第8話:旧友

 四月――ある土曜日の朝。



 ドアベルの音が、喫茶店中に響き渡った。暖かい日差しが差し込み、薄暗い店内を明るく照らす。誰もいない孤独さ――生活音すら聞こえないこの静寂が、ベルの音すらも飲みこんでいく……と。訪れた客は考えていた。


 すると誰もいないカウンターの奥から、聞き慣れた声が耳に届く。



「表の看板のとおり、今は……。いらっしゃいませ」


 エプロンをつけた可愛らしいウェイトレスさんが、笑顔になってお出迎えする。ここは「フレンズ」——。一風変わった人たちが屯する純喫茶なのだ。



   ♢♢♢



「こんな時間に誰かと思いましたよ……。ねぇ、莉花さん?」


 本日、「フレンズ」を訪れたのは莉花である。彼女がお気に入りの席に腰掛けると、すぐさまコーヒーが運ばれてきた。もちろん、看板娘の友梨から。



「どうぞ……今日はお一人で?」

 莉花は静かに頷き、同じ卓につくよう手招きをしたのだ。今の時間帯は準備中であり、一般客は誰一人としていない。事前にアポイントがなかったからこそ、友梨は突然の来訪を不安がる。


(うーん……なにか言ってよぉ……)

 友梨は困り顔になりながらも、向かい側にちょこんと座った。沈黙が顔中を刺すように痛い。自分から会話を回すのが得意ではないため、当然のことだが。

 するとようやく……莉花が口を開いた。




「『旧友たちブックエンド』は今、どんな状況かしら?」



 友梨の掌枯れは「旧友たちブックエンド」。

 対象者の魂や掌枯れを写真に封じ込める能力だ。掌枯れを消された人間は、その記憶まで抹消されるというおまけ付き。




「はい、こちらです……」


 友梨が三枚の写真を、莉花に見えるようテーブルに置いた。「旧友たちブックエンド」によって生成された写真には、それぞれ女性が写っている……ように見える。



「いつ見ても個性的なマーブリングね……。私たちもヒトのガワを着た怪物なのかしら」


「あながち間違いじゃありませんよ……。撮られた屠顔人に残るのは、です……。写真には魂を抜くって迷信もありますし……」


 被写体である屠顔人には輪郭があるにもかかわらず、中身がなかった。個人を識別する重要な要素が。身体の凹凸がなかったり、のっぺらぼうだったりという簡単な話ではない。体中がびっしりと、白黒の幾何学模様で埋められているのだ。


「普段の私に、コレが入っているのなら……いつになればハレてくれるのかしら……」

 同じヒト属でも内面が違う……もはや異形といった印象に近くて。




「これが滑石さんの『デローレス』、心と倒した根暗女の『白鳥ライク・ア・スワン』。これは……何かしら? 見たことがないわ」

 

 莉花が指さしながら、出された写真を確認する。



 能力によって生み出された写真は、凡人にとって理解不能な代物だ。しかし屠顔人は例外であり、触れるだけで封印物を理解できる。本人がつけた中二病チックな名前まで、何故か分かってしまうのだが……。



「これはおととい、先生が持ってきました……。『ローレライ』って言うらしいんですけど……」


「先生が……?」

 莉花は彼の仕事振りに舌を巻く。一葵とは、昨日の部活で会ったばかりだった。その時は仕留めたそぶりを全く見せていなかった――にもかかわらず。



「友梨さん……お仕事ばっかで大変ね」

 莉花の言葉に、友梨はポッと頬を赤らめた。


「いえいえ……。私にできるのはこれくらいです……。こうしてお役に立てるのは……隣に立てるようで嬉しいのです……」



 顧問を含めた探偵部では、各々が屠顔人の調査を行う。その都度、友梨の手を借りているのだ。ここ数年、屠顔人絡みの事件が表沙汰になっていないのも、友梨の力の賜物である。




