第8話 

 それから何事もなく昼休みを迎えた。


 生徒たち、もとい魔王軍の幹部たちは今のところ大人しくしている。一年のときは授業中であろうと隙あればあの手この手でハニートラップやラッキースケベを仕掛けて来たのに……あれ、なんだか寂しい……。


 この緩急を付けた攻撃は安土沢アンリ【参謀総長ミドガルズガンド:Lv.117】の作戦かもしれないし、単に彼女たちの気分なのかもしれない。そして彼女たちのボスである魔王は今朝のやりとり以降は何も仕掛けてこない。自席で大人しくもじもじしている。たまに視線が合うとサッと逸らされてしまう。

 静かなのはなによりだが、静か過ぎて不穏だ。



 職員室の自席で俺はファンシーな巾着袋に包まれた弁当箱を鞄から取り出した。これはお隣さんの草薙リンが作ってくれたお弁当で、早朝にわざわざ届けに来てくれたのである。


 昨日の宣言通り、どうやら彼女は俺への料理攻撃をやめるつもりはないらしい。


 なんだかんだ俺も彼女の好意を拒否することはできなかった。せっかく俺のために作ってくれた訳だし、食べ物を無駄にするのは良くない。


 彼女の正体が魔族だったことが判明し、今までの食事にはもしかしたら毒が入っていたのではと一瞬だけ勘ぐってしまったが、彼女の――、というか魔王の目的は俺を社会的に殺すためであってリアルな殺人ではない。


 弁当箱の蓋を開けると、白米の上に桜でんぶで描かれたハートと刻んだ海苔で書かれた『LOVE』の文字が目に入った。俺は一瞬でご飯と共に桜でんぶのハートを海苔『LOVE』ごと口の中にかき込んで証拠隠滅を図る。

 こんなアニメでしかお目に掛かれない愛妻弁当的な物は、何があっても他の先生に見られる訳にはいかない。

 

「ふぅ……、まったく困ったものだ」


「ほう、彼女の手作り弁当ですか? 羨ましですね」


 凛とした大人の女性の声が肩越しに聞こえて来た。

 箸を持ったまま振り返ると体育教師の伍代カエデ先生の顔があった。相変わらずジャージーに竹刀という分かりやすい出で立ちである。たとえ芋ジャージであろうと彼女の完璧なプロポーションが陰ることはない。

 

「ち、違いますよ! 彼女とかじゃないですよ」


「ん? そうなのですか? ご飯のところがハート型にくり貫かれているからてっきり彼女かと」


「ぐ、偶然です。そういえば伍代先生はいつもお昼たべていませんね? 夜までもつんですか?」


「うむ、朝しっかりと食事を取っていますからね。昼に食べてしまうと、どうにも眠くなって動きが鈍くなるのです」


 彼女はニカッと少年のように笑う。


「まあ、確かにそうかもしれませんね」


 伍代先生らしいといえば伍代先生らしい言い回しだ。

 そういえば昔、同じようなことを言っていたヤツがいたな……。


 そのときだった。昼休みに流れているBGMが突然止まり、ピンポンパンポンと連絡の前後に使用するチャイムが流れる。


『月が満ちるときサンクチュアリは西南西に現れる。月が満ちるときサンクチュアリが西南西に現れる』


 それは肉声ではなく合成された『ゆっくりボイス』な機械音声だった。

 ピンポンパンポンと再びチャイムが鳴って再びBGMが流れ出す。


「ん? なんだ今のは?」


 伍代先生は眉をひそめた。


「――ッ!?」


 今のはまさか……、そんな馬鹿な……。いや、これは間違いない、合言葉だ……。

 前世の仲間たちと待ち合わせするときに使用していた合言葉、月の満ち欠けで日にちを指定し、方角は羅針盤を時計に見立て時間を指定する。サンクチュアリは俺たちの行きつけの酒場の名前だ。

 まさか……あいつらの誰かが転生しているのか!? 俺と同じように??


 月が満ちる、つまり満月、満月は今夜。方位は羅針盤を時計に見立てている。つまり西南西は夜の八時、サンクチュアリは一体どこだ……。この世界にも同じ名前の酒場があるのか?

