽器の音色が、まるでバックグラウンドミュージックのように聞こえてくる。



「これが……今日の」

 玲那が立ち上がると同時に、果たし状を机に放り投げた。目を背けながら、相棒に表情を悟られないようにして。夕雅が代わりにその席に座ると、内容を読み上げる。



「斗落玲那・天井夕雅

 おまえたちが屠顔人であること

 私は把握している

 取引をしよう

 四月二十九日、木犀神社に来い

 ただし斗落、お前だけだ

 残りはでもしてな

 さもなければ――」



 先ほどまで仲良く笑い合っていた空間から一転、重苦しい空気が流れる。果たし状、というよりも脅迫に近い内容に。そして屠顔人という弱みを握られている非常事態に。夕雅は紙を穴が開くほど見つめると、絞り出すように声を出した。




「……れなぁ。……もうケンカなんてやめようよぉ。……だって、こんなことしたって――」


 か細い声をかき消すよう……玲那は勢いよく教室の扉を閉めた。開閉音が大きく響き、雰囲気の全てを無に帰す。 彼女は無言のまま夕雅の後ろを素通りすると、窓のサッシに手をついたのだ。



 衝突の残響が、夕雅の耳奥を揺らす。同心円状の振動が、鼓動とうまく相殺されて。



(ここで言わなきゃ……言わなきゃ……)

 夕雅は「口を挟むな」というムードに負けそうになりつつも、何とか話を続けようとした。背中から声が全く聞こえない心細さに、ずっしりとした痛みを胸に感じながら。目が潤んでも、こぼれ落ちないよう堪えている。


「れなが怖い人たちと戦ってるのだって……の約束を守るためなんだよね……。不良女をボコしたのも――バカにされたからだって、れなは言ってたけど……」




「でも……でも本当は、隠れて私をイジメたことへの……なんでしょ……?」




 いまだ返事をくれない玲那へ、夕雅は目を向けた。そこには遠くの街並みを見つめ続けている姿が。彼女もまた、今にも泣きだしそうな顔をしている。



「……うぬぼれんなよ。アタシは気に入らねぇやつをぶっ飛ばしてきただけだ。ぶっ飛ばして、ぶっ潰して……この格好だって、小せぇ体でも威嚇するためで……。勝ち続けなきゃ――アタシらは生きられねぇ……!」


 玲那は呟くと、いきなり夕雅へ振り向いた。今度は自分の番だ……と。





「アタシが夕雅を助けちゃならねぇって言うんなら、なんで……野郎からアタシを助けた! アタシはダメで!! 自分はいいのかよ……」




 玲那は叫んだ。顔を目一杯怖く、体をこわばらせて。できる限り迫力を出そうとしているのだが、声が震えてどこか空回りしてしまう。


「いいわけない……」

 普段、二人は同世代としか喧嘩をしない。そのため写真のように、大人を三人も半殺しにしたのはイレギュラーだった。そう、あの事件は……。



   ♢♢♢



 ――おとといの放課後、運動部すらも帰宅をする時間。



(チッ、長々と……。それでも反省文は三枚かよ……)


 玲那の身に降りかかった。



(なんでアタシが悪い子扱いなんだよ……先に手ェ出したのはアイツらだろ……)


 蛍光灯の切れた廊下を歩いていた時である。



(かなり待たせちまった……もう帰ったかな)


 彼女が階段を上がり、電気の切れた教室に差し掛かった瞬間――



(早くもどら――)


 何者かによって後ろから抱きつかれたのである。




「おい! ナニしてんだよ!!」

 青天の霹靂――体が宙に浮かぶ。地に足がつかない。振り払おうとしても、身動きが取れず。ものの数秒で起こった出来事に、理解が追い付かないのだ。


「降ろせ、降ろさねぇとタダじゃ置かねぇぞ!」

 無我夢中で叫ぶ彼女は、近くの教室へ連れ去られてしまった……。




(な……なにが起きてんだ……?)


 教室に入れられ、扉が閉まる。耳元からは、生理的に受け付けないねっとりとした声が。「おまえがはじめてだ」と。どうやら学校に侵入した——変質者。


(へぇ……へぇ……へんたぁ。にげなきゃ……)

 無理やり体をねじろうとしたが……うまくいかない。声がもつれ、のどが固まる。すると変態によって縄で縛りあげられ、地面に張り倒されたのだ。



「だれか! だれか! だれかぁ!!」



 迫りくる変態に、玲那は頭が真っ白になる。いくら喧嘩に慣れていても、男女の体格差を埋めるのは至難の業だ。屠顔人でもそれは同じ。しかもガムテープを口につけられたことで、助けを乞う手段を失ってしまった。


「ぅん! んー!! んんーー!!!



