第13話
体育教師、伍代カエデ(♀)24歳、独身。
由緒正しい家柄の生まれで、祖母がスウェーデン人のクウォーター。
北欧系特有の白い肌にスラっと背の高いモデル体型で一見して細身だが、剣道五段の実力者。加えて性格は竹を割ったようにさっぱりしていて温厚で誰にも分け隔てなく接する博愛主義者の人格者である。
まさに完璧超人だ。
彼女は男性教諭たちの憧れの的であるが、自分より強い人でないとお付き合いしないと公言している高嶺の花である。
以前、同じ体育教師の生部先生が交際を掛けて剣道で挑んだが、まったく歯が立たなかった。彼女の太刀筋は元勇者の俺ですら恐ろしく速いと感じた。
きっと彼女と剣を交えれば試合ではなく死合いになることだろう。
これは俺とそんな彼女のワンナイト物語である。
――ある日の昼時。
「今日も手作り弁当ですか? 実に色合い鮮やかで美味しそうだ」
伍代先生が肩越しに顔をのぞかせた。
キリッっとした切れ長の目で俺の弁当箱を見つめている。相変わらず距離が近い。彼女はぐいぐいと顔や体をくっつけてくるから困る。
彼女から素朴な牛乳石鹼の匂いが漂ってきた。美人だけど飾らないのも彼女の魅力のひとつである。
「あ、いや、その……」
「ご自分で作るのですか? そういえば先生って結婚されてましたっけ?」
「いえ……、独身です」
「ほう、ではやはり彼女さんが作ってくれるんですね」
「……彼女では……ないですね」
「む? 彼女ではない女性がお弁当を作ってくれるのですか?」
「は、はは……、そういうことになりますかね……」
「ふむ、ということは教え子ですか。先生も隅に置けませんね」
うっ……、鋭い……。
「……このことはどうか内密に」
「もちろんです。年上の異性に憧れを抱く年頃の子もいるでしょう。心のうちに留めておきますよ」
「ありがとうございます。特定の生徒と親しくする行為は好ましくありませんが、せっかく作ってくれたんです。断ったり捨ててしまうのは勿体ないと思いまして」
「さすが先生は私が見込んだ通りの人物です」
「いえ、恐縮です……」
「ところで、その……」伍代先生が珍しく言い淀んだ。
視線をそらした彼女から「もしよろしかったら今夜ご飯でも一緒にいかがですか?」と食事のお誘いを受けてしまう。
「え? 伍代先生とふたりでですか? 珍しいですね」
教員同士で呑みにいくことはたまにあるが、彼女から誘われたのは初めての方だ。しかも二人きりで?
「いえ、そんなことありませんよ。こう見えてお酒が好きなんです」
「そうなんですか? 誉れ高い伍代先生からのお誘いいただけるとは光栄の限りです。ぜひお願いします」
仕事を終えた俺たちは彼女がよく利用するという駅前の焼き鳥屋に向かった。
高嶺の花と呼ばれる彼女には似つかわしくないが、きっと敢えて庶民的な店をチョイスしてくれたのだろう。俺のお財布にも優しく彼女に対する好感度は鯉の滝登りだ。
カウンター席しかない小さな大衆酒場で俺たちは乾杯する。
会話は自然と弾んだ。
まるで十年来の親友と再会したかのように話題が尽きなかった。
その容姿とは裏腹に言動も性格もあ男勝りなところがある彼女だが、そのおかげで俺は同世代の女子に対する苦手意識を克服することができた。
あけすけな彼女はまるで男友達と接しているような感覚で、いつの間にか女子に対する苦手意識は薄れていた。
こんな
ほろ酔い気分も手伝って、そんな夢みたいな妄想を抱いてしまう。彼女みたいな家柄も性格も良い女性が俺みたいな平凡な男を好きになるはずがないのだ。
今日だって深い理由などなく、一緒にお酒を飲んでくれる人を探していだけに違いない。
だけど万が一、彼女が俺に好意を寄せてくれるというのなら、彼女と付き合えるのならば、この
しこたま酒を胃に流し込んだ俺たちは店を出た。
久しぶりに気兼ねなく酔っぱらうことができた。
こんなに楽しいお酒の席はいつ以来だろう。ここ数日は魔王軍のハニートラップに油断できない毎日だったから酒は控えていた。
