玉龍大社の復興と、神々との交渉





 ある時、翼妃が居なくなった。


 きっかけはちょっとした苛立ちだった。いつものように口付けしようとすると翼妃が抵抗したのだ。柊水は翼妃に拒否されたことに行き場のない衝撃を覚え、翼妃を暗い倉の中に閉じ込めた。

 二度と自分に抵抗しないよう、少し分からせてやるつもりだった。階段を使って外にある小さな二階の窓から啜り泣く翼妃の様子を見ていた。反省したようであればすぐに迎えに行くつもりでしばらく翼妃を眺めていると、突然倉庫の中にいる翼妃の体が力が抜け、眠るように倒れた。ただ眠くなって寝たと言うよりも、意識を失ったかのような動きだった。それまで窓枠に頬杖を付いて悠長に眺めていた柊水はそれを見て焦りを覚えた。

 階段を下りて鍵を開け、倉の戸を引っ張る。

 ――――そこには、誰も居なかった。血の気が引くとはこういうことかと思った。



 翼妃が居なくなったことを他の神鎮に伝えると、脱走したのではないかと一時屋敷内は大騒ぎになった。しかし倉の外から錠をかけたことや、自ら出られる状況でなかったことを伝えれば、神鎮たちは拍子抜けしたように言った。



「何だ。ただの神隠しじゃないか。驚かせるな」



 忌み子が体ごと拐われることは過去にもあったらしい。よくあることだろうと、翼妃が居ないことに関して誰も焦っていなかった。

 柊水ばかりが勉学に手がつかない程に動揺していた。一日、二日、三日経っても翼妃は戻ってこない。神の世に連れて行かれてそれきりだ。二度と帰ってこない可能性もあるのではないかと考えてしまい、筆を持つ手が震える。


(翼妃ちゃんが、いなくなる?)


 想像したこともなかった。いつも傍にいた憎たらしい五つ下の女の子、当たり前のように毎日会いに行けた可愛い女の子と、こんな形でもう会えないなど。

 人が“この世から居なくなる”というのがどういうことか、柊水は知っている。もう二度と会えなくなるということだ。死んだ母は結局、何日経っても起き上がらなかった。



「柊水様、どちらへ行かれるのですか。今は稽古の途中ですよ」

「気分じゃない。今日は止めだ」

「ええ……そんな。この後の予定も詰まっています。稽古をずらすことはできません」



 文句を言う師匠を無視して屋敷から離れた。心を落ち着かせようと庭を歩いていると、途中に美しい黄色の花があった。

 隔離され何もできず、日々の楽しみは庭の外を眺めることだけだった母が好きだった花である。その花を見た時、不意に生前の母が言っていたことを思い出した。まるで実際に耳に声が届いているかのように鮮明に。



 ――『あなたは捻くれていて、変に大人だから。自分の感情にも鈍感でしょう。いいえ、こんな家に生まれさせて、子供で居させてあげられなかった私達の責任ね』



 懐かしい母の声だ。



 ――『できれば私が、あなたが子供で居られる時間を長くしてあげたかったのだけど……この部屋からも満足に動けない。それに、先も長くない』



 この話をしていた時の母がどんな表情をしていたのかまではもう思い出せない。けれどきっと、いつものように少し寂しげな笑顔だっただろう。



 ――『ああ、そうだ、こうしましょう。いつかあなたに大切にすべき人が現れたら。素直な感情を抱けるような相手が現れて、鈍感なあなたがそれに気付いていなかったら。母様があなたにそれを教えてあげるわ』



 ふっと現実に引き戻された。有り得ない話だ。しかし柊水は呆然としてしまった。

 ――翼妃は母と同じ花の香りがする。母が傍にいるのだ。大事にしろと教えてくれている。

 それなのに柊水には分からない。何が大事にしているということになるのか、何故忌み子を大事にしなければならないのか。


 ただ分かるのは――翼妃が母のように自分の元から離れて居なくなってしまうのは絶対に嫌だ、ということだけだった。




 倒れている忌み子を神社の方で回収したという知らせを聞いたのは、その数時間後。

 柊水は珍しく走っていた。息を荒らげ、翼妃が居るという部屋の方へ全力で走っていた。他人のために走るなどということを初めてした。

 そして嫌でも自覚した――自分は神から忌み子を奪った者の生まれ変わりであると。


 戻ってきた翼妃を抱き締めて覚悟した。翼妃を龍神の元へは連れて行かせない、ずっと自分の傍に置くと。二十歳になっても、三十歳になっても。




 ある日、民の願いについて交渉をしに行った際、ふと白龍が何でもないように聞いてきた。



『翼妃は元気か?』



 柊水にはまだ人を大切にするということがどういうことなのかは分からない。翼妃の言動のちょっとしたことにすぐ苛々して、痛い思いや苦しい思い、恥ずかしい思いをさせてしまう。その様を白龍も見かけているのか、まだ柊水が翼妃に惹かれている事実には気付いていないようだった。



