彼女に返す「好き」の気持ち

 答えを写すだけだと勉強はできるようにならない。私の人生は例えるならまさにそれだ。周囲がどれだけ取り繕っても私には感情が筒抜け。怒ってるのか、悲しんでるのか、喜んでいるのか、私は手に取るようにわかった。言葉の色を見れば感情が分かる私は、いつの間にか言葉の色ばかり見るようになっていた。顔色も声色も言葉の内容も、相手の感情を理解するのには必要なかったから。


「楽しくないならやめなよ」

「……え?」


 小学生のころ、女の子のグループに混ざって遊んでいた時だった。好きなものの絵を書いたり、テレビ番組や話題の動画のことを話したりで楽しんでいたのに、突然そんなことを言われた。彼女の濁った汚い赤色の言葉は、明確な敵意を表していた。


「楽しいよ?」

「うそつき。だって全然笑わないじゃん」

「ずっとつまんなそうな顔してて楽しそうじゃない」


 最初はただの言いがかりだと思ったけど、周りのみんなも最初の子と同じような色の言葉を吐いた。濁った赤に覆われて息苦しくなる。私は楽しいと思っていたのに、みんなにはそれが伝わっていなかった。だから楽しいって伝えようと思ったけど、楽しいときはどんなことを言うのか、どうやって笑うのか、どんな声色で話すのか、その手段を知らなかった。感情を言葉の色でしか見ていなかったから。


「心彩ちゃんがそんな顔してると空気が悪くなるの。楽しくないなら出て行って」


 このグループのリーダー的な子の言葉が決定打となり、その日以来私はグループから外されることになった。悪いのは私だ。生まれたころの私は笑い方も泣き方も怒り方も全部知っていたはずだ。でも、自分の能力にかまけて感情の理解を怠った。そのせいで感情の表し方を忘れ、みんなを誤解させた。一人になったのは全部私のせいだ。


「……ごめんなさい」


 そのとき口をついて出た言葉に乗せた感情は何だったのか。色のつかない自分の言葉を理解する術は持ち合わせていなかった。


 他人の気持ちは分かるのに、自分の気持ちが分からない。分かったとしてもどう表現すればいいのかを知らない。これではダメだと思って直そうとも考えた。でも、少しだけ遅かった。


「感情が分からない……?」


 濁った青緑。学校で相談した時の先生の言葉の色だ。酷い困惑、そして隠し切れない面倒だという感情。先生は心療内科の医師じゃないし、別の仕事も多いからこう思ってしまうのも仕方ない。しかも、まだ幼い子供が言うことだ。そもそも信じてもらえるわけがない。冷静に考えれば仕方ないって分かるけど、優しいと思っていた先生にそんな反応をされたのはショックだった。


「心彩ちゃんと遊ぶと、私もハブられるの。ごめんね」


 女子グループの敵になった私は他の子からも敬遠されるようになった。表立っての敵意はなかったけど、ずっと肌がチクチクするような居心地の悪さを感じた。


 小学校を卒業して中学生になって環境が変わっても私は嫌われ続けた。無表情だからと不気味に思われた。それに加えて年齢を重ねたみんなの感情はより豊かに、そしてドス黒く濁っていった。嫌われている私に向けられる言葉のすべては汚い色をしていて、人と会話することが嫌いになっていった。一人でいた方が楽だ。中学生の私はそう結論付けた。


 でも、ツンちゃんとの出会いですべてが変わった。


「私の名前は天鬼ツンディレ。これからよろしくね」

「……うん。よろしく」


 さわやかな黄色。高校生活にワクワクしている彼女の気持ちがよく分かった。でも、こんなキラキラした子は私なんかすぐに忘れて他の誰かと仲良くなるに決まってる。友達なんてできるわけないと諦め、一人でいた方が楽だと自分に言い聞かせていた頃の私はそう考えていた。


「色名さんは部活入るの?」


 でも、ツンちゃんは違った。初日だけだと思っていたツンちゃんとの会話は日に日に増えていった。意味が分からなかった。私と一緒に居て楽しいはずなんてないのに、彼女には他の友達もいるはずなのに、私と居る時間が一番長いなんて。でも、彼女に構ってもらえてうれしい自分も確かにいた。だって、私と話してる時でも彼女の言葉の色は綺麗だったから。


「心彩ちゃん、この布の柄すっごく可愛くない?」

「そうだね」


 ツンちゃんは私と同じ手芸部に入ってくれた。手芸は一人でいると決めた中学生のころから始めた趣味だ。部活に入るつもりはなかったけど、ツンちゃんとの時間ができるならと思って勇気を出して入部することに決めた。ツンちゃんと一緒に居るおかげか、先輩も顧問の先生も無表情で不気味な私にも優しくしてくれた。それはクラスでも同じで、ツンちゃんのおかげで私の世界は生きやすくなった。