「ぅ……」

 これから起こるであろう凶行を察してしまった。諦めが頭を埋め尽くす。そう悟っている割には、涙が止まらなくて。



(だめ……絶対だめ…………もう守れない……こない……)


 早く終わるよう、神に祈っていると――




「れなぁ!!!」



 ギリギリで、夕雅が間に合った。いつまでも職員室から戻らない相棒を心配し、彼女は学校中を虱潰しに探し回っていたのだ。


「れなぁ、れなっ――」

 教室に入るや否や、涙を流す玲那を確認した。みるみるうちに顔が青白く。沸々と湧き上がる怒りに表情がこわばる。


「ぇがぁ……」

 彼女は机をゆっくりと持ち上げ……




「おまえっ……がぁ、マ、死ねよぉ!!!!!」



 発狂する変態へフルスイングしたのだ。




「だいじょうぶ……? だいじょうぶ……? すぐに、すぐに……」


 夕雅は玲那の元へ駆け寄った。大粒の涙を流しながら。安心するよう、強く抱きしめる。早く泣いて、自分に対してストレスを解放してほしい、と。玲那は放心状態で、涙すらも枯れ切っていたのだ。




「どうした! 何があった!」


 大きな物音に気づいた二人の大人が、教室に入ってきた。彼女がそれを教師だと認識した途端、正気を失い……。

「おまえらぁ! なぜ入れたぁ!! それが責任だろぉがぁ!!!!!」


 ――結果として写真のような惨劇が生まれてしまったのだ。



   ♢♢♢



(ああああ亜亜亜亜亜亜亜アアアアアアア!!)

 夕雅の頭がチカチカした。思い出したくない光景が、フラッシュバックしたため。


「ふぅ~~~~!! ふぅ~~~~!!」

 彼女は正気を取り戻そうと、下唇を強く噛む。血は滲むが……極めて冷静に、冷静に。その赤色が自分の免罪符になるのだ。


(自分が先に、泣いてどうすんのよ!)

 心では理解している。だがどうしても、涙がこみあがるのを止められない。



「……で、でも……それでも! 私はれなを守りたいけど、これ以上手も汚してほしくない……。わかってよ……」


 夕雅は溢れる涙を止めようと目を瞑った。それでも隙間から止められず、机に突っ伏してしまう。



「……ごめんな。でもアタシの生きる意味は、夕雅の笑顔を見ることなんだ。だからそのためなら……アタシはなんだってするのさ」


 玲那は優しくほほ笑みかけた。愛おしい我が子を見るような目で。




(そんなに……私のコトを……!)



 夕雅にとって、今まで掛けてくれた言葉の中で一番うれしい言葉だった。私のことを一番大切にしている、と。玲那が初めて口にしてくれたのだ。しかしうまく顔を上げられない。決して涙のせいではない。


(私には……止められないかぁ……)

 玲那の隣に立つ資格がないと、夕雅自身に落胆してしまったのだ。ホンネを吐き出しても、危険に突き進む相棒を止められない自分に。何年一緒にいたんだ、と。


(えっ……?)



 突然、全身が柔らかい何かに包まれた。何物にも形容ができない、心地よいモノに。



(ベビーバスケットのような、なつかし……い)


 夕雅が腕の隙間から顔をのぞかせると、良く見慣れた小さな手のひらが。




「何も考えないで……安心しなよ……」



(ええっ……、えぇ!!!!!)


 なんと玲那に優しく包み込まれているのだ。人肌によって温められ、気持ちは春。体を動かせないが、締め付けるようなキツくはない。夕雅を想っての力加減なのだ。


(あぁぁぁぁ……)

 彼女は軽くパニックになる。小さく言葉を振り絞ることが限界で。相棒に抱きしめられた経験は……一度もなかった。




「……でも、ケンカは今日で終わりにするよ。自分から戦わない! 一緒に逃げるのも、楽しいだろうしな!」



 玲那は笑いながら、さらに強く抱きしめる。大きな体を包むために、小さな体を伸ばして。しかし全く苦ではない様子だ。


 むしろここまで自分の心も温まるのは想定外だった。

(ずっとこうしていたいな……)


 夕雅は真っ赤になった顔を机に押し付けていた。その温もりに身を委ねながら。

(この瞬間を永久とわにしてほしいな――)




「天井夕雅さん、天井夕雅さん、至急職員室まできてください」




 二人は水を差された。空気を読まない、校内放送に。自分たちの世界に浸っていた彼女らは、お互い顔を背けながら腕を離す。まるで付き合いたての初々しいカップルのように。

 玲那は腕を伸ばしながら背伸びし、夕雅もそそくさと教室を出る準備をする。



「じゃ、じゃあ……私は職員室に行ってくるね。先に行ってて!」

 夕雅が早口で玲那に伝える。いまだ彼女の目を見ることはできない。


「あっ、うん……。いや!」



「……えーっと……あんなことがあったばかりだし、アタシもついて行くよ!」



 玲那が早口で夕雅の手を取ると、早歩きで引っ張った。赤くなった顔を見せまいとしているが、誰がどう見ても丸わかりで。照れ隠しにもほどがあるだろう、と夕雅は小さく笑う。



   ♢♢♢



 ——アナウンスを行った緑は、壁にもたれ掛かり目をつぶっていた。敷地内に堂々と侵入しているにもかかわらず。職員室前という、バレたら即通報されそうな場所で。敵地で油断しているように見える行為だが、これこそが重要ルーティーンである。


(そうだ……いい調子……)

 全ては精神を集中させ、パフォーマンスを最大限高めるため――




(このオーラ……来たな?)

 視界をシャットアウトして数十秒、人の気配を遠くに感じる。


(屠顔人はクサイからなぁ……)

 目の焦点をコンマ一秒で合わせると、玲那と夕雅の姿を確認した。これから喧嘩だというのに、手を繋ぎながら。周囲から暖が取れるほど、熱々な様子で。




「やっぱ放送だけじゃ、一人で来ないよなぁ~。事情聴取しながら別行動させる……。つか、これが一番の難所じゃね?」



 緑はスマートフォンを胸ポケットへしまう。独り言とはあべこべに、ここまでは想定内だと。近づくターゲットにお辞儀をした彼女は、そのまま声をかけたのだった。

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