第28話
俺は車に轢かれて右脚と右腕を骨折した。
いやはや、正直にいうとマジで死ぬかと思ったんだ。でも、あの一瞬、ほんの僅かだけ前世のスキル 《肉体強化》が使うことができた。そのおかげでこの程度の怪我で済んだ。
今日で入院して四日目になる。こんなに休んだのはいつ以来だろう。前世のときもゆっくり体を休める時間などなかった。
俺は今、病院の個室にいる。しかもⅤIPルームだ。救急車で搬送された後で知ったことだが、ここは鳴海エリカことサタリナの親族が経営している病院だった。身に余るⅤIPな待遇もそういう理由である。
全治三か月、しばらくは車椅子と松葉杖での生活になるだろう。
早く現場に戻らないと生徒たちが心配だ。特に唯一の普通女子、逢坂妃花さんのことが気になって仕方ない。彼女は俺の願いを叶えてくれる唯一の希望なのだ。魔王軍の奴らから変な影響を受けないように死守しなければならない。
俺の脳裏に今にも泣き出しそうな魔王の顔が浮かんだのは、そんなときだった。
あのとき偶然通り掛かっていなければ魔王は輩共に犯されていたかもしれない。攫われる寸前で助けることができてよかった。彼女が無事でよかった。前世が魔王といえ彼女の両親からすれば愛しい娘なのだから。
そんなことを考えながら夕日に染まる窓の外を眺めていたとき、病室のドアが開いた。ノックもしないで入ってきたのは八重山真央だ。気配から察して、どうやら彼女ひとりだけのようだ。
「魔王……」
「くくくっ……、貴様が動けない絶好の機を余が逃すと思ったか?」
彼女の手にナイフが握られていることに気付く。
「魔王、お供も連れずにひとりで見舞にきてくれたんだろ? 前世よろしく的な口上はいいから椅子に座りなさい」
ふん、と息を付いた魔王はベッド横の丸椅子に腰を掛けた。
「余裕じゃな? 自分が本当に殺されないとでも思っておるのか、いざとなれば余は手段を選ばぬぞ」
「桃の甘い香りがするな」俺はスンスンと鼻を動かす。
「う……」
「その手提げ袋には果物が入っているんだろ?」
「ふん、つまらん男じゃ……。余、自ら見舞にきてやったぞ光栄に思うがよい」
そう言って彼女は手提げ袋から桃と紙皿を取り出した。ナイフは桃を切るためのものかと内心で安堵する。
「切ってくれるのか?」
「あ、ありがたく思うのじゃ」
少し照れくさそうに彼女は、左手に持った桃の皮をナイフでむきはじめた。
刃物に慣れていない覚束ない手つきだ。そのまま指を切ってしまわないかとヒヤヒヤしてしまう。
そんな彼女の指にいくつもの絆創膏が貼られていることに俺は気付く。テーマパークに行ったとき、彼女の指にそんな物はなかった。
「その指の絆創膏……。俺が押したときに転んで擦りむいたのか?」
「違う……。これは……」
彼女は手を隠すように背中を向けた。
……まさか、練習したのか? 果物を切る練習をして指を切ったのか? 絆創膏はそのときにできた傷……。勉強の方はサクッとこなしたけど、こういう作業は苦手なようだ。
「なんでもよかろう! 切ってやったぞ! しかしその腕では食えぬだろう! 余が直々に食わしてやる!」
「え、いいよ。左手は使えるしさ」
「食わしてやるのじゃ!」
「わかったわかった。じゃあお願いします」
切り分けた桃に魔王がフォークを突き刺すと、果汁が染み出て桃の香りが一層広がる。新鮮でみずみずしくて美味しそうだ。
「余が生まれた国では、目を閉じながら桃を食せば怪我が早く治るという言い伝えがある」
「うん?」
ああ、目を閉じろってことね。注文が多いな。まさか塩コショウをかけて食うつもりじゃないだろうな?
