第7話:スズメ女がよ!!
「ネコはいいよねぇ……のんきで……」
二匹の猫を見上げる少女――名前は、
濃くはっきりとした目のクマと、寝乱れ髪が特徴的な高校二年生である。本日のコーディネートはフード付きの黒パーカーに、グレーのスウェットパンツ。これらが暗い表情をさらに際立たせていたのだ。
「うぅ……何でウチがこんな目にぃ……。とっとと逃げたい……」
雀は顔を押さえてうずくまった。久方ぶりの外出、かつ長時間太陽を浴びていたため、軽い立ち眩みを起こしたのだ。だが彼女は、別に原因があると確信している。
「絶対私を殺そうとしてる……! だってあの街部莉花だもん……! ストレンジャー狩りしてるって噂だしぃ……」
百八十度、上半身を試しにねじってみる。……問題なく、できた。そこから一歩、一歩ずつ逃げようとする。……何かがおかしい。足が一向に地面から離れないのだ。精神よりも生存本能が優先されているのか。
「や、
雀はため息をつくと、周囲を見回した。路地裏、曲がり角、電柱の裏……死角になる場所を重点的に。不審な点がないことを確認すると、今度は塀の上だ。スマートフォンを上に掲げて写真を撮る。
「うーん、見えなぃ……。イヤぁなオーラは感じるんだけどなぁ……。ウチの身体を余すことなくぞわぞわさせてぇ……。パーソナルを優ぁしく撫でられてるみたぁい……」
「おえっ……」
雀は自分の発言にえずき、力強く壁を殴る。
(えっ……?)
直後、塀の上にいた莉花が立ち上がった。近くにいた茶トラ猫も同じく。「ニャッ!」と飛び上がる。彼女は一目散に逃げる猫へ手を振り、塀の下へ視線を移すと――
「うゎぁぁぁ!!! 猫ちゃんが飛んでるぅぅぅぅ!!!!!」
雀は腰を抜かすほど、驚きの声を上げていた。
「これが噂のぉUMA!? ちょびっとキショク悪いぃ! ゲームのバグみたいな不可思議なきょどぉ……。スィーじゃないんよ、スィーじゃぁ……」
それもそのはず、莉花は「
しかもそのネコは胴を伸ばし、逆立ちをした奇天烈な姿で。素人が作った合成写真のような光景が、雀の目に映っているのである。
「動かんでぇ……動かんでぇ……。グルグルするとウチの頭も回っちゃうよぉ……」
(これは申し訳ないことしちゃったわ……このまま放っておくわけにはねぇ)
莉花は極めて冷静だった。ポルターガイストの元凶であるにもかかわらず。他人のリアクションがオーバーだと逆に落ち着いてしまう。そんな彼女は一体どんな対応するのかというと。
(うん。やっぱり、にげよ)
あっさりと諦めてしまった。この場を丸く収めようとせず、面倒事から逃げ出そうとする。
(退散、たいさ――なにぃ……!?)
突如、逃さないとばかりにとび縄が飛んできたのだ。誰にも見られていないはずだが、彼女の顔面に向かって。不意を突かれた莉花は、ネコの頭もとい右手でそのグリップをつかんでしまう。
「猫ちゃんがなわとびに嚙みついてるぅ……ますます怪しい物理演算……」
雀は空に浮かぶネコを凝視していた。右手にピンクのとび縄、左手にライターを持ちながら。
「ならぁ……これで分かるよねぇ……?」
慣れた手つきでライターを付けると、グリップの付け根を炙り始めた。サディスティックに、歯をむき出しにしながら。アブナイ行動を取る自分に、興奮を抑えられない様子である。
「ふぅふ~ん、ふふ~ん、ふふ~ん、ふふ~ん、ふふ~ん……ライカァ・スワン~……」
とび縄に、小さな火がつく。縄と言ってもビニール製であるため、この時点で不燃物としておかしい。さらにその炎が、導火線のように燃え進みだしたのだ。火花を散らしながら、反対側に向かって。
(なにが起こっ――)
莉花が逃げ遅れるのに、十分なスピードで。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッついぃ!!!!!!!」
グリップの発光とともに、莉花の右手が真っ赤に燃え上がる。しかもその熱が霧を晴らしたことで、彼女の姿があらわになったのだ。
「掌枯れが解除されちゃったねぇ……これは時間の問題かぁ……」
言葉にならない叫び声を上げながら、反射的に手を離そうとする。だが、それよりも先に袖へ燃え移ったことで、上半身へ引火してしまったのだ。表情が全く読み取れないが、大きく開けた楕円形の口が辛うじて分かるほどの火力で。瞬く間に――全身へ燃え広がった。
「こうなったら……!!!」
莉花は大急ぎで塀から飛び降りる。服を地面にこすり付けるため、決死の覚悟で。確かにこれは、「ストップ、ドロップ&ロール」と言って正しい判断である。しかし落下により風が発生するのは……想定外だった。
「こんな…………」
血肉の焼ける音によって悲鳴がかき消される。
「ぁしょうが……」
莉花は火だるまになった。もはや顔の判別もつかないほど。とどめを刺すように、火の勢いは増すばかり。なんとか助かろうとする彼女だったが…………
「……ぁ」
ついには倒れてしまう。
「街部莉花のレチョン……ごしょうみあれぇ……」
雀は得意げな顔をしつつ、オイルの切れたライターを投げ捨てると、消火器を自宅から持ち出した。そしておもむろに、轟々と燃える莉花へ使ったのだ。消化するのが、さも当然のことのように。
「……利敵行為じゃない。ウチの
♢♢♢
莉花を軽く黒焦げにすると、雀はその処分について考えあぐねていた。この手で人の命を奪いかけたことに、全く動揺することはなく。むしろ自分の身を案じてばかりいたのだ。
(殺しがバレるのはなぁ……いっそ埋めるぅ?)
