第15話 冷たくて湿った夜

「気分は?」


「ああ・・・・・よくはないです・・・・が、だいぶマシです。」


ミイナは、魔法で清潔な水を作り、傷口を洗い、氷をタオルで包んだもので、腫れを冷やしてやっている。


「ありがとうございます・・・・冒険者もしているだけあって、慣れているのですね。傷の手当が。」


「薬はもっていないし、苦痛を和らげる魔法ももっていないの。」

ミイナは、顔を歪めている。

「なにがあったのか、教えてくれる?」


「聞くも涙の話しです。」

顔色はよくはないが、エクラは、にやっと笑った。


「やったのは、誰?」

「父です・・・・いえ、そう呼ぶのは許させていません。グラハム伯爵閣下ですね。」


ミイナは、温厚そうな伯爵の顔を思い出した。あの男が、これをやるのか。


「理由はなんなの。なにかなければ、こんな仕打ちをうけることはないでしょう?」


「あなたを口説けそうか、閣下はぼくに尋ねました。ぼくは。」

ミイナの目を覗き込んだ、エクラの瞳は澄んでいた。その底の底のほうに、さらに純粋な光がある。

憎しみもない。悦びもない。


“これはまずい。”

と、ミイナは思った。

その純粋さは、ひとの世では「悪」と判断されるタイプの輝きだ。

あまりにも純度が高すぎて、世の中と相入れることが出来ない。



「グラハム伯爵家では、これは、と思った婦女子の寝室に先回りして待ってるのを、口説くっていうのかな?」

「ぼくは、こんなふうに提案しました・・・・・・ミイナさまが、喪にふくしている間、ぼくがせっせと御屋敷に通っいます。ちょっとしたプレゼント、心を休める花とか、焼き菓子とか、そんなものですね。そして、献身的にお手伝いをさせてもらって、あなたと親しくなります。

その間にですね。」


エクラは、眉間に皺を寄せた。


「あなたと関係をもってしまう。ぼくは、たぶん、あなたに合いますよ。そういうことは何年もやってきて、どんな相手にだって合わせてきたんですから。」


「へえ、そうなの?」

ミイナは、牙をむき出して見せた。

・・・ただの犬歯だった・・・

「あなたを噛むかもしれないわよ、わたし。」


「吸血鬼の客もとりましたよ。」

エクラは、不快そうに、小さな声で言った。

「しばらくは、随分と熱心に途中で払いが滞るようになったので、舘の方で始末してようです。あのメイプルさんを使ったようで、そのための経費もぼくの前借金に加算されました。」


「で、喪があけたら、結婚するってわけ?

我がもの顔で、グラハムの血筋のものが、アルセンドリックに乗り込んでくるわけね。」


「いえ、まずは婚約でしょう。」

エクラは言った。

「前の夫がなくなって、数ヶ月もたたないうちに、再婚は、あまり例がありません。」


「まあ、随分と勝手な言い草だと思うわ。とくに、ルドルフを手にかけた奴らが言うにわね。

・・・で、あなたが血まみれで、ベットにいたのは?

あなたのその図々しい計画が、伯爵さまには、お気に召さなかった、と。

そういうことね?」


「端的に申し上げるとそうです。 」

ミイナの簡易的な手当でも、ずいぶんと、楽になったのか、エクラは、半身を起こして、手を少し回したり、痛む箇所を調べていた。

「少し口答えをしたら、このありさまです。伯爵閣下は。」

エクラは、ここで笑みを浮かべて、ミイナを見つめた。

「今晩中に、ぼくがあなたを手込めにすることを望んでおられます。」


魅力的な顔立ちではある。


さぞかし、売れっ子だったのだろうな。

と、ミイナは思った。

ただし、言ってることがゲスいし、自慢の美貌も大分痛めつけられている。


そもそも。

ミイナの視線に気がついたエクラは、困ったように笑った。


「そうですね。体をひねると痛みが走ります。できることは限られますね。

ルドルフさまとは、いかがてしたか?」


ザバアッ。


ミイナが作り出した冷たい水を頭から浴びせ掛けられて、エクラは飛び上がった。その拍子に、傷にさわったのだろう。

呻いて床にしゃがみこむ。


「すいません。これは、不躾な質問を・・・」


「行為に支障をきたすほど、あなたを痛めつけるなんて、伯爵さまは、バカ?」


「それは、否定しませんが、この場合は意味があります。」

苦痛に耐えながら、エクラを身を起こした。

「血まみれの、ぼくをみて、あなたがどんな反応をするか、といことですね。

これは十分な誘いになりませんか?」


ミイナの冷凍魔法より、冷たい視線をみて、エクラはがっかりしたように、ため息をついた。


「そうですか、なりませんか。」


なんとか立ち上がると、ドアに向かって歩き出すのを、ミイナは呼び止めた。


「朝まで泊まっていきなさい。」


驚いたように、エクラは振り返った。そのとたん、どこかの傷が傷んだらしく、顔をしかめる。


「ぼくの、剣は役立たずですが、かまいませんか?」

「空手で戻ったら、また折檻を受けるのでしょう?」


牢獄暮しは、ついにミイナの知性も健康もそこなうことはなかった。

ただ、道徳観念は確実に死んだ。


「ベッドを乾かしてあげるから、そこで休みなさい。わたしはソファで寝ます。」


「眠るのですね。」

エクラは考え込んだ。

「あなたは吸血鬼では、ない。と、そういうことですか?」


「さあて、ね。」

と、ミイナは言った。

夫亡くしたばかりの一日だというのに、長すぎる。

疲れた。

「人間と同じことしか出来ない吸血鬼かもよ?」


「高位の吸血鬼ほど、人間に化けるのがうまい、と聞きます。」

エクラは、よろよろとベッドに戻り、その縁にこしかけた。彼も限界なのだ。

「吸血鬼でありながら、人とまったく同じに見えたら、それは真祖さまでしょうか。」


その言葉は、ミイナの心に、鈍い痛みを残した。

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