第6話:猫にまで嫌われんの?
悲佐田の依頼を終えた翌日、探偵たちは部室へと向かっていた。
「あの後、友梨ちゃんのとこへ行ったんですか?」
心は事件の顛末について莉花に尋ねる。そもそも彼女は戦っていなければ、ターゲットと会話すらしていない。悲佐田を介抱している間、莉花が瑠離を「フレンズ」へ連れていったのだ。
「えぇ……。滑石さん、掌枯れから解放されたことに涙を流して喜んでいたわ」
莉花は思い出したように笑みをこぼした。前を見据えたまま、手を口に当てている。
「掌枯れが枷に……そんな人もいるんですねぇ」
心が不思議そうに首をかしげた。全くもって信じられないと。少なくとも私は有意義な人生を過ごしている……と、改めて自身について見つめ直していたのだ。
「まぁ、何の起伏もない人生は送れるでしょうね……。そういや、今日は依頼ナシよ」
「やったぁ〜。じゃあテキトーにだべってオワリですね」
仕事に追われない開放感を味わいながら、二人は部室前に到着する。すると、扉のそばに茶色い渦巻きを見つけたのだ。まるで大きなタワシのような。何かのクッションかと思い、彼女らがゆっくりと近づくと……。
「ね、ネコちゃん!?」
その声に目を覚ました茶トラ猫は、目をぱっちりと開けて座り込む。
【戸猫:ネコちゃん?】
「ほら~。こっちおいで~」
心は猫に手招きをし、部室の中へ入るよう促した。目の高さを合わせて、優しい手付きで。言葉は通じないが、無害さを精いっぱいアピールする。
その意図を読み取ってか、猫は「ニャア」と一鳴き。そろそろと歩み寄ってきたのだ。
「もしかして、この子が次の依頼者かもね?」
莉花は窓を開けると、冗談めいた表情で心に話しかける。
「またまたぁ~。ただ迷い込んだだけでしょ」
心が笑顔で迎え入れると、猫の頭を撫で始めた。よく手入れされた茶色い毛並みとつぶらな瞳からは、カッコよさとかわいらしさの両面を感じさせる。
「だって……首輪をつけているのよ? 迷い猫かもしれないわ」
莉花が心の方をちらりと見る。正確には両手に包まれている猫の方だが。なんとも物欲しそうな顔をしていたのだ。
「いや~さすがにですねぇ」
心のナデナデに、猫の目がとろんとした。撫でれば撫でるほど気持ちよさそうな顔をするため、心の口角も自然と上がってくる。
(なんて愛くるすぃんだ……この子のためならなんだってできちゃう……!)
「学校だし、しかも私たちの部室前よ? 何かあったのかもしれない」
莉花は落ち着かないように、手のひらを擦り合わせている。明らかに構いたくてたまらない様子で。
(うるせぇ~。ちょいと黙れ~)
そんな先輩を軽くいなし、心はさらにあごの下をなでる。その手を頭から首、背中へと動かすと……猫は「ゴロゴロ」と鳴いて見せた。もっと撫でて欲しい、と言葉はなくとも伝わってくるのだ。
「か、体に外傷はないけど、何か事件の可能性も——」
「はぁ……あのですね。そんな頭でっかちな言い訳してないで、素直になったらどうですか?」
心は冷ややかな目で、プライドと欲望のせめぎ合いにあっている莉花を見つめる。マジでうるせぇと。なんとも情けない態度をとる先輩に、心底うんざりしていたのだ。
「そ、そう? じゃあお言葉に甘えて……」
莉花は目にもとまらぬ速さで、猫に急接近する。「その言葉を待ってました!」と。口では謙遜しているが、内に秘めた感情が爆発したことが見え見えなのだ。
「ね、ねこぉ……~?」
彼女は猫のそばでしゃがみ、ゆっくりと手を伸ばした。決して怖がらせないように。震える唇を不自然なほど吊り上げている。目標との距離……十センチ、九、八――
「ニャッ」
突然のことに、猫はびっくりして跳び上がってしまう。そのまま部室の窓から逃げ出したのだ。捕食者に追い詰められたように、怯えた表情で。
「……ぉ…………」
莉花は開いた口がふさがらなかった。行き場所を失った手さえも下げられない。常に思考を巡らせている頭脳が停止し、メドゥーサに石化されたように動けないのだ。
カーテンが大きく膨らみ、波打つように大きくしぼみ、気の抜ける音が聞こえる。
「プッ、アハハハハハ! ネコにまで嫌われてやんの!」
心はそのテンプレートのような嫌われように、思わず吹いてしまった。
(莉花さんのキツぅ~イ性格って、猫も寄せ付けないのかなぁ!? それとも「ワルイニンゲン」でも感知しているのかなぁ!?)