最悪捨てればいいか、という思想は変わらない。後始末の方が大変という思考に至るのは、屠顔人の処罰でよくあることだ。
(とりあえず身ぐるみ剥がして証拠を…………ハッ!)
雀の野生の勘が、自分へ向けられた殺意に気づかせた。十数メートル先から、背後から刺されるような視線を。彼女は思い切って振り返る。ここで見つかるのは非常にマズイ、と冷や汗をかきながら。
「なんで……先輩が倒れているんですか?」
そこには首を限界まで傾けた少女の姿があった。小さな体が黒ずんで見えるほど、怒りや悲しみをも全て捨て去って。ただこの状況について問うている心の姿が。
「ボッチの街部莉花に、仲間……? でもどうしてここが……」
雀は驚きを隠せない。ここは日当たりが悪く、子どもたちの溜まり場にすらならない所だ。何か目的がない限り、ここに来る必要はないはず……と。
「そんなこと、あんたが知る必要はねぇな」
♢♢♢
――実のところ莉花は、心への連絡を怠っていなかった。猫をひとしきり撫でた後ではあるが。
「どうよ! 完璧になついているわ! 早く来ないと、独り占めしちゃうわよ!」
心が部室でスマートフォンをいじっていると、メッセージとともに写真が送られてきた。
(掌枯れでも使ったな……?)
彼女はスマートフォンを肌身離さず持っている。連絡手段を確保するために。学校にいても、それは変わらない。他人の非を追及しても、自分は正当化する……そういう生き方をしているのだ。
♢♢♢
「面倒なのがもう一人……じゃあ君にも死んでもらうね」
雀が恐ろしくも物憂げな表情でゴム手袋を装着すると、ピアノ線を取り出した。両方とも、こんもりと膨らんだパーカーのポケットから。
「ふざけんな! てめぇを先にぶっ殺してやる!」
心は眉間に皺を寄せたまま、大股で走りながら距離を詰めていく――。
「むやみに動いちゃあ……ダメだね」
雀はピアノ線を十分に引き伸ばし、投げ縄の要領で上へ投げつけた。
「そぉ……れっ!」
敵の不審な動きに、心は思わず立ち止まる。
(ムチか……縛法……。なんにしろ暗くて見え——)
「きゃっ!!」
突如、頭上から破裂音が聞こえてきた。雷が落ちたような、耳をつんざく不快な音が。
(なにか……なにかやばい!)
心は怖気付いた。垂れ下がった電線に――ピアノ線が巻き付いていることに。コンセントに挿さった、プラグの金属部分に触った経験があるからこそ、わかる。ちゃちな感電の比じゃない。これ以上進むのは危険だ、と。本能が叫んでいるのだ。
「ふん、ふん、ふん、ふふふ〜ん……うぅ~うぅ~」
雀はリラックスした表情でピアノ線を握ると、八の字を描きながら振り回した。一回、二回、三回……数を重ねるにつれて、さらに加速していく。まさに他者を寄せ付けない結界のように。
「ケッ、見た目まんま……カゲさん特有のネチネチ攻撃だなぁ!」
心のイヤミを聞いた雀は、余裕の笑みを浮かべた。自分が圧倒的に有利だと認識したために。心の眉をひそめた表情とは、対照的である。
(恐怖なんてもんは……もう捨ててんだよ!!!)