「さあ。興味がありません。忌み子のことなど」

『あれほど構っていて?』

「憎いから痛め付けているだけです。ご心配なく」



 淡々と答えると、くっくっと白龍は低く笑った。



『それにしても、翼妃か。面白い名を付けたな。あの子の母親は、俺を意識して付けたらしいぞ。俺から逃げられるようにと』



 ずっと忌み子と呼んでいたくせに、翼妃という名すら最近知ったばかりのくせに、馴れ馴れしくその名を呼ぶのが許せない。

 白龍は翼妃でなく、千数百年前に死んだ忌み子が好きなのだ。



『翼など手折ってしまえばいいだけだがな』



 翼妃の母を嘲笑した白龍の前で、柊水は拳を握り締めていた。



 ――こんな神など殺してしまえばいい。けれど、白龍を殺せば翼妃が死ぬ。その葛藤が柊水を制止していた。






「柊水様、帝都の高等學校から案内が来ております」



 神との交渉が終わり、着物に着替えてから屋敷へ戻ると、使用人から手紙を渡された。由緒正しき家系の者たちが集まり、神の歴史や神々の性質について深く学ぶ學校だ。廻神家の神鎮の殆どはこの學校を出ている。柊水もこのまま行けばここへ通うことになるだろう。


 しかし、帝都へ行くとなると、必然的に翼妃と離れることになる。

 柊水は深く考えた。翼妃と離れる――しかし、神の性質や神の世について学ぶとしたらあの學校が一番良い。国家機密として隠蔽されている情報や書物の閲覧権限も得られる。異国の人間が喉から手が出る程欲しがっているという神の情報が手に入れられる。


(神を完全に殺すための手掛かりも、あそこならある)


 柊水はその手紙を部屋で開け、同意書に名前を書いた。迷いはなかった。翼妃を忌み子としての運命から救うためならどんな小さな賭けにでも出たい。




 鍛錬についても、何年もかけて好きでもない父と交渉した。鍛錬という儀式は過去の廻神家の人間が黒龍を恐れて作った風習であり、必ずしも必要なわけではない。そんな古臭いことをこの明平の時代にも続けているのはどうなのか、と何度もしつこく儀式を取りやめるよう要求した。父は最初柊水に耳を貸さなかったが、あまりのしつこさに苛立ったのか、「そんなに文句があるのならお前がやれ」と命じた。

 その日から鍛錬の担当は柊水になった。屋敷の人間は当然良い顔はしなかったが、形だけでも翼妃を痛め付けているところを見せ、翼妃を殺さずとも黒龍の怒りが降り注がないことが分かると、徐々に鍛錬を完全に柊水に任せるようになっていった。




 ◆



 数年後、柊水は高等學校へ進学した。


 翼妃が白龍と接触していた痕跡があったので、鹿乃子という貴月大社の元神鎮を翼妃専属の使用人として置いてきた。白龍は今頃、柊水に対して怒り狂っているだろう。しかしそんなことは関係なかった。自分が屋敷へ戻るまでの三年間、翼妃が白龍から変なことをされなければそれで良かった。

 鹿乃子には何か変化があればすぐに手紙を寄越すように言ってある。ついでに翼妃と白龍の縁も神鎮の権利で切れと伝えたので、しばらく白龍が翼妃に近付くことはできないだろう。


 帝都は都会だ。丹波國たんばのくによりも異国からの文化が導入されていて、街の様子も人も一風変わっていた。洋食流入が本格化しており、食べ物も見たことのない物ばかりだった。柊水はたまに、翼妃と過ごした自然豊かな玉龍大社が懐かしくなった。



「柊水、今度喫茶店行こうぜ」

「嫌だよ。また女学生を連れてくるだろ」

「ちぇっ、ばれた。頼むよ~柊水が来るって言ったら食いつきいいんだって」



 授業が終わると、女好きの同級生たちが肩に手を回して言ってくる。柊水たちのいる高等學校の隣には美人揃いの女学校があり、彼らは彼女たちと遊ぶことを勉強の合間の生き甲斐としているようだった。柊水は顔が良い分、餌として使われることが多々ある。