羽目を外したかったのは彼女も同じだったようだ。いや、俺以上に彼女は酔っぱらっている。俺は足取りがおぼつかずふらついた彼女の腕を掴んで支えた。
「危ないですよ、気を付けて」
「ありがとうございます……。つい楽しくて羽目を外し過ぎました、はは」
「大丈夫ですか?」
不意に互いの目が合い、俺たちは見つめ合う。
長いまつ毛、真っ直ぐな眼差し、柔らかそうな唇、リアルエルフが目の前にいる。
「……しばらくこうしててもいいですか?」
そう言って彼女は俺の腕に自分の腕を絡ませた。
「は、はい……」
俺たちは恋人のように腕を絡ませて歩き出す。
「先生の腕、男らしくて素敵です……。着痩せして見えますが実は筋肉質なのですね」
彼女の指が俺の二の腕を往復する。
「いちおう日ごろから鍛えてますから」
俺はここぞとばかりにムキッと腕に力を入れて筋肉アピールだ。
うっとりと俺を見つめた彼女が指を絡ませて体を寄せてきた。
「どうやら……すこし飲み過ぎてしまったようです。どこかで休憩していきませんか?」
「きゅ、休憩ですか……。カラオケかインターネットカフェが近くにあるか探してみます」
スマホを持ち上げた俺の手を、伍代先生が止めた。潤んだ瞳で俺を見つめている。
「その……、それほど遠くない場所に父が出資しているホテルがあるんですが、空いてる部屋を自由に使えるのでそちらでゆっくりしませんか?」
「え?」
ホ、ホテルだって? うっそ……こ、これは……もしかして誘われているのか!? この俺が? あの伍代先生に!?
俺はごくりと喉を鳴らす。
さすがは伍代先生だ……、告白とか付き合うとかすっ飛ばしていきなりとは、男勝りすぎる……。この千載一遇のチャンスを逃してはいけない!
「ぜ、是非お願いします……」
そう告げると彼女は頬を紅く染めた。
これは完全に脈ありやろワレッ!?
俺たちは流していたタクシーを捕まえて六本木に向かう。彼女が運転手に告げたホテルの名前は誰もが一度は耳にいたことがあるハイクラスのホテルだった。
移動中、後部シートに座る俺は彼女の手の上に自分の手を重ねた。
彼女の肩がピクッと跳ねたけど嫌がってはいない。
イケる……、絶対に今夜はイケる!! ついに前世から温めてきた童の貞を卒業できるんだ!!
「実は先生とゆっくり話してみたいと思っていたんです」彼女は言った。
「そ、そうだったんですね」と俺は上の空で返す。今はもうホテルインした後のことしか頭にない。
「ええ、あなたといるとどこか懐かしい気分になるのです」
「懐かしい、ですか?」
「ずっと前、よく夜明けまで友と飲み明かした記憶が蘇りました」
「伍代先生が? 大学生のときですか?」
「いいえ、もっと昔です……。今となっては遠い記憶、無二の親友と恩師の眼を盗んでは抜け出して行きつけの店で飲み明かしました……。なぜか先生といると昔のことを思い出すのです。あの勇敢だったあの男のことを……」
なぜだろう、俺もそんな気がしていた。この
さっきから感じている居心地の良さ、地元の友人といるようなこの親近感はなんだ?
「その男とは最後に生き別れたような状態になりました。彼は一体どうなってしまったのか……」
伍代先生の横顔にあいつの面影が見えた気がした俺は、彼女を有り得ない名で呼んでいた。
「……ケイロス?」
俺が口にしたのは前世の仲間であり親友だった者の名だ。伍代先生とはまったく似ていない、似つかない。確かにケイロスは中性的な顔立ちだったが、それ以前にあいつは男なのだから。
しかし彼女は予想外の反応を示した。
翡翠色の瞳を大きく見開かせて俺を見つめている。
「なぜその名を……、まさかッ!? あなたはゆうしゃ――うぷっ!? ウゲッぇぇぇぇぇ……」
俺の方に顔を向けたまま彼女は盛大にぶちまけた。
「「あ、あああぁっぁぁぁぁっぁ!?」」
運転手と俺の叫び声が車内でシンクロして響き渡る。
ああ……、俺の二着しかないスーツがゲロまみれに……。
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