第19話

「ここじゃ」と魔王は腰を当てる。


「えー……、ラーメン屋じゃん……」


 しかもインスパイア系だし、ここって確か生部先生の行きつけの店だよな。学校の近くにあるのは確かだけどさ。


「なにか変か? ラーメンは飲み物だってチヒロが言っておった」


 虎城チヒロ、前世での名前はベルルガルザガル、千の魔獣を使役する獣の王にして獣装遊撃団長である。


「虎城が言うと妙な説得力はあるが、その括り方はどうなんだろうな……」


 確かにライスと一緒に食べればインスパイア系ラーメンはスープと呼べなくも……いや、呼べねーよ。とんだカーボンハイドレートフェスティバルだよ。


「そしてこの店が美味いと言っておって以前から気になっていてな、一度来てみたかったのじゃ」


「ま、まあいいか……」


 学校に近すぎて他の先生や生徒に見られなければいいが……、俺はキョロキョロと周囲を確認してから入店する。いつも行列が出来ている人気店だが、今日は幸いにも待たずに入ることができた。


「なにをしておる?」


 券売機にお金を投入する俺を見て彼女は言った。


「先に券売機で食券を買ってから席に座るんだよ。ラーメン屋に来るのは初めてなのか?」


「うむ、余は外食したことがない。外に行かなくてもケータリングで済むと母が言っておった」


「セレブめ……、さすが良家の箱入り娘だ」


 彼女の家は室町時代から続く商家の娘であり、曽祖父は全国に名を轟かせる財閥系グループの創業者だそうだ。

 そういう家庭に生まれるのも前世からの因果が関係しているのだろうか、そんなどうでもいいことを考えてしまう。


 俺たちはカウンター席に並んで座り、店員からの例のコールを魔王の分まで答えて一段落。

 それにしても勇者だった俺と魔王だった彼女が、肩を並べてラーメンを食べる日が来るなんて一体誰が予測できただろうか。 


「まお……いや、八重山さん、今日のことは他の生徒には内緒だからな」


「うむ! 余は口の堅さには定評があるぞ」


 うーん、ガバガバそうだけどな。


「なあ、聞いてもいいか?」


 興味津々に店内のを見回す魔王に俺は聞いた。


「なんじゃ?」


「お前さ、目的は世界征服なんて言ってたけど本当は冗談なんだろ? 俺さ、普段のお前たちを見ていると、そうは思えないんだ。お前たちはいつも楽しそうだしさ、世界征服なんてそっちのけで、この世界を謳歌しているようにしか見えないんだが」


 魔王はキョトンとして黄金色の瞳を瞬かせた。


「冗談ではないぞ、ガチじゃ」


「ガチか……。でもさ、世界征服だぞ? 本当にできると思ってるのか?」 


「無論じゃ」


 この自信の根拠はなんだ。やはり彼女たちは前世の力を引き継いでいるのか?

 だとしたら止められる者はいない。今の俺は無能だし、どれだけ魔法が使えたとしてもユピテルとサタリナだけでは太刀打ちできない。ケイロスが強いといっても、それはあくまでこの世界の住人としてだ。


「こんなことを魔王のお前に言ってもしょうがないかもしれないけど、なんのためにそんなことをする。この世界には魔人と人族の憎しみの歴史も領土争いもないんだぞ」


「分かっておる。じゃが問題は単純ではない」と腕を組んで魔王は続ける。


「転生してなお余を慕い信じて付いてきている者のためにも、振り上げた拳を安々と下げる訳にはいかん。一方で今の体制に不満を持つ者もおる。組織をまとめるには意思を統一する目標が必要なのじゃ。かつての魔王軍も決して一枚岩ではなかった。団長たちが目を光らせておるが、放っておけば離反を招き、造反する者が現れるやもしれぬ。そうなればこの世界に迷惑が掛かってしまう」


「魔王……、お前……」


 あっけらかんと何も考えていないような彼女がそんな風に思案を巡らせているとは思わなかった。彼女はちゃんと王としての責務を果たそうとしているのだ。いやはや、話してみないと分からないな……。


「それに武力に頼らなくとも世界を手中に収めることができればいいのじゃろ?」


「ん?」


「前世とはやり方が違えど世界を征服することはできよう」


「どうやって?」


「それは知らん」


「ええー」


「それを考えるのも楽しいと思わんか?」


 ニカッと歯を見せて魔王は笑った。

 あまりにも純粋無垢の笑みに俺は呆気に取られてしまった。あの血も涙もない冷血無比で残虐非道と畏れられた魔の王が、恥や外聞もなく、一切の警戒も打算もなく俺の隣にいる。それ自体が奇跡のように思えた。

 同時に俺は魔王のことをなにも知らなかったのだと気付いた。


 たぶん今の彼女も前世の彼女も、それほど変わらないのだと思う。それなのに俺たちは互いを知らずに先入観や偏った情報を鵜呑みにして憎しみ合っていたのだ。



 その後、山盛りのラーメンを平らげた俺たちはラーメン下郎を出た。


「くはーっ! 食べたのじゃ!」

「く、食ったなぁ……」


 相変わらずのカロリーの暴力だった。さすがに今夜はなにも食べられない。りっちゃんの料理は冷蔵しておいて明日の朝に食べよう……。

 俺が膨らんだ自分のお腹をさすったそのときだった。魔王が後ろから抱きついてきたのだ。


「ど、どうしたんだ……魔王」


 こ、これはまさか魔王なりのハニートラップなのか!? このタイミングで!? 

 今はニンニク匂う間柄、互いの距離もグッと縮まるとでも??

 俺のファーストキスはニンニクの味になるのか!?


「うぷ、気持ち悪いのじゃ……」


 安定のリバース!?


「は、吐くなよ……、こんなところで吐くなよ、絶対に吐くなよ! てゆーか離れてくれ!」


「うぷ……」


 離そうとしても彼女は離れてくれない。


 この小さな体のどこにこんな力が!?

 さらに魔王の腕に力がこもっていく。もう決壊寸前か!?


「我慢しろ! 最悪でも学校の敷地に戻るまで我慢しろ!」


 そのときだった。「あ……」と声を漏らして通行人が立ち止まる。


 振り返った俺の視線の先にいたのはユピテルとサタリナだった。抱き付く魔王と俺を見て固まっている。


「ち、違うぞ、これはお前たちが想像してるようなことじゃないからな……」


 しらーとした眼でユピテルはスマホを取り出した。


「三笠女学園ですか? 教師の淫行現場を目撃しました」


「誤解だ!」

 

 その後、なんとか持ちこたえた魔王と別れた俺は、ユピテルとサタリナの二人にもラーメンを奢ることになったのだった。

 

 





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