嫌がること






 ――――時は現代に戻る。


 揺れの激しい蒸気機関車の椅子に座って、柊水の話すことの一つ一つを、翼妃は黙って聞いていた。



「黒龍の意思の元は奥宮と水晶宮に存在する。奥宮の方は、物理的に破壊された。君が三年前、玉龍大社を沈めたからだ」



 だから今祟りの力も弱まっている、と伝えると、翼妃はほっとしたような表情をする。こうして蒸気機関車で鬼神の元を離れた数時間の間にも、祟りが起きて一般人が死ぬことを危惧していたのだろう。

 柊水も、隣に翼妃が居ることにほっとしていた。翼妃は廻神家に居た頃よりいくらか顔色が良くなったように思う。少し肉付きも良くなった。宰神家では良くしてもらったのだろう。そして――また美しくなった。幼かった頃の面影などもう残っていない。立派な大人の女性になっている。



「……翼妃ちゃん。接吻をしてもいい?」

「は?……嫌だけど……」



 翼妃が訝しげに眉を潜める。

 怯えた顔で柊水の言うことをただ聞いていた頃とは性格も変わっている。宰神家での性格は、無気力だった翼妃に良い影響を与えたのだろう。


 しかし柊水は無遠慮に翼妃に顔を近付け、その唇に自身のそれを重ねた。すると、翼妃は噛み付くような勢いで怒ってくる。



「顔がいいからって、そんな風に身勝手に女性に触れて許されると思わないで」



 その態度に驚き、くっくっと笑ってしまった。

 本当にこれがあの翼妃なのだろうか。死んだ目をして、神鎮や柊水に怯えていた翼妃が、随分はっきり物を言うようになった。



「何笑ってるの? 言っとくけど私、今は柊水様より強いから」

「そうだね。でも我慢できない」



 再び口付けると、今度は頬を打たれた。

 威勢が良い――もしかすると、こちらが翼妃の本質なのかもしれない。


 翼妃ちゃんのくせに、と言おうとして、先程その言い方を嫌がられたことを思い出す。

 貴月大社へ向かう前、雷神の春雷に何故翼妃にこれほど恨まれたのか分からないという話をした。その時、春雷に散々言われたのだ。好きな子の嫌がることはするな、馬鹿じゃないの、態度が悪いと怒られた。好きな子には優しくしろとも。優しくするというのがどういうことか分からないと返した柊水に春雷は、「とりあえず、その子の嫌がることはしちゃだめ!」と教えてきた。



「口付けもしちゃだめなのか……」



 ぼそりと文句を言って唇を尖らせた柊水を、翼妃は塵を見る目で見てきた。



「そういうのは、愛し合う男女がすることでしょ。私、宰神家で世間の常識を学んだの。もう何を言われても騙されない」

「僕は翼妃ちゃんを愛してるけれど」

「……愛情を知らないから、勘違いしているだけじゃない?」

「三年ぶりに会った君を可愛いと思ったり、また会えて嬉しいと思うのは、愛とは違うの?」



 柊水を見る翼妃の瞳が動揺で揺れる。



「……貴方の傍には、私なんかよりも沢山綺麗な女性がいたでしょ。高等學校でも遊んでいたと聞いたけど」

「誘われたから付いていっただけだよ。僕にも男としての欲くらいあるからね」

「最低……女性を欲のはけ口にしないで。廻神家の人って皆そう」



 翼妃が軽蔑したように柊水から目をそらす。彼女はこれも嫌がるのか、と柊水は学んだ。



「翼妃ちゃんに嫌われるくらいなら、やらないよ」

「いや、別に……勝手にすれば。私には関係ない」



 窓の外を眺めてこちらを見なくなってしまった翼妃の手に触れる。その指に指を絡めようとすれば、ようやくその瞳が再びこちらを向いた。



「手、繋ぐくらいいいでしょ。さっきもしてたし」

「……」

「小さい頃は、ずっと繋いでた」



 翼妃は無言で窓の外へと視線を戻す。


 意外にも、蒸気機関車を下りるまで、その手が振り解かれることはなかった。





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