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  • 私も゙イタコになれるのではと思ったことがあります。
    人の心の言葉がわかった気がしていました。
    単なる幻聴なのですが、病気の時はわからないのです。
    非常に勉強になる作品をありがとうございます

    作者からの返信

    テレパシーやいろんな神秘的経験と病理的症状とを、どのように区別するかは難しい問題ですね。置かれた文化によってちがってくるだろうし。
    ウィリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』は、いろいろ学ぶことができる古典中の古典です。
    作品も書いていられるようで、そのうち読ませていただきます。

  • 私は統合失調症なので、非常に興味深いです。
    病気が再燃するとやたらに詩を書きたくなります。
    日常がゆがんで見え、芸術的な気分になるのです。
    なのでとても共感出来る内容でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    統合失調症と芸術的創作の関係は、最近の精神医学では忌避されているので、むしろ罹患当事者の方が取り組まねばならないテーマではないかと思っています。

  • 関連するワードで寛解という言葉もありますね。

    僕も統合失調症なので、エビリファイLAIを一生、続ける予定です。もし再燃すれば、マイナスからのスタート。無理をするわけにはいかない...

    でも、LAIのおかげで服薬管理を病院に任せられたし、錠剤の代わりに月に一度の注射で済んでいます。だから、今はホッとしています。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    やはり時代が違うのでしょうか。
    母の兄に関する語りで一番疑問だったのは、
    治る治らないの二分法だけで、寛解という語が一切出てこなかったことです。
    きっと医療側は説明したつもりだったのでしょうが、少なくとも大正生まれの母に分かるように説明してくれなかった。
    コメントに出てきた服薬管理の「管理(management)」はキーワードになると思います。病気を治すのでなくマネージメントすることが精神医療の目標になると意味で。

  • 捉え方の齟齬───どんな状況でも起こりうることですよね
    特に日本人は相互理解を確認するなんて失礼と思いがちだし
    時代も今とは精神医学の受け取りようが違ってたわけだし

    作者からの返信

    家族としては藁をもつかみたい気持ちで、医師が気休め的に軽い気持ちで言った「治りますよ」でも、信じたいがゆえに信じてしまう、ということでしょうね。


  • 編集済

    ああ、これは実感ありますね。今は統合失調症の母をまだ元気な父が面倒を見る形になってしまっていますが。(学生の頃までは僕が中心に面倒を見ておりましたが、就職とともに家を出てしまったので…。)
    非専門家が正確な対応ができるはずもなく、父は日々疲弊している。きっと僕は家に戻るべきなのだろうけど、それでは仕事にならない。このままではよくない、でも良い手立てがない…。お医者は「良く眠れていますか?」「いつものお薬出しますね」以外言ってくれない。
    何なら、時に医者は余計なこともする。以前母が「ちっともよくならない」とお医者に鬼電をしたのですが、お医者は「予約もなく連絡するんじゃない、この気違い」と返したとかで。日本の精神医療は進んでないのか何なのか…。
    不安だらけです……。

    作者からの返信

    ひどい医者もあったものですね。
    地域移行にはインフラ整備を先行させねばならないと気づいている人は少ないし、まして家族もまた支援を必要とすることはなかなか理解されないようです。

  • はじめまして。タイトルに惹かれてやってきました。
    僕の母親が、まさにこの病気。僕の物心がついたときにはすでに発症していた、最も馴染みのある病気なのです。(この著作に登場するお兄さまとはだいぶ病態が異なりますが)
    他人事思えぬ作品。続きを楽しみにしております。

    作者からの返信

    お母様がそうだとは。
    中村ユキさんのマンガ作品『わたしの母はビョーキです』はお読みですか。
    きょうだいの場合よりも何層倍もたいへんな経験ですね。そのうち作品化されることを期待しています。