「お前、いつもそうやって冷たいけど、この間の女の子は食ってただろ。隅に置けねえな~」



 同級生の一人がからかうように肘で体を付いてきた。



「別に。誘われれば断らないというだけだよ」



 屋敷の男たちも使用人に対してそうしていた。――それに、この間の女は、見た目が少し翼妃に似ていた。

 同級生たちが「いいよな、美形は」と騒ぐ一方で、柊水の心は冷え切っていた。早くこんなところを出て翼妃に会いに行きたいという気持ちで一杯だった。




 そして、三年後――もうすぐ卒業だというその時期、信じられない知らせが届いた。


 玉龍大社の神鎮たちが権利を暴走させ、玉龍大社を水に沈めたと。



 数ヶ月ぶりに帰った廻神家の屋敷は、玉龍大社と共に変わり果てた姿になっていた。津波に襲われたかのように建物が半壊しており、美しい景色を作っていた木々も全て倒れている。

 屋敷に居た神鎮は皆死んだらしい。残ったのは出張で不在にしていた当主である父と、柊水、そして屋敷に住まわず家から通っていたわずかな人数の使用人のみだ。

 危うく家系が途絶えるところだった。神を祀る偉大なる五家の一つがこのような有様であることに、世間は大騒ぎだった。


 そんな中、柊水は――不謹慎だが、翼妃の死体だけがなかったことに安堵していた。おそらく翼妃のみ何処かへ逃げたのだろう。


 鹿乃子も一応は生きていた。痩せ細り、目をぎょろぎょろさせ、人とは異なる異形となった姿でだが。



「彼女を医者に運んでくれる? まだ息はある」



 残った使用人に命じると、使用人は怯えた様子で鹿乃子から距離を取った。



「しかし……こんな状態では、もう死んだも同然です」

「体さえ残っていれば何か方法があるかもしれない」



 使用人は渋々といった感じで鹿乃子の体を抱えた。

 鹿乃子は昔から翼妃に良くしてくれていた。鹿乃子のおかげで、翼妃は柊水が取り戻せなかった笑顔を取り戻したように思う。それに翼妃から白龍を遠ざけた恩がある分、簡単に処分しろとは言えなかった。

 柊水は死人の匂いを知っている。鹿乃子からはまだ、その香りはしていない。


 柊水はほぼ壊れている屋敷の中を歩き回り、神鎮の暴走による影響力の大きさを感じた。


(これを全て、千年以上前に死んだ黒龍がやったのか? それにしては……)


 違和感を覚え、壊れた奥宮の跡地へ足を運んだ。場は酷い有様で、木々は倒れ、社は真っ二つになっている。大量にかけられていた人々が書いた絵馬もほぼ全て流されたのか、近くに落ちているのは数個のみだ。

 裏手に回ると、倒れている木に挟まれる形で大量の髪の束があった。木を少し退かすと、血の跡が染み付いている石畳が見える。


(……翼妃ちゃん?)


 忌み子が髪と血を捧げれば、黒龍は何でも願いを叶えたという。翼妃がその記述を読んで捧げ物を実践していたとしか思えなかった。髪の量からして、始めたのはここ最近というわけではないだろう。何年もかけて計画的に、何かをしようとしていたのだ。


(信仰を受けることで、黒龍の力が蘇ったのか)


 捧げ物を繰り返し、祈ることは、翼妃がどのようなつもりであっても“信仰”となる。黒龍の意思はそれによって一時的に強力になり、翼妃の願いを叶えたのだろう。死んだ神の意思――残留思念に論理的な思考は存在しない。翼妃を呪おうとしているにも拘らず、翼妃の願いを叶えようともしたわけだ。


 柊水は立ち上がり空を見上げた。木々が生い茂り常に太陽の光が入りづらかった暗い奥宮の敷地に、光が差し込んでいる。



「これからどうするつもりだ」



 不意に、よく知る声に話し掛けられた。振り返るとそこには、卯の花色の着物を着た男が立っていた。異様な雰囲気だ。人の姿をしているところは初めて見たが、白龍だとすぐに分かった。



