第16話

「恋に落ちたことで、魔王さまは人間との関係を改めざる得なくなったのです」


 アンリが淡々と告げた事実に室内は静まり返った。


「そんなまさか、あり得ない……。今ならまだしも前世のときに魔王さまが人間に恋をするなんて考えられない……」


 セイラは動揺を隠せなかった。それは彼女だけでなく他の者も同じだった。


「そ、そうだぜ……、何言ってんだよ。だってよ、魔王さまは生前に人族と会ったことがねぇだろうが……」


「ああ、その通りだ」


「いいえ、例外がおります。お忘れですか? 魔王さまと直接剣を交えた彼のことを」


「例外? まさか……、勇者? 魔王さまは勇者に恋をしていたとでも?」


「はい、その通りです」


「いや……、それはおかしいだろ。だって魔王さまが勇者と会ったのはあの一度だけだ。オレたちが謎の光に包まれて転生した日、たった一日だけ、しかも実際に闘ったのは十分もなかったはず。そんな短時間で恋に落ちる訳がねえ」


「一目惚れという可能性もありますが、それは誤りです。魔王さまは勇者と出会う前から彼のことを目にして耳にして知っていた。そしてあのとき、あの瞬間、魔王さまは勇者に恋をしたのです」


「……あのときっていつだよ」


「魔界西部を治める漸竜王との一戦です」


「ああ、あの戦いは凄まじかった。あと一歩のところまで勇者を追い詰めた。それがなんだって言うんだ? 恋に落ちる要素なんてひとつもないぞ」


「我々の視点からすればそうでしょう。漸竜王は反魔王派閥の強硬派といえ勇者は我々魔族にとって共通の敵、あのとき魔王軍の誰もが漸竜王を応援していました」


「ああ、その通りだ」


「しかし魔王さまだけは違ったのです。あきらかに途中から勇者がピンチになる度に唇を噛みしめていていました」


「いや……、それはあと一歩で勇者を殺すことができそうだからだろ?」


「普通に考えればそうでしょう。映像投影魔法によって映し出される傷だらけの勇者、彼は何度も立ち上がり、諦めることを知らず、闘志は揺らがず、その姿に魔王さまはいつの間にか劣勢の勇者を応援していたのだと思います」


「そんなまさか……」


「あのとき、あの場所で、魔王さまだけが勇者の勝利を願っていた。数々の苦難を乗り越えて自分に会いに来る存在に恋せずにいられるでしょうか? たとえ自分を殺しに来る者だったとしても」


「馬鹿げている……」


「そうだぜ、今ならとにかく前世のときに人間に恋に落ちるなんて……」


「あなた達の気持ちはよく分かります。ですが、前世から魔王さまは私たちの理解を超えた遠く及ばない存在でした。だからこそ私たちにたどり着けない場所に至ることができた、ただそれだけのことです。なにより、あなたたちも見ていたはずです。勇者が謁見の間に現れたときの魔王さまの表情を……、あれは恋する乙女の顔です」


「あーしは分かるよ……、アンリの言う事、今なら理解できる……」


 今まで黙っていたカレンが口を開いた。


「あのとき、あーしは魔王さまの隣で見ていたんだ。魔王さまの反応に違和感を覚えたのを思い出した。あーしはあのとき感じた違和感の正体を理解できなかったけれど、今なら分かる。あれは恋する乙女の表情なんだって……」


 アンリはこくりとうなずく。


「もう一度言います。自分に会いに来るためだけに困難に挑み、苦難に打ち勝ち進み続ける、そんな相手に惚れない女はおりません。恋をせずにいられません」


 誰一人として反論する者はいなかった。


「私もカレンの言うように人となった今だからこそ、あのときの魔王さまの心中をより理解することができます」


「で、でもさ……、オレたちが魔王さまから与えられた命令は先生を社会的に殺すことだろ。好きなのに殺すって矛盾しているじゃないか」


「答えは単純です。素直になれないからです」


 アンリの一言に、やはり誰も反論することができなかった。


「社会的に抹殺するというのは勇者の眼を引くためのただの口実、魔王さまはそういうやり方しかできないのです。もちろん、そこには攻略すべき対象を明確にして魔王軍をひとつにまとめるという意図も含まれていますが、魔王さまにとっての目的は前者です」


 あまりの説得力に沈黙が生まれたそのとき、カレンが手を上げた。


「あのさ……確認したいんだけどいいかな?」

 

 いつもの彼女と違って挙動に迷いを感じられる。


「今の話はアンリやあーしの推測であって魔王さまから直接聞いた話じゃない。あーしらが受けた御命令は勇者を社会的に死に追いやること。なら、あーしが先に先生とやちゃっても命令に背いてないし構わないよね?」


「「なっ!?」」


 セイラとチヒロが同時に声を上げた。


「実はけっこうタイプなんだよね、先生……」


 くすりと微笑み、「ええ、構いませんよ」とアンリは言った。


「い、いいのかよ?」


「好敵手がいないと魔王さまはいつまでも本気にならないでしょうから」


「まあ……、それはそうかもしれんな」セイラは同意する。


「それに私も元からそのつもりです」


「え? そうなの?」


「みんなあまりに人間に偏っていますが、私たち魔族の視点で考えれば 別に一夫一婦である必要はないのです」


「「「あ……」」」


「そ、そう言われてみればそうだよね。私も頑張ってみようかな……」


 ベッドの上で小説を呼んでいた近衛ミヤビ【殲狂戦団長:リーゼンベルク Lv.129】がそう呟いたのだった。




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