「はい、これ。現像賃。ポラロイドカメラでも、早く買っときなさいよ?」


 莉花がお金を手渡す。感謝の意味も込めて、写真屋で払った分よりも多めに。友梨は笑ってごまかしながら、パッチワーク付きのがま口財布に入れたのだ。



   ♢♢♢



 ――その後は、たわいもない会話が続いた。

 探偵部の活動や心とのおしゃべり、可愛かった動物などなど……。会話の節々で、莉花は自身の交友関係について確認を取っていた。



「私って……嫌われてないわよね?」


「そんなに友達少ないかしら……? 友梨さんや心もいるから気にしてないけど」


「みんな私のこと……どう思ってるの?」



(分かりますよ……。やっぱり……気にしちゃいますよね……)


 意外なことに、莉花は人から向けられた言葉を根に持っていた。猫にまで嫌われるのか……という何気ない心の煽り。あの街部莉花に仲間がいたのか……という雀の驚きなど。自身の性格がキツイものだと薄々自覚していたため、さりげない一言にダメージを負ってしまうのだ。


「なんかイヤ! もっと私をいたわってほしいわ!」

 ……何か人当たりを良くしようとする訳でもないが。



「あはは……。みなさん、莉花さんが好きだから、ちょっかいかけちゃうんですよ……」


 友梨はごまかすような笑みを浮かべがら相談に乗っていた。すると急に何かを思い立ち、カウンターへ向かったのだ。


(……今なら向き合ってくれますかね)

 サプライズでも用意しているように、彼女は気持ちの高まりを抑えられない。




「これなんですけド……見てほしかったんです……!」


 友梨は語り掛けながら、アンティーク調の木製フォトアルバムを持ち出した。莉花は大きく目を見開いたが、それ以上のリアクションを取っていない。



「ぴったり二十枚目です……! 莉花さんと出会って、もう二年ですか……」


 友梨はアルバムをテーブルに置き、三枚の「旧友たちブックエンド」を入れた。シートに空気が入らないよう慎重に。多少の気泡が入ったとしても、細長い指先でぷくぅっと押し出して。

 友情が続くこと……ささやかではあるが、今日はおめでたい日なのだ。



(こんなことを言ったら……どう返してくれるんだろう)


 しかし友梨は感じていた。莉花が自分たちと関わり、友人関係の相談をしておきながら。決して目を向けてくれないことを。その視線をどこか——に向けているということを。




「今も昔も……目的はあの人ですか?」




 莉花の手が急に手が止まる。が、すぐにカップを口元へ動かした。一連の動作の間、友梨の方を決して向かなかったのである。


「今も昔も世のため人のため……それが私の行動原理よ。その先に――私の望みが叶うだけ」

 莉花は答えをはぐらかすようにコーヒーを飲み干し、席を立った。ここにいる意味はもうない、と。



「そんなぁ……。無駄にカッコつけて……心さんはあなたの相棒なんですよ! 自分のことくらい、正直に言ったらどうですか……」



 友梨は呼び止めようとした。自分の出せる、限界まで大きな声を出して。しかし次第に勢いがしぼみ、莉花を見つめ続けていた目を伏せてしまう。

(私のことも……見ないフリなの……?)


 莉花は歩みを止めないまま、出口へ向かった。勝手に察してくれと、問いかけには答えない。彼女は堂々と歩んでいるつもりなのだが、友梨にとっては現実から逃げているも同然だ。




「……コーヒー代。が奢ってくれるそうね」


 友梨は振り返り、隅にある一人用の席に視線を移す。そこには三枚の百円硬貨が。莉花は出口前で立ち止まり、「ありがとう」と軽く会釈した。



(そんなことをしたって……何の慰めにもなりません……)


 悔しいが、やるせない。何も救ってあげられない。握りしめた拳はどこへ向かえばいいのか。莉花の中に占める大きさと重さが、そのまま胸にのしかかる。




 扉の方角から……やわらかくも冷たい風が吹き込んだ。四月も半ば、一か月も過ぎたにもかかわらず。



(あなたも同じように……去っていくんですか……?)

 友梨がかける言葉を見つけられずにいる中……無情にもドアベルが鳴り響く。彼女の気持ちを代弁するように、三枚の硬貨からが流れ落ちたのだった。

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