心は虚勢を張りながらも、歯を食いしばっていた。恐怖の入り込む隙を無くすために。一息で距離を詰めようとする……。
「とりゃあ! ほい! うりゃあ! そこじゃあぁぁ!!!」
随分と間抜けな掛け声だが、
「はぁ……もうちょぉお!」
すぐに体力を消耗するため、動作は決して早くない。が、掠っただけでも黒焦げになるという、凶悪性が秘められている。例えるならば、超ドS級の殺人大縄跳びなのだ。
(道幅が狭い……地面に近いと当てづれぇだろ!)
幸いなことに心の運動神経と動体視力は抜群だった。ジャンプ、しゃがみ、サイドステップ、ダッシュ……。特に地面スレスレまで腰を曲げる――バジリスクのような走り方が回避につながった。
(水平よりも! 振り下ろしに近ぇから! 当てるにはピンポイントで狙わなきゃいけねぇよなぁ!!)
しかも死への恐怖で体を鈍らせず、紙一重だが避けられている。
「この距離……いける!」
相手との距離、残り五メートル。心はスカートのポケットをまさぐると、液体入りの小瓶とアルミ缶を取り出した。
「おりゃぁ!」
心は瓶と缶をぶつけ合い、『アーク・オブ・ラヴ』を発動させる。融合の完了、と同時に雀へ投げつけたのだ。豪速球を投げるメジャーリーガーのように。
「これ……」
「は……」
「えきたぁ……?」
雀の眼前へ、瓶の形をしたアルミ缶が迫る。一瞬だけ頭に疑問符を浮かべたが――
「はっ!」
すぐさま目を大きく見開いた。
「肉切ら……
雀はピアノ線を手繰り寄せ、自身の前に放り投げる。それとともに、両腕を前で交差させて……。
「くるぅ!」
怪しい瓶がピアノ線に当たる。直後、中身の液体が化学反応を起こし、泡を吹き始め――爆発!
「ぎぃっ!!!」
大気が割れるような破裂音とともに、アルミ片が周囲に飛び散ったのだ。
「痛ったぁ……。やっぱり
煙とともに現れた雀の両腕には、複数の破片が深く突き刺さっていた。皮膚がえぐり込まれ、相当な痛みを感じているはず。
「ふっ、ふっ、ふぅ〜」
なのだが、両腕の隙間から見える目は笑っているのだ。強がりだとしても、気味の悪い笑みで。うまく隠しているつもりだが、心にはバレバレだった。
「……うまく防ぎましたね~。でも次こそは! その辛気くせぇツラに当ててやるよ!」
心は幾分か余裕を取り戻し、再びポケットハンドをするが……。
「いやぁ、そんな必要はない……」
雀は攻撃を止めるよう、手でストップさせたのだ。
「なぜなら君は……もうオワリなのだから……!」
雀はピアノ線の両端を結び、フラフープのように中に入った。一見、半径二メートルほどの輪に、雀が取り囲まれただけの状態。しかし彼女が入った瞬間、極薄の膜で覆われたのだ。この半透明さ……コンタクトレンズを彷彿とさせる。
「……これからの攻撃は――全てが無意味……!」
(なにっ!)
心は驚愕しつつも攻撃動作を止められず、二個目の液体爆弾を投げつけた。しかし予想通りと言うべきか。膜にはじかれたことで、破片はおろか爆風までも完璧に防いでいる。
(ぃいってぇ~~~!!!)
至近距離で投げたことで、アルミの破片が心の左手を刺さる始末だ。
「おい……待てよ!」
心はもはや焦りを隠さなくなった。雀にタックルを繰り出したが……無駄な足掻きに変わりない。地面と溶接されたかのように、膜が全く動かないのである。
(くそっ……くそっ……くそっ……くそぉお!)
