第7話 三人称

 翌日、銀髪の少女、八重山真央こと魔王ベルゼグルは安土沢アンリ【参謀総長ミドガルズガンド:Lv.117】を従えて校門に立っていた。


 魔王は待っていた。

 王たる彼女が待つのは誰か。そう、それは他ならぬ勇者である。

 彼女は朝早くから勇者を待ち構えていたのだ。昨日の夜から心待ちにしていた。待ち焦がれていた。遠足の前日以上に楽しみで眠れなかった。夜明けになってやっと眠ることができたのも束の間、気付くと勇者が通勤する時間が迫っていた。

 起き上がろとする彼女に布団の悪魔が襲い掛かってきた。


 布団の悪魔が「明日でもええんやないですか?」と魔王の耳元で囁く。

 彼女は何度も負けそうになった。挫けそうになった。

 だけど耐えた。欲望を振り払って立ち上がった。


 それはすべては勇者を社会的に抹殺するために!


 自らが率先して先陣に立とうとする真央をアンリは咎めた。

「魔王さま御自身おんみずから仕掛けるのは時期早々かと。舞台が整うまで我々にお任せください」と止めた。

 しかし、真央は自分が勇者を魅了すると言って聞かなかった。


 そして、現在に至る。

 ついに徒歩で通勤してきた勇者が姿を現し、彼の前に魔王は立ちはだかる。


「くくくっ……、待っていたぞ勇者よ」


 とぼとぼと足取りの重い勇者が顔を上げて真央を認めた。


「あ? ……ああ、おはよう八重山。早いんだな……」

「今の余は八重山真央ではない! 魔王だ!」

「……」


 朝からめんどくさいなぁと勇者は思った。

 実は前世の魔王について勇者はほとんど知らなかった。魔王城の最上階に引きこもる魔王は、その姿も能力も謎のベールに包まれていたからだ。

 最終決戦場となった魔王城の謁見の間で、勇者は初めて会った魔王と短い言葉を交わしただけで壮絶な戦いが始まり、死力を尽くす前に謎の光に包まれて転生した。

 故に魔王がこんなキャラクターだとは知らなかったのだ。

 もっとも、今の彼女はこの世界で培ったキャラクターかもしれないが――。


「今日こそ貴様を社会的に抹殺してやる!」


 腕を組んだ魔王は仁王立ちで言い放つ。


「……ふーん、で?」と勇者は返した。


 魔王はほくそ笑むだけで動かない。

 なぜなら魔王はノープランだった。

 なにより魔王城で待ち構える魔王だった真央は受けるのは得意だが、攻めるのは苦手だった。

 前世でも自らが先陣を切って打って出たことなんてなかった。今世でも箱入り娘の彼女は何不自由なく育ったため、駆け引きなんてしたことがなかった。


「ほう? 余の魅力が強すぎてまともに言葉が出んようじゃのぅ……くっくっく」


「朝から元気いっぱいだなぁ、八重山は……」

「くくくっ、余の元気さに恐れおののくくがよい」


 魔王はふんぞり返る。


「うん、そうだな。とってもこわいぞ」


 勇者は適当にあしらった。


「そうであろうそうであろう! くくくっー!」 

 

 真央は勇者に舐められていることに気付いていない。高笑いを上げる魔王の背後で安土沢アンリ【参謀総長ミドガルズガンド:Lv.117】は額に手を当てた。


 確かに八重山真央は絶世の美少女だが、勇者はこれまでのハニートラップを回避し続けたこと、ラッキースケベを受けてきたことにより経験値を獲得し、一定の女子耐性を獲得していた。少女の扱いに慣れてきていた。

 さらに加えて一年生のときから生徒として接してきた少女たちと違って、転校生の真央は最初から魔王として認識している。そのため、他の生徒たちより扱いが雑になるのは仕方のないことである。


「魔王、朝ごはんちゃんと食べてきたか?」


「それがなんじゃ! そんなことはどうでもよい! さあ、早く余に魅了されて余の体を弄ぶとよい!」


 小さな胸を張る魔王を前にして、一体どうやって魅了されればいいんだ……、と勇者は悩んだ。この子は美少女だけど絶望的に色気が足りない、勇者はそう思った。


「あー、うん、魅了された。こりゃマジやばいわー、もう俺は真央にメロメロだよ、もはやお前のことしか目に入らないかも」


「なッ!?」


 歯が浮くようなベタなセリフに真央の頭が沸騰してパニックに陥る。


「そんなことより口許に米粒付いてるぞ」


 さらに勇者の指が魔王の唇に触れる。魔王の口許に付いた米粒を取った彼はそのまま自分の口に運んでパクリと食べてしまった。


 勇者はとても疲れていた。昨日の生徒たちからのカミングアウトによる精神的ショックに加えて、生徒たちと代わる代わる淫行して逮捕される夢にうなされて睡眠不足だった。

 思考停止に近い状態だった勇者は、普段はしない行動を取ってしまった。事実、このときに魔王軍の生徒から色仕掛けを受けていたら彼は社会的に死んでいたであろう。

 

 それが当初の安土沢アンリ【参謀総長ミドガルズガンド:Lv.117】の作戦だった。

 昨日の告白により精神的に疲弊しているであろう勇者を直接的に誘惑してさらに追い込む、その作戦は魔王の我儘によって阻止されてしまう。

 つまり結果的に勇者は魔王に救われたのである。


「顔に米粒なんて付けていたら、せっかくの美人が台無しだぞ」


 疲れが溜まっていた勇者は、普段言わないようなベタなセリフをさらっと口から出てしていた。

 さらに勇者は微笑んだ。生徒に分け隔てなく振りまく程度の笑顔だが、無意識に放った口撃と笑顔の効果は魔王にとって会心の一撃となった。

 

「!?」


 魔王は全身に熱を帯びていくのを感じた。怒りとは違う、湧き上がる熱が魔王の胸を焼いていく。

 高鳴る鼓動に魔王は混乱した。 


(これはなんじゃ!? 初めて受けた恥辱の奥底に見え隠れするこの感情は一体なんじゃ!?)


 新たな感情が魔王に芽吹いた瞬間であった。


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