3)カルタゴ兵の証言
だから言ったのに。
俺たちは眼前に広がるローマの軍勢を見つめながら、体の震えを抑えるのに必死だった。
戦場は初めてじゃない。だが、こんな厳しい状況は初めてだ。
相手は名にしおうローマの軍勢。きらびやかな鎧に包まれて、盾を片手に、長槍をもう片手に、密集隊形ファランクスを組んでいる。
こちらも同じ隊形だが、中身が違う。山越えで疲れ果て、山賊たちに襲われて傷つき、長い間の飢えでこうして立っているのもやっとだ。前列こそ武器を構えているが、後の連中なんか、ただの棒きれを持たされている。重くて持ちにくい長槍のほとんどはアルプス山脈に捨てて来た。
目の前のあれが突っ込んで来たら俺たちはどうなる?
祖国のために君たち若い命を捧げるのだ。カルタゴ・ポリスのお偉いさんの演説にうかと乗ってしまったのが間違いだった。いや、俺はそんな言葉を信じたりはしない。でも幼馴染たちが戦場に行くことになって、その家族に俺がついていって死なないように見守ってやってくれと頼まれてしまったからな。まったく、その昔に傭兵をやっていたからと言って俺にいったい何を期待するのやら。
あれだけいたカルタゴ市民兵たちが、山を越えただけで元の軍勢の三割にまで減るなんて、こんな話は聞いていないぞ。おまけに生き残った連中の顔ときたらどれもやせ細った幽鬼の形相だ。凍傷で壊死した手足が臭う。たとえこの戦いに生き残ったとしても、いったいどれだけがその先の病気を生き残ることができるだろうか。
あの将軍の顔を見たときに俺は戦友に言ったんだ。こいつは尋常ではないほどの馬鹿だぞって。
皆が俺の言葉を笑ったがな。ほれ見ろ。俺が正しかったじゃないか。
本当なら、この場所には象の大群が布陣するはずだった。大きくて立派な強い象だ。そいつを四十頭あまりずらりと並べて、ローマの歩兵を蹴散らすというのがあの間抜け将軍の作戦だった。ところがどうだ。蓋を開けてみれば象は全部アルプスの雪の中で死んで、わずかに三頭が残るばかり。それも俺たち同様にやせ細り、今にも倒れそうだ。
だいたい、象なんか戦場で役に立つものか。俺は知っているんだ。
傭兵として雇われた前の戦場で見てしまったからな。
あいつら、槍の一本でも体に刺さったら、背中の象使いを鼻で叩き落としてさっさと逃げちまう。人間の代わりに死ぬまで戦うなんて嘘だよなあ。あいつら賢過ぎる。少なくともハンニバルの言葉を信じてしまった俺たちよりはずっと賢い。
それに馬が象の匂いを嫌うだって?
だから戦闘に有利だって?
馬鹿じゃねえか。
軍馬は人間を殺すように訓練されるほど賢くて気が荒いんだぜ?
嫌な臭いがしようが何だろうが、気にするような軍馬がいるものか。人間だって同じだろ。相手が臭いからって近づかない兵士なんかいるものか。むしろこんな臭い奴は殺せとなるに決まっている。
ああ、嫌だ、嫌だ。俺たちはこれから死ぬんだなあ。
おっと、何だ。ヌミディア騎兵の奴ら、動き出したぞ。ハンニバルの馬鹿が何か叫んでいるぞ。ははあ、騎兵が勝手に暴走したのか。ヌミディア部族はカルタゴの属国じゃないからな。あいつらこのまま逃げるんじゃないだろうなあ。
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