続けて息が切れるほど殴ってみたものの……自身の拳に血が滴るのみだった。
「ハァ……こんな隠し玉を持ってたなんて。ハァ……これからは『遅咲き』って呼んでやるよ! ……それでも動けねぇんだろ? 死刑に怯える囚人のように、ここで懺悔してろ!」
睨みつける雀の憎たらしい顔面を目掛けて、心は拳に付いた血を振り飛ばす。威勢で負けないよう、般若の形相で。その血はパントマイムのように、見えない壁に止められてしまったが。
「数分も要らない……。一分、いや数秒あれば
雀は自身のフードに忍ばせていたスマートフォンを取り出し、その画面を心に見せつけた。
「……てめぇ、どうしてこれを!!」
そこにはなんと、心が掌枯れによって爆弾を生み出す様子が。戦闘の一部始終が動画になっていたのだ。
「SNSの拡散力ってぇ……偉大だよねぇ……。あなたは警察からもぉ……他のストレンジャーからもぉ……追われ――バットエンド。もう無駄な足掻きはやめなぁ~」
雀は力強く勝利宣言をした。威圧感をむき出しにしながら。その態度の急変に、心の体が半歩だけ後ろに退いてしまう。
「……やってみなよ。……そしたらあんたを真っ先に殺す!」
心は目を泳がせながら、雀を恫喝する。辛うじて緊張を隠しているつもりだったが、動揺が丸わかりだった。
「これを拡散されたくなければ、私の言うことを聞け。……これは命令」
(くそぉ……どうすりゃいいか分かんねぇよ……。何ができんだよ……)
冷静な物言いに心は黙り込んだ。莉花の敵討ちと自身の保身の間で、気持ちが揺れている。そして何より、上から目線の相手を、それに従い行動を強制させられている自分を、迚もじゃないが許せないのだ。
(私の人生は……どんな手段を使っても生き延びること……。でもこれじゃあ……)
生存を第一優先しているくせに目的を見誤ったことで、心は完全に無力化してしまった。
「君も難儀だなぁ……。エベレストよりも高くてぇ貴いプライドのせいで……自分の生を全うできなぁい……。じゃあ取引は決裂かな?」
心は無言で俯いていた。頭を上げる気力もなくて。
「ちなみに私は……君に正面から負けたわけでもない」
雀はバリアの限界のギリギリまで心に近づく。憐れむ目で見下しながら。彼女はSNSを起動させ、自身のアカウントを突きつけた。動画を貼り付けて、宛先は「全世界」。心の目の前で、送信ボタンを押そうとする――
「惜しかったわね。心……」
どこからともなく、莉花の声が聞こえてきた。それとともにバリアの中に現れたのだ。全身やけどで重傷になったはずの彼女が。何事もなかったように、ピンピンした状態で。雀が反応するより先に……、背後からスマートフォンを取り上げる。
「なんでぇ……?」
雀はひどく混乱し、理解が追い付いていない。
「あら、私はずぅっとあなたの後ろにいたのよ?」
雀が一歩下がるのと同時に、莉花が歩を進める。間合いを変えさせないため、追い詰めるように。
「あぁっ……ぁ」
雀は震えが止まらない。ほほ笑みかける莉花に。その顔の裏に……。鬼が潜んでいることに気づいてしまったからだ。
「あなたの炎に一度は敗北……。でも私の霧が層になって、体を燃やし尽くすには……至らなかったわ。消火が間に合ったおかげでね。その後、『
言い終わるか終わらないかのタイミング――、莉花は雀の腹に拳を放った。
「ぐはぁっ……!」
雀は痛みを我慢できず、地面に倒れ込む。
「ひぃっ……ひぃ!」
間髪入れずに、莉花は馬乗りになって何度も平手打ちを繰り出した。
「もっと、もぉっとなきなさい……」
彼女は笑顔を保っているが、やることがむごたらしい。頬が赤く腫れ上がろうとも、手を止めずに。肉体的ダメージに、雀はもう耐えられない様子である。
「たふっ……たふけてぇ!」
雀は助けを呼ぶために、バリアを解除して叫んだ。すると目の前には……。
「ご・き・げ・ん・よ・う・❤」
とびきりの笑顔を向ける心がいた。雀は引きつりながら笑顔でごまかそうとする。「えへぇ」と。目は笑っていないが、媚びるようにして。
「おらぁっ!!」
だが心による渾身の拳で顎を打ち抜かれ……完全にノックアウトしたのだ。
「正面からもね。……わたしのカチ!!」
♢♢♢
――雀を気絶させた探偵たち。莉花と心は並びながら、壁にもたれ掛かる。民家の隙間から差し込む夕日によって、二人だけの空間が出来上がった。
「……えぇっと、どうも……ありがとうございます……」
心は莉花に感謝を述べた。恥ずかしそうに人差し指を突き合わせながら。その顔に莉花は目を丸くしつつも、見ないフリを続ける。
「いえ……今回も心のおかげで助かったわ。こちらこそ……ありがとう!」
莉花は両手を後ろに回すと、二コッと笑顔で答えた。初めて見る自然な笑顔に、心の顔も明るくなる。足りない部分を補い合い、助け合い……。真に心を通わせた瞬間だった。
♢♢♢
――その後、雀は「フレンズ」へ連行された。探偵たちの力を借りて、掌枯れを削除してもらうために。いや……削除を強制されたと言うべきか。
「猫と平穏に暮らしたいならねぇ、掌枯れは消した方がいいんじゃない?」
「てめぇ! このことをバラされたくなきゃあ……今すぐやれよ!」
雀は捕獲された宇宙人のように、友梨の目の前で拘束されていた。そこにかつての威勢はなく。横からの怒鳴り声に、心底怯えきっていたのだ。
「ひぃぃぃぃ…………」
この一件に懲りた彼女は、二度と探偵部に近づかないと決心したのである。
「は、はーい。じゃあ撮りますよ〜……」
【戸人 参女:ネコちゃん→森槌雀……除籍】
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