第12話 牢獄の少女
この手のパーティーでは、あまり同じカップルが続けて踊るのは、礼がない、とされている。
ここは、ダンス自慢を披露する場所ではない。
そして、この手のパーティーに参加したことのない下々のものたちが、よく誤解するのだが、恋愛をする場所ですらないのだ。
社交はそれぞれが、ひとつの集団の代表である貴族たちにとっては、ある種の交渉の場に他ならない。
ひとりがひとりを独占するのは、必要な交渉の機会をその他の者から、奪っているとみなされるのだ。
夜風が、心地よかった。
ミイナとエクラは、テラス席に座っていた。
二人きりである。
あれから、三曲、続けて踊った。
曲はゆったりしていたが、振り付けはかなり激しく、複雑で、ミイナの首筋は少し汗ばんでいる。
目の前のグラスには、燐光を放つカクテルが置かれていた。
「率直に申し上げて」
互いのダンスをひとしきり褒め合って、乾杯をしたあと、エクラが切り出した。
彼もシャツのボタンをいくつかはずしている。
襟の下から、白い肌が見えた。首筋から肩甲骨へは、わずかに華奢さを残していて、そういえば、年齢も聞いていないこも若者が、まだ少年の域から、いくらも出ていないのだということを、ミイナに実感させる。
「ぼくたちは、相性がいい。そう感じませんか?」
さあ?
ミイナはそっぽを向いた。
会場は、かなり盛り上がっている。アイシャと‥‥メイプルが踊っていた。
冒険者の服は男女あまりかわりはないから、それはそれで、一組のカップルとして、見えなくもなかった。
アイシャは、まあ、ダンスはあまりやったことはなくても、リズム感はいい。メイプルは、技術の拙さを、体の露出で補って、なかなか見事だ。お客から、やんやの喝采を受けている。
「エクラ、あなたはおいくつ?」
「17になりました。」
ミイナはため息をひとつ。
「わたしが、牢から出された歳ね。」
「ご事情は少しは聞いています。」
と、エクラは言った。
「九つの歳に、行きずりの吸血鬼に噛まれて、それが原因で地下牢に閉じ込められたとか。」
「どう思う?」
エクラは、俯いて、少し考えた。
「‥‥亡き先代侯爵がなにを考えていたのかはわかりかねます。ですが、あまり一般的な措置とは思えませんね。」
「なるほど、エクラくん。」
ミイナは、頑固で、怖い、三十路も近い家庭教師の口調で言った。
「ならば、きみが考える“一般的”な対処法を説明してみたまえよ。」
「はい、先生。」
エクラは乗ってきた。こういう頭の回転の速さと、ノリもミイナは嫌いではない。
でも17かあ‥‥。
「まずは、犠牲者を再訪する吸血鬼を、打ち滅ぼす、という方法が最善です。吸血鬼の行う吸血行為は、ある種の呪いであるため、その根源を滅ぼして仕舞えば、犠牲者は解放されます。」
「この場合は、吸血鬼は旅の途中だった。再訪はなく、滅ぼすことも、交渉によって、犠牲者を解放することもままならない。」
「まずは、犠牲者の隔離、ですね。」
エクラは、カクテルで喉を潤すと、澱みなく続けた。
「吸血鬼が嫌う護符を張り巡らせ、本当に、吸血鬼からの接触がないかを確認します。
犠牲者が吸血鬼の影響を強く受けている場合は、犠牲者が自ら、吸血鬼に接触を試みる場合があるので、この期間は、犠牲者の行動の自由は犠牲にせざるを得ません。
これがだいたい‥‥」
「九年間?」
「まさか! 十日‥‥長くて一月もあれば十分です。それほど長い間、再訪を我慢できる吸血鬼なんていませんから!」
「なるほど! 父はずいぶん愛情深かったってことね。その確認に八年もかけたんだから。」
「正直、ここまでは、ある程度裕福なものなら、民間でも貴族でも一緒です。金銭的にゆとりがあれば、護衛に冒険者をつけるかもしれません。
いずれにしても、吸血鬼の再訪がないと判断された時点で、はじめて、犠牲者のケアが始まります。
吸血鬼に血を吸われることは、従属関係の始まりでもあります。一度は、堕とされ、汚されたその意識を、洗い直して、再び人間のものに戻すには、気が遠くなるような年月が必要とされています。それには、本当に七年、八年といった期間が必要になることもあります。
ですが、先代侯爵閣下の場合は‥‥」
「言ったでしょう? 父は人一倍愛情深いのよ。とっとと、地方の修道院にでもやれば、いいものを手元において、養育したのだから。」
今度は、エクラがため息をついた。
アイスブルーの瞳がまっすぐに、ミイナを見つめた。
「お辛かったですか、ミイナさま。」
「まあ、いままでわがままいっぱいに育ってきた貴族の娘が、半地下の牢に放り込まれて、残飯を投げ与えられていればね。それは辛いけど。」
「何をして過ごされたか、お聞きしてもいいですか?」
そうだ。
日もろくにささない、牢獄で8年間。
食べ物は、残飯だけ。
普通なら、死ぬ。
死ななくても心が死ぬ。
だが、八年後、牢の扉を開けた元婚約者であったセネル子爵家のご令息に、ミイナは、こう言ったのだ。
“ノックくらいしてください、シャルテイン。”
「そうね、ひたすら、魔法の練習をしてたかな。なにしろそんなに広い所じゃなかったから。」
もう一度やれ、と言われても断わるが、ミイナにとっては、その八年は、絶望に覆われたものではなかった。
懸命にマスターしたのは、たとえば飲料水を創造する、体を洗浄する、煮炊きのための小さな炎を作り出す、といった、俗に「生活魔法」というジャンルだった。
これだって、簡単なことではない。
魔法は、教えてもらわなければ出来ないし、教えてくれる者など、誰も居なかった。
(のちになって、いつまでも死なず、かといって牙も生えず、しかもふつうに成長していくミイナに興味を持った大魔導師が魔術書を差し入れしてくれたりしたが。)
ミイナは、なぜか知っていた。
魔法をマスターするためには、こういう方法があって、こういう鍛錬をするといい。
この食べ物は腐っているから、こういう処置をする。
身体の関節が固まらないためには、こういう体操をして、こんなふうに眠る。
「あなたは、いま、非公式ながら『弱虫ミール』事務所で、Aクラスの冒険者として扱われています。」
「そんなに、いいものじゃないわよ。」
と、ミイナは青年に抗議した。
「一緒に行動してる『氷漬けのサラマンドラ』が、Aクラスだから、便宜上そう見られてるだけよ。」
「Aクラスの冒険者と一緒に行動できる、の、意味がわかってませんね。
伯爵家の資料によれば、ルドルフ閣下と結婚してからすぐのクエストで、吸血鬼をうち滅ぼしています。『左前』のガーイシャ。」
「あんなの、小物もいいとこよ?」
「吸血鬼はそうなならない…と聞いています。吸血鬼は誕生してから、歳を経るほどに強大になり、吸血鬼間でそのランクが覆ることは、決してない、と。
だから、あなたの強さの根源は、幽閉中にマスターした魔法にある。」
エクラは、手を挙げて、新しいカクテルを取り寄せた。真っ赤な液体が、ミイナの手に渡ると、なぜか血液を溶かしたように見えた。
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