宿場町にて




『翼妃、行きたい場所はあるか?』



 白龍が問うた。



「……それって連れて行ってくれるってこと?」

『あぁ。お前が望むならどこへでも。水属性の神社がある場所なら降り立てる』



 翼妃はどこかに行きたいと指定できるほどに他所のことを知らない。そのため、下方に見える一際明るく輝く町を指差し、「あそこに降りてみたい」と言った。白龍が言うにはそこは、外の世界では有名な宿場町らしかった。


 白龍は翼妃を乗せたまま宿場町から少し離れた神社に降り立ち、龍の姿から人の姿に戻る。


 そこから数分歩いて宿場町の中心部である駅前広場に出た。沢山の人々が見慣れない派手な衣類を着用していることにも驚いたが、それよりも、巨大で真っ黒な鉄の機械――蒸気機関車が止まっているのを見て、翼妃は口を大きく開けた。



「白龍、何あれ。すごく大きい」

「あれは蒸気機関車だ。と言っても、まだ一部の地方にしか導入されていないらしいがな。人間の間で、これまで神の力でどうにかしようとしていたものを、知恵の力でどうにかしようとする動きが大きくなっている。神々が休める時代も近いのかもしれないな」



 煤煙を吐きながら、蒸気の力で車輪を回転させ、鉄道を走り抜けていくその大きさや重厚感は翼妃を圧倒した。機関士が炭を投入する様子や、汽笛の音、蒸気機関車が通り過ぎる際に巻き上げる埃、そしてその力強い走行に、まるで別世界のものを見たような感覚に襲われる。



 駅前広場から商店街の方へ歩いて行く。街道を挟んで両側に、薬屋、酒屋、鍛冶屋、和菓子屋、仏具屋など、さまざまな店舗がある。地元の特産品を売る市場は夜なので既に閉まっているようだった。旅人の荷物の管理をしている人々もいる。



「何か買いたければこれを使え」



 白龍が翼妃に渡したのは金貨だった。表面には天皇の肖像が、裏面には桜の紋章が刻印されている。



「これって貨幣?」

「初めて見たのか?」

「うん。話には聞いたことがあったけど、生まれ育った集落では物々交換が基本だったから。強いて言うなら、お米がお金の代わりだったし……」



 先程の汽笛の音が耳から離れない。貨幣を溜めたら、あの蒸気機関車にも乗れるのだろうか。



(あの蒸気機関車なら、私をどこか遠くの世界へ連れて行ってくれるかもしれない。祟りとも、廻神家とも関係のない場所へ……)



「――翼妃、何を考えている?」



 翼妃がはっとして顔を上げると、白龍が怖い顔をしていた。折角連れてきてもらっているのに、あまりにも考え事に耽りすぎただろうか、と慌てて翼妃は「何でもない」と首を横に振った。



「私、欲しいものって今まであまりなかったから、何を買っていいか分からなくて」



 翼妃には物欲がなかった。欲しい物を与えられた経験など廻神家の屋敷に訪れてからは一度もない。それどころか、大事なものができても奪われる。翼妃は、何かを欲することに意味があるとは到底思えない状態だった。



「……お前は手毬が好きだったな」



 白龍がある店の前で立ち止まる。そこは古びた玩具屋で、まだ薄っすらと灯りが付いていた。色とりどりの手毬が店頭に並んでいるのを見て、翼妃は夢の中で大人の女性たちと遊んでいた頃のことを思い出した。



「かわいい」

「遊び道具は持っていないのだろう? 一つと言わず沢山買っていけ」

「でも、帰る時はまた白龍に乗って帰るんだよね。沢山買ったら重いでしょう?」

「玩具程度で重さを感じるほど俺は華奢な龍ではないが? お前の重さに比べたら、玩具が加わったところで誤差だ」

「な……。なんてこと言うの、白龍。女の子に重いとか言っちゃだめでしょう」



 怒ってぽかぽかと白龍の体を叩く小さな翼妃に、白龍ははははっと笑った。



 翼妃は白龍に言われるがままに、玩具の剣、弓矢、独楽、木馬、人形、竹馬、お面、押し車、時計じかけの小さな機械などを購入して玩具屋を去った。買ったものが入っている袋は白龍が片手で持ってくれた。


 他にも様々な店を見て、帰る頃にはいくつかの店の灯りが消え始めていた。白龍は歩き疲れているであろう翼妃を片手で抱きかかえ暗い夜道を歩いた。



「其の面、気に入ったのか」

「うん。面白い顔してて好き。ありがとう、白龍」



 翼妃の頭には先程玩具屋で購入したおかめのお面が付いている。



「であれば、俺がその面を特別なものにしてやろう」



 そう言って白龍の手が翼妃の頭の面に触れる。しかし何も起こらず、翼妃は不思議に思った。



「……何したの?」

「さぁな、お楽しみだ。其の面を被って屋敷の者に話しかけてみるといい」

「やだよ……あんな人たちに自分から話しかけるなんて」



 私は白龍さえ話し相手になってくれたらそれでいいの、と言う翼妃に、白龍は「嬉しいことを言ってくれるな」と満足げに薄く笑った。





 ◆




 夜明け前、白龍に連れられて玉龍大社へと帰った。奥宮からはまだ嫌な感じがしたが、白龍は翼妃の手を引いて屋敷の入口までずっと送り届けてくれた。翼妃を置いて去ろうとする白龍の背中に問いかける。