 どうにか恩を返したい。せめてちゃんと普通の友達みたいに楽しく話せるようになりたい。そう思っても、何年も人の感情を見ないようにしてきた代償は重かった。ツンちゃんと一緒に居て楽しいと思っているのに、楽しいと伝えられない。ツンちゃんみたいに笑おうと思っても表情筋は固まったまま。私はこのままツンちゃんの優しさに甘え続けるのか。大切な友達と一緒に笑うこともできないのか。


「ふっふっふ……じゃーん! サプラーイズ!」


 そんな悩みもツンちゃんは簡単に吹き飛ばしてくれた。


「え、これ……」

「誕生日プレゼントだよ」


 ツンちゃんに言われてようやく飲み込めた事実。まだ何も返せていないのに、ツンちゃんは私に幸せをくれた。彼女の太陽のような輝きが私の心の奥底を照らしてくれた。


「うれしい」


 今までのことが嘘みたいに、私は自然に自分の気持ちを言葉にできた。ツンちゃんの笑顔とキラキラと輝く言葉の色が、私が忘れていた気持ちを思い出させてくれたのだ。


 思い出した気持ちと共に、ツンちゃんがくれた大切なプレゼントをギュッと抱きしめる。ふわりと柔らかい感触は、ツンちゃんが私の心に触れてくれているみたいで心地よかった。


「……わたしね、人と話すのが、その、あんまり好きじゃなかったの」


 ツンちゃんや普通の人と比べたらまだまだたどたどしいかも知れない。でも、ちゃんと自分のことを相手に伝えられた。今まで抱えていた感情を言葉にできた。それは私にとって大きな前進で、無意識のうちに心を閉ざしていた私のツンちゃんへの信頼の表れでもあった。


「今の私が楽しいって思えるのは、全部天鬼さんのおかげだよ。ありがとう」


 私に色んなものをくれたツンちゃんへの気持ち。それは間違いなく心の底からの感謝だった。嬉しさと感謝。ツンちゃんは、空っぽだった私の心に二つも感情を与えてくれた。その時の晴れ渡った気持ちを表すなら、そう、世界が色づくって言うのだろう。


 でも、それで終わらないからツンちゃんなんだ。


「あんたに感謝されたって全然嬉しくないんだからね!」


 鮮烈な橙色。冷たい言葉とは裏腹に、言葉の色は目を奪われるほど綺麗だった。こんな事は初めてで、どうやって解釈すれば良いか分からない。でも、その色が意味する事は温かい気持ちだというのは確信していた。だって、相手はツンちゃんで、こんなに綺麗なんだから。


「ふふっ、天鬼さんって面白いね」


 ツンちゃんは私の知らないものを見せてくれる。私を知らない世界に連れて行ってくれる。私に感情を教えてくれる。ツンちゃんにたくさんの物をもらった私は笑顔を返した。私はまだまだもらってばかりだけど、この笑顔みたいに少しでも彼女に返せるものが増えたらいいな。例えば、ツンちゃんと同じくらいの好きの気持ちを。


「そう、思ってたんだけどな」


 ツンちゃんに抱いた正体不明な気持ち。それを解析するために昔のことを思い出していた。自分の部屋のベッドの上でごろりと転がり、枕元に置いているツンちゃんがくれた手袋を見つめる。最近肌寒くなってきたし、もうそろそろ使える季節になりそうだ。


 ツンちゃんのことは好きですか? はい、大好きです。自問自答を頭の中で繰り広げる。ツンちゃんは私の大切な友達で、恩人で、大好きな人。それはあの誕生日の日から変わらないはずなのに、二人きりの部室でツンちゃんに抱いた気持ちはどれにも該当しない。身が軽くなるような多幸感と胸が締め付けられるような苦痛を同時に感じる感情。そんなもの私は知らない。あの甘ったるい桃色の言葉の意味も。


「同じ、なのかな」


 ツンちゃんがうれしいなら私もうれしい。ツンちゃんが悲しいなら私も悲しい。とても身近で大切な存在だから、私とツンちゃんの感情は連動している時が多い。それならあの時の私もツンちゃんと同じ桃色の感情を抱いていたのかもしれない。


 あの正体不明な感情をツンちゃんは知っているのかな。だとしたら教えて欲しい。感情のことはいつもツンちゃんが教えてくれた。でも、なぜか今回はそれができないでいた。あれ以来、ツンちゃんを前にすると上手く言葉が出てこなくなってしまったから。特に桃色の感情について聞こうとするときは顕著だ。前から可愛いって思ってたけど、今はさらに可愛く見える。以前は肩が触れるほどの距離感だったのに、今はこぶし二つ分あいだを空けないと心臓が苦しくなってしまう。


「こころって難しいな」


 結局今日も何も分からないまま。これ以上は知恵熱が出てしまいそうだ。そうやってあきらめて、今日も枕に顔をうずめた。

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