先輩の痴態を笑ってはいけないとは考えず、盛大に煽り散らかす。
「…………後で殺す」
莉花は下を向いたまま、小さく呟いた――。
「ま、まぁこれくらい想定内よ? よ! とりあえずあの子を捕まえましょう!」
莉花は早口で捲し立てるや否や、廊下へと駆け出す。少し鼻声で。恥と悲しみが入り交じり、茹ったように赤くなった耳が垣間見えたのだ。
(こりゃ、泣いてるな……)
心はヘイヘイと返事をして、その後を追おうとする。
♢♢♢
「……いたっ!」
早歩きで追いかける莉花は、学校から出ようとする猫を見かけた。
(このままだと学校から出ちゃう……! この日のための……脚じゃないの!?)
「待ちなさい!」
彼女は正面玄関へ向かい、ローファーに足をねじ込むと、力の限り走り出したのだ。短距離走のように、腕を横に振りながら。もはやスタミナのコントロールは念頭に置いていなかった。
「――ま……まちな……」
しかし悲しいことに一向に追いつかない。ネコと人間の身体能力の差ゆえか、手を伸ばせば伸ばすほど離れてしまった。
「――ぁい……」
しかも屈辱的なのは、それだけではなく。悠々と走る心にも、あっさりと追いつかれたのだ。
「私たち! 勢いでネコを追いかけてますけど! これからどうするんです!」
心は見るからに疲れ果てている莉花に問いかけた。
「き、決まってんでしょ……! ハァ……んの、あんちきしょー……ぜったいなでてやるんだから!」
莉花はこぶしを力強く握りしめる。その目は充血して赤く染まっていた。向かい風が吹いているせいなのか、興奮で血走っているためなのか……。
(にゃんこぉ……にゃんこぉ……)
「あぁ~こりゃダメ。完全にムキになってますわ」
心が首を左右に振る。ヤレヤレと、めんどくさそうに。
(にゃんこぉ……にゃんこぉ……にゃんこぉ……にゃんこぉ……にゃんこぉ――)
「なに! なんか言った?」
莉花には心の態度を気に掛けるほどの余裕がないらしい。
♢♢♢
数分ほど追走劇を繰り広げているうちに、猫が住宅街の裏路地へと入っていった。パイプやら室外機やらが詰まり、人ひとりがやっと通れるであろう小道に。街の風景から隠されるように……闇へ押し込められた汚れが、黒ズミとなって吹き出ているのだ。
「ぉおっと……」
探偵たちは思わず立ち止まる。ゲームやアニメなら余裕で突っ切ろうと思えるが、現実で通るとなると躊躇ってしまう。
「……私が鎮静剤でも持っていきましょうか?」
心がふざけたように真横へ話しかける。
「そんな……無駄なこと……しないで……ちょうだい……」
莉花は膝に手をつき、肩で息をしていた。立っているのがやっとな雰囲気で。
(体をあまり動かさないタイプかぁ……。その後先考えない根性はいいんだけど、もう少し策を練らなきゃあかんでしょ……)
ぶっ倒れやしないか……と。心は少しだけ身を案じた。だがこれ以上追いかけても無駄だ、と感じていたのも事実である――。
「それじゃあ……私はこれで。猫には高い声で話しかけるのがいいらしいですよ。……まぁないとは思いますけど、もし懐かれたら教えてください」
「最後のは……余計よ……。アドバイスは……ありがとう……」
莉花は脇腹を押さえつつも、再び歩み始めた。足がおぼつかないが、回復はできたらしい。一方、心は彼女に手を振ると、踵を返すように学校へ戻ったのである。
♢♢♢
「ふぅ……やっと抜けた……」
莉花は狭い路地を抜けると、丁字路へ出てきた。日当たりの悪い、車一台が通れるほど小さな脇道へ。飛び出す前に安全確認をした彼女は、左方向に猫を視認する。
(さ……て……とりあえず足を止めさせないと)
莉花はポイ捨てされたペットボトルを掴むと、猫をめがけて即座に投げつけた。角度、飛距離ともに良し。宙を舞うペットボトルは、突き当たりの壁にはじかれ、猫の足元へ転がり出す――。
「今だ! 『
指パッチンとともに莉花の身長……百五十センチほどの巨大なペットボトルが無数に出現したのだ。猫のちょうどド真ん前に。道幅が埋まるほど、ボウリングのピンのように敷き詰めて。あまりの大きさに、猫の歩みが止まった。
(水入りペットボトルは……にゃんこ除けに効果があると聞いたことがあってね……。それにダメ押しビッグサイズ――! むやみに飛びかかれないでしょう……!!)
