第11話
それは黄昏時だ。明日の授業の準備を終えて職員室のドアを開けると薄暗い廊下に小柄な少女が立っていた。
「まだ帰っていなかったのか? 下校時間はとっくに過ぎているぞ」
少女は前髪に隠れた眼で俺を見上げてニッと笑い、「キシシ……」と鮫のようなギザギザに尖った歯をのぞかせた。
少女の名前は竜道エマ、前世では
一年生の頃から彼女のことは知っているけど、この子だけはキャラが最初から変だったし、今だに掴めないんだよなぁ……。
「竜道さん、なにか用かな?」
にたりと笑う彼女の口角からヨダレが垂れていく。
「せんせい、美味しそう……キシシ」
「おいおい、先生は食べれないぞ」とおどける俺の前で彼女はじゅるりと舌なめずりした。
なんというかご覧の通り彼女はちょっと変わっている。魔王たちが正体を明かす前からずっとこんな感じで異質な存在だった。
以前から俺の前に現れては「美味しそう」と呟く彼女に「おいおい、食べるなら残さず食べてくれよ」と冗談まじりに返していたのだが、どうやらガチだったらしい。
これからは迂闊なことは言わないようにしよう。
俺の後を付いてくる竜道エマの背中を昇降口まで押していき、上履きからローファーに履き替えさせて校舎から追い出すことに成功した。
さて、今日も無事に終わり魔王軍に不穏な動きはなかった。
みんな授業を真面目に受けているし、誰が見ても普通の女子高生にしか見えない。元魔族がいるなんて想像すらできないだろう。
しかし、静けさが逆に不気味でもある。虎視眈々と罠を張り巡らせている気がしてならない。
心の支えは前世の仲間が同じクラスにいるという事実だ。ひとりじゃないと思えるだけで安心感が違う。
その日、車通勤だった俺は所用を済ませて帰路に付いていた。
三笠女学園は電車通勤が原則なのだが、事前に許可を得れば車やバイクで出勤できる。
教師二年目でまだまだ薄給な俺の愛車は大学時代に友人から激安で譲ってもらったホンダ技研のインスパイアというセダンだ。前オーナーがこだわり抜いたDQN仕様カスタムは若気の至りである。
ちなみに、この車を運転していると、ある御方から頻繁に呼び止められてしまうのが玉に瑕だ。
『そこの白いセダンの運転手さん、左に寄って止まってください』
御上の職務質問である。
白バイに停車を求められた俺は路肩に車を寄せて止めた。
「お急ぎのところすみませーん。荷物検査にご協力ください」
白バイから降りてきた警察官に、「あー、はいはい。どうぞどうぞ」と慣れた感じで応じて、車から降りた俺は身体検査しやすいように直立した。
「ご協力感謝します」
警察官はそう言うと車の中をライトで照らしはじめた。
あれ? おかしいな、いつもはポケットの中身からはじめるのに……。
「なにかあったんですか?」
違和感を覚えた俺が質問すると若い警察官は後部座席の下にライトを当てながらこう答えた。
「捜査中なので詳しいことは言えませんが、誘拐事件が発生しまして」
それでは皆まで言っているようなものじゃないか、俺が誘拐犯の仲間だったらどうするんだ。
ずいぶん口の軽い警察官だなと思った。
「それは大変ですね。誘拐されたのは児童ですか?」
「えっと、捜査中なので詳しいことは言えませんが女子高生だそうです」
「そうですか……、無事に見つかってほしいものです。少女が車に乗せられていたという目撃情報があったんですか?」
「捜査中なので詳しいことは言えませんが、犯人が使っていると思われる車両が古いタイプのセダンだという情報がありまして」
「へぇ、それでこの車を」
「はい、トランクもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんですよ。しかし未成年を誘拐するなんて許せないですね」
「まったくです。見つけ次第射殺したいくらいですよ、はははっー」
面白い警察官だなぁと思いながら俺はロックを解除してトランクを開く。するとトランクの中で少女が横向きにうずくまっていた。そのままバタンとトランクを閉じる。
「ね? 何もなかったでしょ?」俺はすまし顔で言った。
「え? あ、あれ、いま……誰かいませんでしたか?」
幽霊でも目撃したかのように警察官は目を擦っている。
「気のせいですよ。さて、何もないことは確認できたでしょうから私はもう行きますね」
「も、もう一度見せてもらえますか?」
「いえ、ダメです。一度だけです」
俺はトランクに手を伸ばす警察官の手を叩いた。
「やましいことがなければ見せてください。抵抗するなら公務執行妨害になりますよ」
「トランクの中身を二度見せてはいけないと我が宗派の戒律で決まっているんです!」
「意味の分からないことを言ってないで早く見せてください!」
「やめろ!」
警察官ともみ合になったそのときだった。激しいブレーキ音が鳴り響き、直後に衝突音が轟いた。
停車中の白バイの後ろから走って来たトラックが追突したのだ。あんぐりと口を開く警察官は、倒れて煙を上げる白バイを見つめたまま固まっている。
今だ! ランナウェイ!!
俺は運転席に飛び乗ってアクセルを踏んだ。ぐんぐん加速するDQNなインスパイアのミラーから警察官と白バイが遠ざかっていく。
あのクラッシュではバイクは自走できない! 逃げるしかない!!
しかしなぜトランクに少女が!? というかうちの制服だった! そして間違いない、彼女は竜道エマだ!! どういうことだ?? ちゃんと帰したはず!? いつの間にトランクに忍び込んだ!?
交差点を左折した直後、ウ~というけたたましいサイレンが鳴り響いた。赤色灯を瞬かせたパトカーが追跡を開始する。無論、彼らの標的は言うまでもなく俺のセダン、あの若い警察官が無線で応援を呼んだのだ。
「ファックス!!」
汚い言葉に似た通信機器の名称を叫び俺はさらにアクセルを踏んだ。
捕まる訳にいかない。捕まれば社会的に死んでしまう! 明日のために逃げるのだ!!
追跡するパトカーがさらに増えていく。一台から二台、三台へと増殖し、バックミラーは真っ赤に染まっている。
WOW! こりゃすごい、まるでハリウッド映画だぜ! ひゃっはー!!
「騒がしい……、どうした?」
そう呟いたのは俺ではない。後部シートから少女の声がした。ゾッと背筋が凍りつき、恐る恐るルームミラーを見ると白い肌をした少女が映っていた。
思わず叫び声を上げそうになった俺だったが、彼女の容姿に見覚えがあることに気付く。
いつの間にかトランクにいたはずの竜道エマが後部座席に座っている。彼女は小さな手で眠たそうに前髪に隠れた眼を擦った。
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