 これが本当に俺の仲間が発信したメッセージなら俺の周囲にヒントがあるはずだ。

 思い出せ、俺の生活圏にはあるサンクチュアリを……。

 

 あっ! そういえば商店街の中に『サンクスチュアリ』という寂れた喫茶店があった気がする。

 どうする……、行くか? この合言葉は師匠の眼を盗んで遊びに行くときに使われていたもの、知っているのは勇者パーティだけだ。魔王軍の罠の線はまずない。



 それからも俺は昼の放送のことが気が気でならなかった。午後の授業を無事に終えた俺は校内に留まり残業で時間を調整して、商店街にあるサンクスチュアリに向かう。


 あの放送を流したのは学校の関係者ということになる。

 しかし一体誰が……。教師か? それとも出入りしている業者か? 魔王軍の他にも誰が誰に転生した?

 ……落ち着け、行けば答えは分かる。今は例え罠だろうと進むしかない。



◇◇◇



 商店街にある雑居ビルの一階にレトロな雰囲気の喫茶店サンクスチュアリはあった。

 緊張の面持ちでドアを開けると、カランコロンとドアにぶら下がるベルが鳴る。


 閑散とした店内にいたのは、カウンターの内側でコップを磨くマスターと奥のソファーに座る少女だった。

 うちの制服、そして彼女は俺のクラスにいたショートボブの少女は――、


「上原……ユナさん」


 少女の名前を呼ぶと、フルーツが盛られたパフェを食べる手を止めた彼女はソファーから立ち上がり、「久しぶりだね、勇者」と言って微笑んだ。


 その理知的な微笑みはいつもの彼女ではない。彼女はどちらかと言えばぶりっ娘タイプで、もっと愛らしくはにかむ。


「えっと……」


「この姿では分からないのも無理はない。私は大賢者ユピテル様だ」


 そう告げて彼女は自分の胸に手を当てた。


「ユピテル!? 本当にユピテルなのか!? ま、まさか! お前も転生していたのか!!」


「ああ、この通りだ」


「いや……、驚いたよ。ていうか、教室にいるときの大人しい感じのぶりっ娘キャラはなんだよ、前世とキャラが違いすぎるだろ」


「ほっといてくれ、あれは私が記憶を取り戻すまでに形成された性格なのだ。どうすることもできん、どちらも私だ」


「とにかく再会できて良かった……、まさか俺が働く学校に偶然入学するなんて奇跡だ」


「なにを言っている? 奇跡でも偶然でもないぞ、私は勇者があの学校で働くことを知って入学したのだ」


「なんだって? ユピテルも俺が勇者だって気付いていたのか?」


「ふむ? どうやら積もる話になりなりそうだ。とりあえず注文を」


「あ、ああ……。マスター、ブレンドを一つ」


 コップを磨くマスターが俺の方を見てうなずいた。


「で、どうやって俺を見つけた?」


「それは――」と彼女が言いかけたところでカランコロンとベルが鳴ってドアが開く。


 振り向くと喫茶店に入ってきたのはサイドポニーテールの少女だった。またしてもうちの学校の制服を着ている。そしてまたしても俺の受け持つクラスのひとり、鳴海エリカだ。


「鳴海さん? どうしてここに?」俺は彼女に問う。


 彼女の視線が俺と後ろにいるユピテルを捉えた瞬間、彼女の瞳が瞬いた。


「驚いたわぁ……、勇者が転生してはることは気づいてたんやけど、ひょっとして上原さんってユピテルなん?」


 関西訛りの少女の発言に俺とユピテルこと上原ユナは同時に立ち上がった。


「まさか……、サタリナか!?」ユピテルが声を上げる。


「えッ!? サタリナ?? 鳴海エリカさんがサタリナ!?」


 彼女はこくりと頷き、俺たちのテーブルにやってきた。

 驚いた……、このサイドテールの少女がサタリナだったとは。なにより彼女は前世では妖精だったのだ。

 それが人間として転生するなんて……。


「あの放送を聞いたときに、まさかユピテルも転生しとるんやないかて思うたんやけどキャラが違いすぎて、まさか上原さんやとは思わへんかったわ」


 胸を撫でおろしたサタリナこと鳴海エリカに、「それはお前もだろ……」と上原ユナは息を付いた。


「ちょっと待ってくれ。お前たちは俺が勇者だって気付いていたみたいだけど、昨日偶然知ったんじゃないのか?」


 彼女たちは顔を見合わせる。


「いや、逆に驚きやわ。あれってうちらへのメッセージやあらへんかったの? マスター、うちにもこの子が食べてるのと同じパフェをお願いします」


 サタリナの発言にユピテルが「うむ」と腕を組み、マスターがうなずいた。



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