「どうするも何も、天皇陛下のご判断を仰ぐのみだよ。今朝から父様が急遽謁見しに行ってる」

「帝は復興を望むだろう。少なくともこのままでいいという判断は出ない」



 玉龍大社がなくなってしまえば柊水の背負うものは軽くなるだろう。しかし、社がなくなり信仰を得られなくなることは白龍の力の強さに直結する。白龍の力が弱まれば、黒龍の意思が翼妃を殺す――。

 ち、と柊水は舌打ちをした。元より選択肢はない。これほど事が大きくなってしまったのだから、父は当主から降ろされるだろう。柊水には高等學校の卒業を待たずに当主になる道しか残されていない。天皇が権威の象徴である五家の一つで祀られている神をもういいと言い出すはずもない。判断を仰ぐと言っても結果は分かりきっている。



「聞いてもいい?」

「何だ」

「翼妃ちゃんはどうなったの」



 玉龍大社付近で起こったことを、白龍が把握していないとも思えない。



「お前があの神鎮を翼妃の傍に置くようになってから、俺は翼妃の動向を探れていない。が、今頃おそらく火紋大社に向かっているだろう。最後は駅へ向かっていたからな。翼妃の考えそうなことは分かる」



 生きているとは思っていた。しかし、改めて白龍の口から翼妃の生存を確認でき、体から力が抜けるような感覚がした。



「生きてるなら……、いい」



 どんなに遠い所に居たとしても、ひとまず生きているならそれでいい。

 気が抜けて思わず本音を漏らしてしまった柊水を、白龍が睨み付けた。



「貴様――――やはり翼妃を、」

「状況を考えなよ」



 柊水も白龍を睨み返す。



「今、民と白龍様の間を取り持てる存在は僕しかいない。君がこれからも大いなる信仰を受け続けられるか、それとも人々に忘れ去られた神になるかは僕の腕にかかってる。君も翼妃ちゃんを殺したくはないでしょう」



 利害は一致している。柊水はこれからほとんどの神鎮がいない状態からまた玉龍大社を建て直さなければならない。そしてそれは白龍にとっての利だ。

 おそらく現状、人々からの廻神家への印象は悪い。神からの怒りを受けた家系として扱われているからだ。まずはそこから名誉挽回せねばならない。道のりは長い。けれど柊水はやる気でいた。白龍のためにではない、翼妃のためにだ。


 すると、くっくっと柊水は肩を揺らして低く笑った。



「生意気な餓鬼め。悪い男に育ったな」

「昔から態度は悪かったでしょう」

「自覚はあったのか」



 失われた奥宮に風が吹き込む。



「最後に良いことを教えてやろう」



 白龍が柊水に一歩近付いて言った。



「奥宮に残っていた黒龍の意思は消えた。おそらく奥宮自体が破壊されたからだ」

「――……」

「意思というのは不滅のものではないらしい。おかげで祟りの力も弱まっている。玉龍大社がこの状態でも、しばらくは問題ないだろう」



 風に拐われるように、白龍の姿が消えていく。



「さっさと建て直せ」



 最後にそんな言葉を残して。




 ◆



 それから三年間は怒涛の日々だった。

 柊水は予定通り当主となり、廻神家を支える使用人も新しく動員された。國から支援を受け玉龍大社の修繕も行った。奥宮は神の居ない宮として完全に取り壊され更地となった。逆に本宮は立派に建て替えられ、また違った景色が見られるようになった。

 元当主の父は失脚後若い女性と二人の子をなし、ひとまず廻神の血が途絶える心配はなくなった。


 ――仕事の合間に、空属性の神社と風属性の神社に赴いたこともある。彼らは龍神や廻神家の人間に比較的友好的な神々だ。玉龍大社の復興と同時進行で、黒龍の意思を倒すための手掛かりを見つけたかった。



 陸奥国で祀られている風属性の鷲神、嵐鷲あらしみわしは、柊水の期待を否定した。



「神に本当の意味での死はねぇよ。人々の記憶に残り続け、信仰や恐怖を抱かれている限り、存在が無くなることはねぇ。黒龍みてぇな歴史に名を残してるような神なら特にな。始祖が行った殺害も、ただ意識がなくなったってだけだろ。力があんのに理性がないっつー方が厄介だな。むしろ殺さない方が良かったんじゃねぇ? 奥宮から意思がいなくなったのもたまたまっしょ。現に完全には消えてないわけだし。……あぁ、でも」