一呼吸を置いた莉花は、猫が逃げ出さないように距離を詰める。抜き足、差し足、忍び足で。限界まで近づくと、小さく発声練習をした。
「ア……アー、ウン……」
マイクテストのよう、念入りに。突拍子もない行動の真意とは……
「に、ニャンコチャーン~……コッチオイデ~……」
莉花は裏返るほど甲高い声を出したのだ。地声をはるかに上回る裏声で。心のアドバイスのおかげか、猫は逃げる様子を見せない。
(これならイケる……!)
彼女はひそかに成功を確信する。両手を広げ、ゆっくりと歩み寄ろうと――
「ええっ!?」
だが駄目。猫は家の塀に飛び乗ってしまった。
(私から逃げないで…………何処へ行くつもりなのよ!!)
実のところ、近づくのを許可したわけではなく、ただ眼中になかっただけである。「ニンゲン風情がチョーシにのるな」と。ダメ押しのように見下ろした時の顔は、莉花の脳裏に焼き付いて二度と離れないだろう。
「……クッ!」
彼女は唇を噛み締めながら、心底悔しがった。なぜそこまで嫌われているのか……理解できないから尚更である。
「こうなったら……死んでも撫でさせてもらうわ!」
莉花は右手を心臓に置いて息を整えると、塀を掴んで勢いよく飛び上がった。小さな突起に足をかけながら。今この時だけは、ネコ科の柔軟性と跳躍力が欲っしてしまう。
(ここはヒトを……すてなさい、街部莉花!)
ヒト科の彼女は身体を壁にこすらせることで、どうにかよじ登る。するとその場で腹ばいになり、プライドを捨てるよう自分に強く言い聞かせた。
(私は猫、私は猫、私は猫、私は猫……)
(なぜか熱い……! 熱……ぽかぽか……)
じんわりと頬が紅潮してしまう。全てを捨ててにゃんこに向き合う覚悟を。今後、人前で言わないであろうセリフをこれから吐く——その現実を実感したからである。
「にゃ、にゃあ……。にゃ~~ん、にゃ~~~ん、にゃ~~~~~ん」
莉花は猫のマネをした。
自分が思う最大限にかわいらしく猫らしい声で。
もはや普段の張り付いたような笑顔が見る影もなくない。恥ずかしさによって、口元がプルプルと震えて止まらないのだ。
「……ニャァ~」
すると猫が寄ってきた。今までの親の仇のような嫌われようが嘘みたいで。もはや奇跡である。こんな方法がうまくいくとは、誰も思わないだろう。だが、結果として起こっている。
「ニャ~~オ」
莉花へゼロ距離まで近づくと、その手に鼻をくっつけたりペロペロ舐めたりしているのだ。
(ふふぅ、うまくいったわ! 認めたくないけど、私にだけ敵対心が強いタイプと見た。ならば……私をにゃんこと思わせればいい)
莉花視点だと何の変化もない。だが傍から見れば、莉花の右手が同種の茶トラ猫になっているのだ。「
(よぉ~~し、よぉ~~し。フフフ……)
莉花は満足そうに、猫の頬を右手でスリスリした。
(ういやつぅ、ういやつめ。思わず声が出ちゃいそ)
莉花のにやついた顔が小刻みに震えている。ようやく触れた達成感と正攻法から外れたことに対する罪悪感、イケないことをしているという興奮が入り混じって、人様に見せてはいけないような笑顔になっていたのだ。
(だれかに見られたら……このカッコいい私のイメージが下がっちゃう。でもスキをチラ見せするのも一興だわ……)
そんな思いとは裏腹に、塀の下から二匹の猫を見上げる人影が……。
(誰かが塀に登ったかと思えば、ウチのネコと知らない猫ちゃんがじゃれてる……。でも……そんなことはどうでもよくて。……その誰か、誰かが一番大事なのよ……!)
(街部莉花……! この世で一番見たくない――あの顔が見えた……!)
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