「これでいいか?」と素直に目を閉じる。
「う、うむ」
ぽかんと口を開けて待っている俺の唇に冷えた桃の果肉が触れた。そのまま口の中に入ってきた桃を咥えて咀嚼する。
「うん、うまいな」
「そうか、全部食い終わるまで目を開けてはならんぞ、絶対だ」
「わかったよ」
「約束じゃぞ」
「ああ、約束する」
疑り深いヤツだ。まじない程度のことなのに、こんなに真剣になってくれるなんて、意外と本気で心配してくれているのかもしれない。
それにしてもまるで鶴の恩返しだ。眼を開いたら前世の魔王の姿になっていたらどうしよう……。
その後も魔王は俺の口に桃を運び続けた。俺も黙って受け取りもぐもぐする。
おそらく半分くらい食べたところで魔王の手が止まった――と思った直後、唇に柔らかい物が触れた。瑞々しくてとても柔らかく、そしてほんのり温かい。冷たい桃で多少感覚が麻痺していたけど、確かに人の温もりを感じた。
その〝なに〟かを確かめる間もなく一瞬で離れてた。
そして再び桃が口に運ばれていく。
「これで全部じゃ……」
「もう眼を開けてもいいのか?」
「う、うむ」
瞼を開くと同時に魔王と目が合った、彼女は視線をパッと逸らしてうつむいてしまう。
窓からそそぐ夕日せいだろうか、うつむいた彼女の横顔が真っ赤に染まっている。
「魔王?」
「……は、早く傷を治せ。貴様のいない学校は張り合いがない」
「あ、ああ……。今日は来てくれてありがとうな」
「……さ、さらばだ勇者よ!」
そう告げた彼女は目も合わせず逃げるように病室から出ていってしまった。
全く嵐のようなヤツだ……、だけど――、
「わざわざ見舞いに来てくれるなんて、魔王も可愛いところもあるなぁ」
ごろりとベッドに寝転んだ俺は、なんとなく自分の唇に触れてみる。
指の感触とは違う、あの柔らかい感触は一体なんだったのだろう……。
そこへ再びノックもなしに病室のドアが開き、二人の生徒が入ってきた。
やってきたのはユピテルとサタリナだ。
「見舞にきてやったぞ」
「うわー、えらい怪我やなぁ」
魔王と違ってこいつらは手ぶらかよ……。
「勇者、さっき廊下で魔王とすれ違ったぞ。なにかされたのか? それともしたのか?」ユピテルは言った。
「はい? いや、お見舞いの果物をもらっただけだけど?」
「そうか……」とユピテルは難しい顔で腕を組む。
「なにか気になることでもあったのか?」
「私たちと目が合っても挨拶もせずに行ってしまった。怒り狂ったように顔を真っ赤にしながらな」
怒り狂った? 彼女の顔が紅いように見えたのは夕日のせいじゃなかった?
「勇者、スケベなことをして魔王を怒らせたんじゃないだろうな?」
「はあ! する訳ないだろ! こんな状態でどうやってするんだよ!」
「じゃあなんであんな顔をしていたんだ?」
「二人とも相変わらずにぶちんやなぁ、ほんま前世のときから変わってへん」
「なにがだサタリナ? お前には解るのか?」
「解るよ、解るけど言われへんよ、そない無粋なこと」
「?」
「まあいい……。どうせ勇者が無理やりスケベを迫ったに違いない。それよりサタリナ、予定通り勇者に治癒魔法を」
「え? いいのか? だって虎の子の魔力なんだろ?」
「いずれ試行しなければと思っていたところだ。近い将来、魔王たちとやり合うことになるかもしれないからな。勇者を実験代にして現在の魔法スペックと魔力が回復するかテストする」
「でもさ、俺が短期間で回復したらユビテルたちの存在を気付かれてしまうぞ」
「うむ、しばらくはギブスで偽装しろ」
「分かった、助かるよ。早く復帰しないと生徒(逢坂姫花)が心配だからな。それじゃあサタリナ、よろしく頼んだ」
「ほいな」と彼女は呪文を詠唱する。淡い光が俺の全身を包み込み、傷を癒してたちどころに折れた骨が元に戻っていくのを感じた。
「どうだ?」
「うん、完璧に治ってる。これならサタリナの魔法は前世並の精度だと思う」
治った腕を動かしながら「今回のことで解ったことがあるんだ」と俺は言った。
「なんだ?」
「魔王は本当に前世の力がないようだ。今回、男たちに襲われていたとき、彼女はほとんど抵抗できなかった」
「まだ余談は許さない。そう装っているだけかもしれない」
「いや、違うよユピテル……。俺は現場にいたから分かる。あのときの魔王は本当に必死だった。他の連中と違って少なくとも魔王には前世の力なんてない」
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