 嵐鷲はふと思い付いたように指で顎を撫でた。



「大昔、一柱の神の暴走を他の五属性の神で止めたことがある。もう記録に残ってねぇほど昔だから、おめーら人間は知らねぇだろうがな。元々、神々の属性ってのは六つあったんだ。その一件で減って五つになった。だってそいつ、日本ごと滅ぼそうとしてたんだぜ? 当時は日本って名前じゃなかったが。邪馬台国? だっけな。まぁそれはさすがにだめだろってことで、全員で止めた。その時は何とかなってたな。神が力を合わせれば殺せるのかもな」



 適当な話し方をしてけらけらと笑う嵐鷲を見据えた柊水は言った。



「少しでも可能性があるのなら、試みたい。ご協力くださいますか」

「協力ぅ~? いや、面白そうだから俺は別にいいけどよぉ。地の神、火の神はおめーの言うことを聞かねぇだろ。あいつら昔から龍神とは相性悪ぃから、龍神にまつわる面倒事の解決に貢献するとは思えねぇな。それに、たった一柱でも神を倒すって大変なことなんだぜ。六家でやってぎりぎりだったんだから。五家揃ってもどうなるか……」

「何とかします」



 それだけ言って、時間もあまりないため立ち去ろうとした柊水を、嵐鷲は止めた。



「兄ちゃん、まぁそう焦んなって。おめー頑張りすぎだよ。玉龍大社の復興も大変なんだろ? 目に隈できてるし。眠れてねぇだろ」

「お気遣いなく」



 話を聞かずに出ていく柊水を、嵐鷲は呆れたような目で見つめてきた。




 ――武蔵國むさしのくにで祀られている空属性の雷神、春雷しゅんらいは、最初退屈そうな顔をしていたが、柊水の話を聞いて凄い勢いで食いついてきた。



「いいわ! つまり、愛する人を救いたいってことよね!? 人と人との恋愛物語は大好きよ! 源氏物語絵巻? だったかしら? あれも好きだったわ! 今は平安の世とは恋愛観が違う故少し物足りないけれど……」



 くねくねと体をくねらせながら、予想よりも早く乗り気になってくれた春雷。よく分からないが好都合だ、と柊水は思った。

 そこでふと、春雷が言う。



「そーいえばぁ、あなたの愛する人、神無月に貴月大社へ向かうらしいわよ?」



 寝不足であまり意識がはっきりしていなかった柊水は、その発言を聞いて目が覚めたような心地になった。



「確かなのですか?」

「さあ……噂程度。気になる? 気になるぅ~? そりゃそっか、愛する人だものね! いいわねぇ、あたしも恋してみたいなぁ。神の世の連中と来たらどいつもこいつも脳筋なんだもん。知的な人と恋してみたぁい。かと言って人間なんかに恋したら先に死なれて寂しいし、拗らせて白龍みたいになっちゃうし。あたしにも良い出会いないかしら~? 鶴姫に縁結びしてもらおうかしら。ああ、でも鶴姫はあたしのこと嫌いだから言うこと聞いてくれないだろうなあ」



 早口で話し続ける春雷の言葉は何も頭に入ってこなかった。

 この三年、翼妃に会いに行く暇もなく、ただひたすらに玉龍大社の復興と神を滅ぼすための情報収集だけに力を入れてきた。

 翼妃に会いたくなかったわけではない。ただ――翼妃のことを深く考えていると、何が目的で翼妃が玉龍大社にあんなことをしたのか容易に想像できたのだ。

 ――彼女は廻神家が憎かったのだろう。何年もかけて髪と血を捧げていた程だ。おそらく柊水のことも憎んでいる。だから会いに行くのが怖かった。きっと翼妃は言いなりにならなければいけなかった昔と違い、柊水のことを拒絶する。


 無言で思い詰める柊水を、春雷は不思議そうに見てきた。



「何躊躇ってるの? 人間なんて神よりも早く、簡単に死んじゃうのに。何で残り時間がほんの僅かしかないのに何かを怖がったり緊張したりやりたいことをやらなかったりするのか、あたしには分かんないわ。無限の時があるあたしたちと違って、人間の男女が愛し合える時間は少ないのよ」

「……」



 悔しいが、柊水はその言葉に後押しされて、結局貴月大社へ向かっていた。人間はあまり近付けない場であるが、それは翼妃も同じだ。柊水が行けない場所には翼妃も行けない。少しでも顔が見られればいいと思った。


 ――そして、柊水と翼妃は再会した。





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