「白龍、次はいつ会える?」



 白龍は翼妃を振り向き、「さあ。神は多忙なのでな」と意地悪な笑顔を浮かべた。


 確かに、玉龍大社に来る人々の数は年々増加傾向にあり、屋敷の人間も皆忙しそうにしている。神本人であれば尚更忙しいだろう。


 翼妃は目を伏せ、「ごめんなさい」と出過ぎた発言をしたことを謝った。幼い頃から夢の中で会っていて慣れているとはいえ、相手は神なのだ。本来自分のような忌み子とこうして仲良くしてもらえるような相手ではない――そう反省した時、白龍が翼妃の顎に指を添え、翼妃の顔を上げさせてきた。



「会いたいか? 俺と」

「……うん」

「では、言葉にしてみろ」



 躊躇いはあった。要求したところで叶うわけがない。自分の望みはこれまで全て却下され、希望は全て踏み躙られてきた。例外は、夢の中で白龍といる時だけ。



「私、白龍ともっと会いたい」



 ――自分の要望を現実世界で口に出して言うのは、随分と久しぶりな気がした。おそらくこの屋敷に来てからは初めてのことだろう。声にした時何故か泣きそうになった。


 白龍の整った顔がゆっくりと近付いてくる。そして、翼妃の耳元で囁いた。



「好い子だ」



 その声の色っぽさにくらりとした。白龍のことを何だか自分よりもずっと大人であるように感じ、翼妃はどぎまぎと白龍から距離を取る。神なのだから自分よりもずっと長く生きていることは分かっていたはずなのに、今更こんなことを思う自分が可笑しかった。



「お前が言うのなら、また近いうちに現世に現れよう。特別だぞ」



 くく、と喉を鳴らした白龍は、翼妃が瞬きをした次の瞬間には消えていた。





 ◆




 早朝の屋敷にはまだ夜明け前の静けさが漂っていた。夜の闇が少しずつ薄れ、深い紺色の空が広がっている。空気は清々しく冷たい。


 翼妃は柊水が起きる前にと柊水のいる部屋まで早足で歩いていたが、ふとその途中にあるくらの戸が空いているのに気付く。普段は固く閉ざされている蔵だ。錠も外されていることを不気味に思ったが、何となくそこを見なければならない気がして、翼妃はゆっくりと近付いた。


 中には多くの書物と刀が綺麗に並べられていた。恐る恐るその中の一冊を開き、中を見ている。一行目、目に入ったのは忌み子に関する記述だった。



 “忌み子を本宮より遠ざけると厄災の如く祟りが生じる。周囲の者たちが次々と死に、最後にはその土地が荒れ果てる”



(私のこと……?)



 どきりとし、慌てて頁を捲るが、その後何故か黒く塗り潰されているところが多くあまり読み取れない。最初の頁に戻ると、玉龍大社の起源が書かれていた。


 玉龍大社は千年以上前、当時の天皇の夢に二匹の龍が出てきたことを始まりとして祠を建立、水神として祀ったのが起源らしい。太古より神と交渉ができる者を傍に置き国を治めていた天皇家は、地・水・火・風・空の属性を持った神々と対話できた五家にそれぞれ神々を管理する役割を与え、神社のすぐ傍に立派な屋敷を与えた。役割を課せられた五家の一つが――翼妃のいる廻神家である。廻神家は玉龍大社を作り、本宮に白龍、奥宮に黒龍を祀った。


 その後、翼妃が最初に見た忌み子についての一行があり、塗り潰された頁が続く。


 翼妃が不思議に感じたのは、塗り潰しが多い頁を越すと、奥宮に祀られていた神についての記述がなくなったことだ。それ以前は本宮に白龍、奥宮に黒龍が住み、神鎮たちと深く交流していた様子が描かれていたにも関わらず、塗り潰された頁を境に黒龍についての記述がぱったりと消えている。



(私が奥宮に近付くと頭痛がするのは、この黒龍が関係しているのかな)



 龍は玉龍大社に二匹居たのだ。翼妃が会ったことがあるのは白龍の方だけである。



 考え込んでいたその時、外から小鳥たちの囀りが聞こえてきた。可愛らしい鳴き声がまるで新しい一日の始まりを告げているようだ。いつの間にか随分と長い時間を蔵の中で過ごしてしまったらしい。


 翼妃は今度こそ慌てて本を仕舞い、蔵の戸を閉じて柊水の元まで走った。


 ゆっくりと襖を開けると、幸いにも柊水はまだ眠っていた。翼妃は足音を立てないように近付き、そっと柊水の隣に寝転がる。



 ――あの蔵に入り書物を読んだことを柊水が知れば、激怒するだろう。柊水は翼妃がこの神社のことについて知ろうとすることを嫌う。白龍と外の世界へ出かけた今夜のことも、あの蔵のことも、柊水には絶対に隠さねばならないと思った。









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